①アダム家庭、ノア家庭に見る神様の摂理

①アダム家庭、ノア家庭に見る神様の摂理

神様の復帰摂理を見たとき、アダム家庭においては、アダムが摂理に失敗した時、同じアダムを中心人物に立ててそのまま摂理を展開することはできませんでした。

それはアダムは堕落することにより、神とサタン二人の主人に対応する非原理的存在となったためでした。
同時にアダムは、神の心情に対して千秋万代にわたって消えることのない深い悲しみを刻みこんだ罪悪の張本人であったためです。

そのためアダムを善性品的な存在と悪性品的な存在との二つに分立し、善の表示体であったアベルを摂理的中心人物に立てて、次の摂理を展開しました。

 

ノアの家庭においても、120年の歳月をかけ方舟を建造し、40日の洪水により、全人類を犠牲にしてまで立てた家庭であったにもかかわらず、ノアの次男ハムがノアの裸を恥ずかしがるという、ほんの些細な失敗を犯すことによってサタンの侵入を許してしまい、摂理は失敗してしまいました。
その結果としてノアの家庭は神様から無慈悲に捨てられるほどに、神様の摂理というものは厳格なものだったのです。

 

このように神様の摂理は、1度中心人物が摂理に失敗し、サタンの侵入を許してしまうと、神様は惜しみなくその中心人物を捨て、新しい中心人物を立てて摂理を進めてこられました。

 

 

復帰基台摂理時代2

第一節 アダムの家庭を中心とする復帰摂理

『アダムの家庭における「信仰基台」を復帰すべき中心人物は、もちろんアダム自身であった。
しかし、創造原理によれば、人間は本来、一人の主人にのみ対応するように創造された。それゆえ、二人の主人に対応する立場に立っているアダムとその供え物に対応しようとすれば、サタンもまた、アダムと血縁関係があるのを条件として、アダムと対応しようとする。そうなると結局アダムは、神とサタンという二人の主人に対応するという非原理的な立場に立つようになる。神はこのような非原理的な摂理をなさることはできないので、善悪二つの性品の母体となったアダムを、善性品的な存在と悪性品的な存在との二つに分立する摂理をなさらなければならなかったのである。このような目的のために、神はアダムの二人の子を、各々善悪二つの表示体として分立されたのち、彼らに、神かサタンかのどちらか一方だけが各々対応することのできる、すなわち、一人の主人とのみ相対する、原理的な立場に立ててから、各自供え物をささげるように仕向けられたのである。

 

アダムが献祭をなし得なかった理由は、アダムが献祭をすれば、その供え物には、神とサタンという二人の主人が対応するようになり、非原理的立場に立つようになるからである。なお、そのほかにも、ここには心情的な面におけるいま一つの理由があった。堕落したアダムは、事実上、神の心情に対して千秋万代にわたって消えることのない深い悲しみを刻みこんだ罪悪の張本人であった。それゆえに、彼は、神が直接に対応して復帰摂理をされる心情的な対象となることができなかったのである。』

 

第二節 ノアの家庭を中心とする復帰摂理

『ノアの家庭を中心とした摂理は、み旨成就に対する神の予定の在り方と、人間の責任分担の遂行いかんで神がどのような態度をとられるか、ということを私たちに見せてくださったのである。ノアの家庭は、神が1600年間もかかって求めてこられたのであり、また、ノアが箱舟をつくるまで120年も導いてこられたのであり、それだけでなく40日の洪水により、全人類を犠牲にしてまで立てた家庭であることを、我々はよく知っている。しかし、ハムの小さな過ちによってサタンが侵入するようになると、神は復帰摂理の対象であったその家庭全部を惜しみなく捨てられ、その結果、ノアの家庭を中心とする摂理は、失敗に帰してしまったのである。
また、ノアの家庭を中心とする摂理は、人間に対する神の予定がどのようなものであるかを我々に見せてくださった。神はノアを信仰の祖に立てようと、長い期間を通じて苦労して探し求めてこられたにもかかわらず、その家庭が、いったん、責任分担を全うできなくなったときには、それを惜しみなく捨て、その代わりとしてアブラハムを選ばれたという事実を、我々は忘れてはならないのである。』

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