ⓒ天の父母様

韓お母様と結婚された神様とは何者かということを考えてみたいと思います。
徳野会長の表現にも見られるように、
それは天の父母様という神様ではないかと思われます。

真のお父様が聖和されてすぐ、家庭連合では家庭盟誓の中で、
神様を天の父母様と呼ぶようにしました。
家庭連合の食口は、毎日家庭盟誓を唱えることにより、
自然と天の父母様に誓いを立てます。
そして聖酒を飲むことにより、一旦は真のお父様に接ぎ木された血統が切れ、
天の父母様と韓お母様に接ぎ木されます。
そしてこの地上に、天の父母様と韓お母様が君臨する天一国を建設します。
最後に聖和することにより天一国聖塩で聖別され、
死後もその肉体さえも天の父母様の下で永遠に暮らすようになるのです。
つまり天上の天一国で、天の父母様と韓お母様と共に永遠に暮らすようになるのです。

このように韓お母様と結婚した神様が、天の父母様だとしたらすべての謎が解けるのです。
つまり真のお父様の聖和後、何故家庭盟誓の神様が天の父母様に変わったのか?
基元節に何故第三次「真の父母様聖婚式」が行われなかったのか?
基元節に何故「天地人真の父母様天一国即位式」が行われたのか?
真のお父様が決して許さなかった姸進様と情進様の恋愛結婚を何故祝福されたのか?
お父様の聖和後何故「天一国4大聖物」を授けるのか?
父様の聖和後、何故お改めて聖酒を授けるのか?
聖和したらその「聖体(遺体)」を何故聖塩で聖別するのか?
全ては真のお父様を通じて天地創造神が祝福した、神が最も愛する神の聖徒、祝福家庭を、
韓お母様と結婚した神様(天の父母様)が奪うためだったのです。
そして地上に天の父母様と韓お母様中心の天一国を創建し、
地上の天一国の住人である祝福家庭を、
聖和後も「聖体(遺体)」を聖塩によって聖別することにより永遠に拘束し、
天地創造の神と真のお父様の元には再び戻れなくするための「天一国4大聖物」だったのです。

文亨進様のみ言でも、真のお父様の聖和式の時の貴重な証言があります。
「あらゆる人が私に、お願いだから天の父母様の名前で祈ってくれと言っていたことを覚えています。
私はスタジアムで代表祈祷をしなければなりませんでした。
3万の人がいる中で祈祷しなければならず、
あらゆる人がお願いだから天の父母様と祈ってくれと。
お父様の聖和の儀式の後、すべてのことが終わって、それから私は檀上に上がり、
もちろん『敬愛する最愛の天のお父様』と祈ったのです。

私が天のお父様と祈ったとき、まるでそれは致命的な罪を犯したことのようになりました。
リーダーたちはみな真っ青になりました。天のお父様と言っただけで。」(2017年7月16日)
何故「天のお父様」と祈ることが、致命的な罪を犯したようなことになったのでしょうか?
今の家庭連合の一般食口が信じているように、
天のお父様(天地創造神)=天の父母様であったなら、何ら問題は無いはずです。

このような文亨進様の証言を見ても、今の家庭連合の食口が毎日祈り、誓いを立てている信仰の対象
「天の父母様」とは、天地創造神=天のお父様とは違う存在、
つまり韓お母様と結婚された神様=天の父母様であると考えるのが
自然な答えと言うことができるでしょう。

家庭連合の食口たちは、天のお父様(天地創造神)=天の父母様と信じ、
祈りのたびごとに「天の父母様」と祈るようになりました。
「天の父母様」と呼びかけて祈るということは、
「天の父母様」と会話をするようなものです。
例えば「さいとうさん」と呼びかければ、さいとうさんと話をするようになります。
「さとうさん」と呼びかければ、さとうさんと話をするようになります。
「い」があるかないかの、ほんの些細な違いでしかありませんが、
「さいとうさん」と「さとうさん」は、全くの別人なのです。
「天の父母様」と「天のお父様」も、全く別の存在です。

もし同じ存在だったなら、なぜ真のお父様は生前「天の父母様」と祈り、
私たちにも「天の父母様」と祈るように指導されなかったのでしょうか?
祈りの最後に「アーメン」と祈っていたのが、
これからは「アーメン」の代わりに、「アージュ」と祈るようにと指示されたように、
これからは「天の父母様」と祈るように指導されていたはずです。

「天の父母様」と「天のお父様」は全く別の存在です。
祈りのたびごとに「天の父母様」と祈り、天一国聖酒を飲み、
死後には身体を天一国聖塩で聖別したならば、
その人は「天の父母様」を神として侍る天一国に行くのです。
そこには天地創造神である「天のお父様」は存在せず、真のお父様も存在しません。
「天の父母様」と名乗る霊的存在と、韓お母様が主管される天一国です。
死後再び真のお父様にお会いし、永遠に侍りたいと願っても、
もう二度とお会いすることはできなくなるのです。
生前神様と真のお父様に自らの人生を捧げ、み旨の道に身を投じたのだとしても、
霊界では永遠に、真のお父様と再び出会うことはできなくなるのです。
全ての食口の精誠と人生を、韓お母様は奪っていってしまったのです。

しかしそんな韓お母様と天の父母様を選んだのは、他ならぬ自分自身なのです。
韓お母様を無条件受け入れ、徳野会長に何も疑問を持たずに信じたために、
真のお父様には永遠にお会いできなくなるのです。

真のお父様は二代王に文亨進様を指名し、祝福し、すべての権限を相続されました。
そして文亨進様は、私たちに直接、間接的に手を差し伸べてくれました。
インターネットを通じ、求めればいくらでも正しい情報は得られたのです。
にもかかわらず正しい情報を受け入れようとしなかったのは自分自身なのです。
家庭連合がインターネットの情報を見ないようにと言ったとしても、
実際に見なかったのは自分なのです。
真実を求めようとしなかったのは自分自身なのです。
ですから最終的にはすべては自分自身の責任なのです。

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