⑥韓流時代劇のような権力闘争

⑥韓流時代劇のような権力闘争

真のお父様の晩年から、聖和後今日に至るまでの期間、旧統一教会で繰り広げられた後継者争いは、まさしく韓流時代劇を彷彿させるものでした。

教会に入教してより韓国は主の国であり、韓民族は選民であると洗脳されてきた私たちは、韓民族は他国を侵略しない、平和愛好民族であると教わってきました。確かに歴史を見ると、日本や中国に常に侵略されることはあっても、韓国からは侵略した歴史は探すことができません。

それだけに韓民族は、神に選ばれし民族として、清廉潔白で、高潔な民族であるという幻想を抱いていました。
しかしその実態は、朝鮮王朝史は血塗られた権力闘争の歴史であり、両班による庶民への搾取の歴史でありました。

 

李氏朝鮮時代は、韓流時代劇で描かれるように、両班と奴婢のような、身分が厳格に分かれた時代でした。

日本でも士農工商のように厳格な身分制度はありましたが、奴隷のような虐げられた民というのは、それほど目立ったものではありませんでした。

しかし李氏朝鮮時代は、一部の両班が、大多数の民衆、そして奴婢たちを虐げてきた時代であり、そんな朝鮮時代を描くとき、必ず出てくる問題が厳格な身分制度による庶民の苦悩でした。
同じ韓民族でありながらも、生まれが違っただけで一生身分に縛られ、人間扱いされることもなく、悲惨な一生を送らざるを得なかったのが朝鮮時代の奴婢の身分だったのです。

 

当時朝鮮社会を見聞きした外国人旅行者による寄稿が、当時の社会をわかりやすく紹介しています。
(Wikipedia 両班より)

イザベラ・バード『朝鮮紀行』より

「朝鮮の災いのもとのひとつに、この両班つまり貴族という特権階級の存在がある。両班はみずからの生活のために働いてはならないものの、身内に生活を支えてもらうのは恥じとはならず、妻がこっそりよその縫い物や洗濯をして生活を支えている場合も少なくない。両班は自分では何も持たない。自分のキセルですらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。慣例上、この階級に属する者は旅行をするとき、大勢のお供をかき集められるだけかき集め引き連れていくことになっている。本人は従僕に引かせた馬に乗るのであるが、伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。従者たちは近くの住民を脅して、飼っている鶏や卵を奪い、金を払わない。」

 

マリ・ニコル・アントン・ダブリュイ『朝鮮事情』より

「朝鮮の貴族階級は、世界でもっとも強力であり、もっとも傲慢である」
「朝鮮の両班は、いたるところで、まるで支配者か暴君のごとく振る舞っている。大両班は、金がなくなると、使者をおくって商人や農民を捕えさせる。その者が手際よく金をだせば釈放されるが、出さない場合は、両班の家に連行されて投獄され、食物もあたえられず、両班が要求する額を支払うまで鞭打たれる。両班のなかでもっとも正直な人たちも、多かれ少なかれ自発的な借用の形で自分の窃盗行為を偽装するが、それに欺かれる者は誰もいない。なぜなら、両班たちが借用したものを返済したためしが、いまだかつてないからである。彼らが農民から田畑や家を買う時は、ほとんどの場合、支払無しで済ませてしまう。しかも、この強盗行為を阻止できる守令は、一人もいない。」

 

ここで表現されている両班の姿は、なんだかどこかで見たことのある光景によく似ています。

本部から一方的に流れてきた献金目標を達成するため、教会に基台長たち教会の中心食口たちを集め、末端の食口たちに電話を掛けまくり、目標が達成されるまで断食、徹夜祈祷を強要し、食口たちの良心に訴えることにより、無理やり献金目標を勝利するそんな教会によくある姿にそっくりです。

そして食口たちに、キャッシング用カードを作らせ、必ず返すからと約束してはお金を借りまくり、返済の段階になると人事で遠くに飛ばされ、誰もカードで作った借金に責任を持たない教会責任者たち。
借りたお金は神様に捧げたものだから、教会が返さなくたって問題はないと自己正当化し、最後にはカードの持ち主がコツコツと借金の返済に明け暮れる、そんな姿にそっくりではないでしょうか?

李氏朝鮮時代の両班の精神が今の統一教会幹部に受け継がれ、日本人食口を賤民として搾取しても、全く心が痛むことのない、そんな両班思想が生きているように感じます。

韓民族は、再臨の主を迎えた、選ばれし民である。
イエス様の12弟子に相当するのが、36家庭を中心とした韓国人幹部たちであり、144.000人の最初の初穂が、韓国人食口を中心とした祝福家庭であるという選民思想が、まさしく両班と同じ精神構造を形成させてしまったのでしょう。

 

朝鮮王朝時代、そのように権力を得た者たちはさらなる権力を求め、王族を巻き込み、権力闘争に明け暮れました。
国王を中心とした派閥、皇太后を中心とした派閥、皇后を中心とした派閥、皇太子たちを中心とした派閥と分かれ、国王が亡くなられるとありとあらゆる手段を講じ、後継者争いが繰り広げられました。

国王が定めた世子が、そのまま次期王位に就ければいいのですが、時には王の勅令を改竄し、自分たちに都合のいい後継者を立てようと策略の限りを尽くすこともあります。

ある韓流時代劇の中で、国王が亡くなる直前、次の国王を指名した王の勅令を、皇太后を中心とした勢力が握りつぶし、自分たちが実権を握ろうとしたものがありました。まさしく真のお父様の聖和後の、統一教会の後継者争いを見ているようでした。

しかしドラマでは結局はそんな陰謀は暴かれ、国王が指名した世子が無事王位を継承することができましたが、今日の情報化時代、統一家の後継者争いは、信じられないような結末を迎えました。

真のお父様が後継者として指名し、3度も戴冠式を行い、遺言ともいえる公式文書も残され、全食口に後継者が誰であるかを明らかに宣言されたにもかかわらず、そのような真のお父様の意思が無残にも無視され、韓お母様の天下になったのです。
韓お母様を中心とした勢力の策略にまんまとはまってしまったわけですが、記録文書も残り、記録映像も残り、時間をかけて引き継ぎも行われたにもかかわらず、それらすべてが忘れ去られ、韓お母様が後継者であると信じ込まされてしまいました。

真のお父様は、明らかに韓お母様をして、後継者であると指名したことはありませんでした。7男の文亨進様をして、真のお父様の後継者であると、時間をかけて全食口に知らせたにもかかわらず、誰もがそのことを忘れてしまったのです。まるで魔法にでもかかったかのように。

メシヤのみ言とは、そんなに軽いものだったのでしょうか?
それとも真のお父様の御意を理解する能力が、食口たちには無かったのでしょうか?

 

それにしても韓流時代劇でよく見る王位継承の権力争いを、こんな身近で見ることができるなどとは、思ってもいませんでした。このような権力闘争こそが、韓民族の血の根底に流れる、普遍的な宿命なのでしょうか?もしそうなら、神様はどうして韓民族の中に、メシヤを遣わされたのでしょうか?

 

階級のない、万民平等の理想社会を目指してスタートした共産主義思想は、北朝鮮のようにどこよりも、いつの時代よりも強固な階級社会を生み出し、一部の特権階級が、大多数の人民の人権を蹂躙し、搾取する悲惨な社会を作り上げました。
そしてそこでは、血で血を洗う権力闘争が繰り広げられ、敗者は抹殺され、勝者は全てを手に入れる恐怖の社会が作り上げられました。

共栄、共生、共義主義を掲げ、神を中心とした万民平等の中和世界、理想世界を目指して出発した統一運動も、李氏朝鮮時代の両班制度のような、一部の幹部を特権階級とする搾取社会が作られてしまいました。
そして後継者を決めるにあたっても、権謀術数渦巻く醜い争いが繰り広げられ、その結果真のお父様の後継者の位置に就いたのが韓お母様でした。

共産主義は創造本然の理想世界をモデルとし、神を排除した形でサタンが先行し、理想世界を創造しようとしたため、必然的にサタン的な世界が作られてしまいました。

しかし統一運動は、万民が兄弟姉妹として親なる神に侍る、神と人とが親と子という関係で作られる創造理想世界であったため、両班のような特権階級もなければ、搾取もない、完全なる地上天国ができるはずでした。
しかし今私たちの目の前に存在する教会は、金王朝が支配する北朝鮮と、なんだか似ているように感じるのは錯覚でしょうか?!

もし錯覚でないとしたら、いつの間にか統一教会、家庭連合もサタンに乗っ取られてしまったということなのではないでしょうか?
そしてそのトップに立っている人は・・・本当に神が遣わされた方なのでしょうか?
それとも北朝鮮の金王朝、金正恩と同じような立場の人なのではないでしょうか?

 

このような状況を見たときに間違いなく言えることは、もし家庭連合が目指す理想世界を全世界的に実現されたとしたら、そこに完成する理想世界は今の家庭連合のような世界であるということです。

食口の皆様は、そのような世界を実現したいのでしょうか?
そしてそのような世界に住みたいのでしょうか?
神が願われる理想世界は、家庭連合のような世界なのでしょうか?

心の底からそう思っていたとすれば伝道も進みますし、氏族メシヤ活動も自然と進展することでしょう。
しかし逆だとしたら、伝道しても無駄ですし、氏族メシヤ活動などもいくらやっても実りを結ぶことはないでしょう。

今一度自分自身の心に問い正し、絶対に正しいと確信の持てることのみ行うべき時なのではないでしょうか?

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