削除された姜先生の回顧録・第一章 その1 主イエスがおられる所、そこはどこでも天の国
姜賢実先生の自叙伝
この姜賢実先生の自叙伝は、シャボン玉さんがブログで発表されたものを「康オモニの自叙伝は世界後世に広く伝えられていくものと思います。」と言って、ここで公開することを快く許可してくださったものです。
この自叙伝は、削除部分の多い日本語版ではなく、韓国語版の日本語訳ですので、貴重な資料となることと思います。
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私の証拠的生涯 (=主を証しする私の生涯)
韓半島に降臨された再臨主
姜賢實(カン・ヒョンシル)
第一章 成長と入教
主イエスがおられる所、そこはどこでも天の国
誠実な信仰の中で成長
高い山が、果てしない野原が、草木や宮闕(きゅうけつ)や
私の主イエスがおられる所なら、そこはどこでも天の国
ハレルヤ賛美しよう 私のすべての罪の赦しを受け
主イエスと同行するので、そこはどこでも天の国
私は1927年10月1日(天暦8月20日)慶尚北道(キョンサンブクド)榮州市(ヨンジュシ)榮州洞(ヨンジュドン)82番地で生まれました。
故郷の榮州を思えば、青い山がまず初めに思い浮かびます。小白山(ソベクサン)のふもとに位置し、清い水と青い山があり、美しい自然が保たれた地方です。
また、榮州は学者の地でもあります。
韓国最初の 賜額(しがく)書院である紹修(ソス)書院があり、忠孝を誇る学者たちが多く住んでいました。
紹修(ソス)書院は、周世鵬(ジュセボン)が天賦の幸福を祭るために建てられた白雲洞(ペクウンドン)書院であったものを、後に李滉(イファン)が郡守として赴任しながら紹修書院として昇格された後、多くの学者や忠臣が輩出された所として有名です。だからなのか今も榮州には善良で剛直(ごうちょく)な人たちが多いようです。
故郷の榮州は昔から基督教の教勢が相当に強い地域です。
幼いころ、教会で礼拝が持たれる時には、座る所がないほど人がいっぱいに満ちていた記憶が残っています。おそらく剛直な性格を持った人達が多いので、基督教信仰も熱い信仰をする人達が多かったのではないかと思います。
慶尚北道(キョンサンプクド)には榮州と共に、大邱(テグ)と安東(アンドン)が熱心な信仰者が多かった地域です。
特に私が生まれて育った村は晉州姜氏(チンジュカンシ)の姓が多い村でしたが、ほとんどの人が教会に通い、村全体がクリスチャンと言っても過言でなかったのです。
晋州姜氏(チンジュカンシ)の信仰はうわさになり、「榮州にある教会の重鎮たちはほとんどが晋州姜氏(チンジュカンシ)」という言葉があるほどでした。
※賜額(사액・しがく)書院:王が名前をつけて額を賜わり書籍·召使い·土地などを下賜した書院
私は父親である姜錫祉(カンソクチ)長老(チャンノ・ちょうろう)と母親の權桂月(クォンゲウォル)勧士(クォンサ)の七人兄弟の中の長女として生まれました。
私の家庭は祖父が長老教会に入教した後から篤実(とくじつ)な基督教の信仰を守って来ていました。父母は一日も欠かさず早朝祈祷に通い、夕方になれば父を中心として家庭礼拝を捧げました。おかげで私は母胎にいたときから信仰生活を始め、いつも神様の御言葉の中で成長しました。家庭のすべての生活が神様を中心としてイエス様を正しく信じて従うために努力したのでした。
父は榮州(ヨンジュ)教会で40代で長老として任命を受けました。長老と任命されるには若い年でしたが、信仰が篤実で責任感が強くいろいろな人が推薦をして若くして長老になりました。