⑦大韓民国臨時政府

⑦大韓民国臨時政府

日本による朝鮮統治時代を研究すると、抗日運動の拠点としての大韓民国臨時政府の存在の大きさに改めて気づかされます。
大韓民国臨時政府というと、真のお父様の日本留学時代、抗日運動の中心人物として、上海にある大韓民国臨時政府と連絡を取り合っていたということは有名な話です。
同じように真のお父様の祖父の弟、文潤國牧師が、文家の財産をすべて独立運動に捧げ、それでも足りないと儲け話があると言いながら、村人たちからお金を集めては抗日運動に送金していたというのも、同じ上海臨時政府にでした。
文潤國牧師は結局、自分がそのお金を抗日運動に献金したとは言わなかったために、村人たちから詐欺師呼ばわりされ、その村に残ることもできなくなり、一人故郷を追われ、見知らぬ街で誰にも見取られることもなく客死したと言います。

このように真のお父様の生涯路程にも度々登場する大韓民国上海臨時政府ですが、抗日運動の拠点だったということもあり、今日に至るまで抗日運動家たちに信じられている捏造された間違った情報も、ここから発せられていたのです。
例えば私たちが主の路程等で教わった、日帝36年時代の日本人による韓国人迫害の様子は、大韓民国臨時政府の第2代大統領朴殷植氏が著した『韓国独立運動之血史』にある迫害の様子に酷似しています。
『韓国独立運動之血史』では日本による朝鮮迫害をどのように表現しているのか見てみたいと思います。

・1919年に起こった韓国独立運動(三・一運動)について
 「平和的なデモをしていた朝鮮人たちを、日本軍警察が無差別に虐殺し、日本の軍警察は、馬に乗り剣をふるって横行し、デモ隊を乱撃した。また人の目を刺し、人の耳をもぎ、人の腕を切り落とし、人の鼻をそぐなどの残虐性をはっきした、一般市民も、少女とか、女性の性器を切リ、股裂きをした」
 「日本は独立を妨害するために、あらゆる悪行を犯した。日本は独立を叫ぶ人々に向かって銃を撃ち、民家、教会、学校に火をつけた」
 「10歳にならない少女と婦女子らが恥辱的な扱いを受け、身体を殴られ、幼い少女たちも残酷に殴られ、7歳以下の幼い少女ら300余命が殺害された」

実に残忍で惨たらしい迫害の様子ですが、教会のセミナーでも似たような迫害の様子を聞きました。
このような生々しい迫害の様子は、ネットや本を探しても、なかなか見つけることはできません。見つけることができるとすれば吉田清治氏の書いた著作物のみです。
この吉田清治氏の済州島での慰安婦狩り等の証言は、朝日新聞によって16回にわたり連載され、反日思想の根拠となってしまいましたが、朝日新聞は2014年8月5日に吉田証言を虚偽と判断し、すべての記事を取り消しました。
しかし教会内では自虐史観に縛られ、『韓国独立運動之血史』にあるような韓国人への迫害が行われたと今でも信じられていることでしょう。

大韓民国臨時政府が流した、もう一つの間違った情報が関東大震災時における、朝鮮人虐殺事件です。
関東大震災時日本人自警団によって6000人もの朝鮮人が虐殺されたと信じられてきましたが、その情報は上海臨時政府が震災当時に機関紙の「独立新聞」に掲載した数字でした。しかしこの数字は、実際に震災現場で確認した数字ではなく、何の裏付けもない伝聞によってはじき出された数字だったのです。
日本の公式記録では「自警団に殺された朝鮮人の数は231人」となっていますし、多く見積もったとしても数百人と言われています。
そればかりではなく朝鮮人を虐殺したということも単純な虐殺事件ではありませんでした。
共産党と根元が同じ在日朝鮮統一民主戦線の朝鮮人が関与し、各地で在日朝鮮人たちによる暴動や火事場泥棒が多発し、そのことに注意喚起する新聞記事によって自警団が結成され、多数の朝鮮人の虐殺が行われたというのです。
もちろんどんな理由があったとしても虐殺など許されるわけではありませんが、理由もなく朝鮮人虐殺事件が起こったわけではなかったということです。

大韓民国臨時政府の初代大統領は李承晩でした。
そして第二代大統領が『韓国独立運動之血史』を著した朴殷植でした。
そしてその体制は金九によって引き継がれました。
大韓民国初代大統領李承晩の詳細に関しては後から詳細を述べたいと思いますが、これら大韓民国臨時政府の指導者たちを見ると、大韓民国臨時政府とはいかなる機関だったかということが想像できます。
李承晩大統領は、今日に至るまで韓国の反日思想の基礎を作り上げた独裁者であり、後の大量殺戮者でした。
朴殷植は、反日の思想的根拠を捏造によって作り上げた張本人です。
そして主の路程にも登場する金九は、今でも独立運動の英雄として、多くの韓国人の尊敬を受けていますが、実際の人物像は少し違っていたみたいです。
金九は元々日本人を殺した殺人犯であり、数多くの暗殺を指揮したテロリストでした。
真のお父様とも関わりのあった金九についてもう少し詳しく見ていきたいと思います。

金九の起こした殺人事件、1896年鴟河浦事件
食事を注文した時に女給が自分より先に食膳を与えるのを見て憤慨し、閔妃殺害にはなんら関係がない日本人の土田譲亮を日帝・日本人への懲罰として殺害した。
殺害後金品を奪って逃走、捕縛され、強盗殺人犯として死刑判決を受けた。特赦により減刑されたが後に脱獄。

金九の証言(『白凡逸志』日本語版 平凡社(1973年)79ページ)
倭奴(ウェノム)の頭から足の先まであちこちを切りつけた。二月の寒い明けがたのことで、氷が張っていた地面に、血が泉の湧くように流れた。わたしは手でその血を掬って飲み、またその倭(ウェ)の血をわたしの顔に塗り付け…

1921年、ソ連の政治資金が臨時政府に上納されていないという理由で、青年たちに韓国人の共産主義者たちの暗殺を指示。
1922年11月、金九が刺客を放ち、韓国人共産主義者金立が上海で狙撃殺害される。
1932年、韓人愛国団の李奉昌が昭和天皇暗殺を狙った桜田門事件、尹奉吉による上海天長節爆弾事件などのテロを指令。
1947年12月、韓民党の党首・張徳秀を暗殺した疑いで米軍の法廷に召喚される。

このようにいくつかの暗殺を指揮しただけでなく、国時先生の真とのお父様の秘史「救国への奇跡」を見ると、真のお父様をも暗殺しようとしたということが述べられています。

救国への奇跡-大東亜戦争の陰で-国時先生米国講演より
「1946年5月27日の、お父様が急に、お米を買いに行ったその帰り道に啓示を受けて、急に北に行ったということは、蒋介石の手先の金九の一味が、お父様の命に狙いをつけていたということです。」

金九先生というと、今でも韓国で最も英雄視される人物ですが、否定的な評価も現れてきました。
韓国の右翼論客の池萬元氏は「金九は現代版に解釈すればウサマ・ビンラディンのような人間。国を経営できる人間ではない。実力が足りないながらも李承晩に嫉妬した人間」と評論しています。
ジャーナリストの金完燮氏も「偏狭な儒教思想に凝り固まった無知蒙昧な人物」「金九については生まれつきの殺人鬼だと思わずにはいられない」と評論しています。

このような事実を知るまでは、上海臨時政府は大叔父文潤國牧師が詐欺をしてまでお金を作り支援を行っていた独立運動の拠点であり、真のお父様も上海臨時政府と連絡を取りながら日本で抗日運動を展開していたということを学んでいましたので、摂理的にも重要な独立運動組織であると思っていたのですが、一人一人の中心的な指導者たちを見ると残念ながら別の側面も見えてきました。

安重根は韓国側から見ると独立運動の英雄ですが、日本側から見ると伊藤博文元総理を暗殺したテロリストです。
上海臨時政府も韓国側から見ると、独立運動の拠点として大きな役割を果たした機関ですが、日本側から見たらただのテロ組織です。
立場が変われば評価も変わります。
しかしその組織を構成している中心人物たちを見ると、上海臨時政府はとても評価できるものではありません。
大量殺戮者であり、事実を捏造し情報を操作する人たちであり、元々人殺しでありました。
自分達の思想を正当化し、都合の悪い事実は抹消し、反対する者たちを力ずくで消し去る人たちです。
そんな人たちによって作られた反日思想が今も韓国を席巻しています。
だからこそ今正しい歴史教育が必要なのです。

<参考>

大韓民国臨時政府(Wikipedia)

大韓民国臨時政府は、1919年(大正8年)の日本統治時代の朝鮮で起こった三・一運動後、海外で朝鮮の独立運動を進めていた活動家李承晩・呂運亨・金九らによって、中華民国の上海市で結成された朝鮮(韓国)のテロ組織である。

日中戦争勃発後は所在地を上海から重慶に移した。たえまない党派間の対立と連合を続けていたため、蒋介石や中国国民党が党派間の融和ために指導を行っていた。

第二次世界大戦の終戦後、アメリカや他の連合国諸国は大韓民国臨時政府がポーランド亡命政府のように第二次世界大戦で貢献をしていないことから、何かしらの地位を与えることを故意に控えるなど、国際的な承認が得られることはなかった。

1919年9月に統合された臨時政府は国務総理に李東輝を選出し、1920年に李東輝が臨時政府を去ると李東寧・申圭植・盧伯麟が国務総理代理を引き受けた。国務総理代理体制は1922年9月、李承晩の大統領制に改編され、1925年には朴殷植を大統領に選出した。1926年末に構成された金九内閣は1927年、集団指導体制である国務委員制に改編した。

朴殷植(Wikipedia)

朴 殷植は、朝鮮の歴史家、作家、民族主義運動家、政治家。
大韓民国臨時政府の第2代大統領(1925年3月 – 7月)を務めた。

朴の漢文の素養と宋明理学への深い造詣を下地とした、高い文章表現力によって支えられていると韓国では評価され、韓国歴史学で多く参照、引用される。その主著『韓国独立運動之血史』は朝鮮人の民族意識鼓舞の目的で1919年から1920年にかけて、亡命先の上海で、文献や伝聞、新聞資料等の資料から作成したもので、そのため数値や事実関係の検証が徹底しておらず、多数の誤りが(韓国人の歴史家によって)指摘されている。内容について、民族主義を鼓舞するための記述であって考証を意識した記述ではないとの指摘もある。

『朝鮮独立運動の血史』より
 「日本では母子が性交する」
 「日本は国や個人財産に至るまで、みな狡猾と暴力によって奪った」
 「日本はその野蛮な習慣を我が民族に強制し、倫理を冒涜した」

・1919年に起こった韓国独立運動(三一運動)について
 「平和的なデモをしていた朝鮮人たちを、日本軍警察が無差別に虐殺し、日本の軍警察は、馬に乗り剣をふるって横行し、デモ隊を乱撃した。また人の目を刺し、人の耳をもぎ、人の腕を切り落とし、人の鼻をそぐなどの残虐性をはっきした、一般市民も、少女とか、女性の性器を切リ、股裂きをした」
 「日本は独立を妨害するために、あらゆる悪行を犯した。日本は独立を叫ぶ人々に向かって銃を撃ち、民家、教会、学校に火をつけた」
 「10歳にならない少女と婦女子らが恥辱的な扱いを受け、身体を殴られ、幼い少女たちも残酷に殴られ、7歳以下の幼い少女ら300余命が殺害された」

・『朝鮮独立運動の血史』では、3月~5月に集会参加者延べ約202万、死傷者が7509名、負傷者が15961名としている。

・日本警察の集計
 3~4月11日であるが参加人数約49万、死者357名、負傷者802名となっている。
 三・一運動期間中、6月30日までに逮捕され起訴された総数は26865人、第一審判決で最高15年から最低3月未満までの受刑者が22275名であった。
 日本人の憲兵6名と警察官2名が虐殺され、多くの建物が放火されたにもかかわらず、死刑を一人も求刑せず、15年以上の実刑もなく、3年以上の懲役はわずか80人に過ぎなかった。

(朝鮮日報日本語版) 三・一節:国史編さん委が初の公式集計「運動参加者103万人・死者934人」
 2019.2.21(木) 11:02配信 朝鮮日報日本語版

・韓国の国史編さん委員会は20日、1919年3月1日に起きた日本からの独立運動である三・一運動の当時、80~103万人がデモに参加し、725~934人が死亡したとする集計を明らかにした。日帝(日本帝国主義)による既存資料に基づくデモ参加者数58万人、死者553人を最大で1.7倍上回る数値だ。

金九(Wikipedia)

金九は、朝鮮の民族主義者、韓国の政治家、韓国独立党党首。韓人愛国団を率い大韓民国臨時政府主席を務めた。

1919年以来、上海で臨時政府に参加し、大韓民国臨時政府の警察本部長、内務大臣、大統領代理、国務領(大統領)などを務めた。1924年、満州の朴喜光と通じ親日派暗殺、主要公館破壊などを指揮し、韓人愛国団を組織して李奉昌の桜田門事件、尹奉吉の上海天長節爆弾事件を指示した。1940年から1947年まで大韓民国臨時政府の主席であったが、李承晩と対立して1949年6月26日に暗殺された。

1896年鴟河浦事件。食事を注文した時に女給が自分より先に食膳を与えるのを見て憤慨し、閔妃殺害にはなんら関係がない日本人の土田譲亮を日帝・日本人への懲罰として殺害した。金九は後に土田のことを日本陸軍中尉と記しているが、被害者の土田は長崎県出身の商人であった。殺害後金品を奪って逃走、捕縛され、強盗殺人犯として死刑判決を受けた。後に特赦により減刑され、さらにのち、脱獄する。

資料
倭奴(ウェノム)の頭から足の先まであちこちを切りつけた。二月の寒い明けがたのことで、氷が張っていた地面に、血が泉の湧くように流れた。わたしは手でその血を掬って飲み、またその倭(ウェ)の血をわたしの顔に塗り付け…
—金九、『白凡逸志』日本語版 平凡社(1973年)79ページ

1921年、ソ連の政治資金が臨時政府に上納されていないという理由で、青年たちに韓国人の共産主義者たちの暗殺を指示。
1922年11月、金九が刺客として放った呉冕稙と盧鍾均により韓国人の共産主義者・金立が上海で狙撃殺害される。
1932年、韓人愛国団の李奉昌が昭和天皇暗殺を狙った桜田門事件、尹奉吉による上海天長節爆弾事件などのテロを指令する。
1947年12月、韓民党の党首・張徳秀を暗殺した疑いで米軍の法廷に召喚される。

評価
肯定的評価
抗日独立活動が長期に渡ったことや右翼でありながら反共よりも統一志向に基づく活動をつづけたことに加えて、独立後早くに暗殺されたことも関係してか、南北朝鮮・左右両翼から比較的尊敬されている人物として稀有な存在となっている。

否定的評価
韓国の右翼論客であり軍事評論家の池萬元社会発展システム研究所長は「金九は現代版に解釈すればウサマ・ビンラディンのような人間。国を経営できる人間ではない。実力が足りないながらも李承晩に嫉妬した人間」と評論している。
2004年7月27日、ジャーナリストの金完燮も「偏狭な儒教思想に凝り固まった無知蒙昧な人物」「金九については生まれつきの殺人鬼だと思わずにはいられない」と評論して、ソウル高等検察庁に起訴された。

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