2、後継者問題

2、後継者問題

人間の性(さが)として、私たちはまず初めに結論ありきで、その結論を正当化するために、いろいろな理屈を作り出してしまいます。
政治家や評論家たちの政治討論を見ても、宗教家たちの宗教的対立を見ても、それぞれが自分の考えの正当性を主張するのみで、相手の話など聞く耳を持ちません。
これらは決して神が人間に与えてくださった創造本姓などではなく、単なる堕落性にすぎません。
このような堕落性に満ちた人間世界では、それぞれの思想信条を越えて、統一世界を作り出すことなど到底不可能と言わざるを得ません。

しかし原理を知らない人が自分の堕落性を理解せず、自己主張を繰り返すばかりで、他人の話を聞こうとしないというようなことは、ある意味仕方のないことだともいえます。
原理を知らないがゆえに陥る落とし穴であれば、原理を学ぶことによってその堕落性は克服できるかもしれないからです。

しかし原理を学び、原理を教育するような立場の人たちが、原理を知らない人たちと同じような落とし穴にはまってしまうとしたら事は重大です。
自分は原理を知っているということで、原理を知らない人たちよりも正しい人間だと傲慢な思いに陥り、無意識のうちに相手を見下してしまいます。
また自分の最初に抱いた結論を正当化するために、原理用語を駆使し、自己正当化の理論を作りあげ、周りの人たちまで巻き込んでしまいます。
同時に他人の意見に一切耳を貸すことなく、頭ごなしに否定し、何が真実なのかを客観的に見つめようとしません。
そんな人たちには、原理で人を正しく導くことはできないし、理想世界を作ることもできるはずがありません。

多くの場合、最初に導き出した結論は、自分にとって心地よい、都合の良い結論であり、その結論を否定することは、多大なる犠牲を払うことになってしまうのです。
ですから自分を否定することが出来ず、自己犠牲の道を行くこともできないため、最初の結論に執着し、真理を受入れることもできなくなるのです。

しかしその道は、真理を否定する道であり、神を裏切る道であり、自己愛の結果としてサタンの元へと向かう、破滅の道です。
そのことに気づくためには、まずは自分が導き出した結論を一旦捨ててしまわなければいけません。
そして自分の損得を忘れ、どこまでも客観的な立場に立って、真理に従う謙虚な姿勢が要求されます。
ただ神の願いに生き、神の願いを果たすために、100%自分を捨てることができれば、必ず正しい答えが見えてくるはずです。

ここで参考に、徳野会長が真のお父様の病床に行った時、どのような心情になり、どのような決意をされたのかを見てみることにします。
2016年10月16日、盛岡家庭教会における出征式で語られた内容(「世界家庭」2016.12/P.19〜)

『真のお父様の病室に入れていただいたとき、13本の管を体にお付けになったお姿に衝撃を受けました。私はそのときはっきり分かったのです。お父様は間もなく霊界に行かれるだろうと。
そして次の瞬間に脳裏をよぎったのが、私自身ももちろん、どの食口も一度たりとも経験したことがない、「お父様が地上におられない統一教会」の時代にいよいよ入るのだということでした。私は「信仰観を切り替えなければならない」と思いました。
つまり、あまりにも真のお父様の存在感が強烈なので、どうしても、どちらかといえば真のお父様だけを見詰めがちな信仰から、お父様を見詰めてきたのと同じ心情基準、信仰基準で、お父様の代身である真のお母様を見詰めて歩んでいくという信仰に切り替えるということです。
真のお父様を慕うのと同じ信仰基準で、どこまで真のお母様を見詰めることができるのか、言い換えれば、お父様が地上からいなくなられても、寂しく思わない心の状態を保つことができるのか。それが問われる時代を、いよいよ迎えるのだと思いました。
そして、「地上においては、真のお父様中心の信仰の時代とも言うべき統一教会の歴史の第1章が終わり、真のお母様中心の信仰の時代ともいうべき第2章が始まろうとしている。すなわち、統一教会の第2幕が開けるのだ」と心に深く刻み込んだのです。』

この講演内容を見ると、旧統一教会、現家庭連合の会長である徳野会長は、真のお父様亡き後の教会は、韓お母様が中心となるということを無条件受け入れ、その事実をいかに受け入れるかというところに信仰を立てたということがわかります。
そしてその後の教会から発せられる指針も、韓お母様の言われることを、無条件受入れることにのみ信仰を立て、韓お母様のみ言に疑義を抱くことは許されない状態でした。
たとえ韓お母様がご自分を「独生女」と言われたとしても、たとえ韓お母様が、真のお父様には原罪があったと言われたとしても、無条件韓お母様の言われることを受入れることが信仰となったのです。

会長である徳野会長が韓お母様を後継者として無条件受け入れることに信仰を立てたように、家庭連合ではほとんどの食口たちも、韓お母様を後継者として無条件受入れることに信仰を立てるようになりました。

そのため家庭連合では、韓お母様こそが真のお父様の後継者であり、「独生女」であるということを正当化するため、真のお父様の都合の良いみ言のみを引っ張り出しては、「独生女」神学を作り上げています。
最初に結論ありきで、その結論を正当化するための理論作りを行っているのです。
後継者問題は、旧統一教会の分裂問題の中でも、最も核心的な問題です。
旧統一教会が家庭連合となり、ある意味自然な成り行きで韓お母様が権力を継承しましたが、真のお父様の御心は実際はどこにあったのでしょうか?
後継者問題を最初に結論ありきで考えるのではなく、神の願い、真のお父様の願いはどこにあるのかを、何の先入観も持たずに、白紙の状態で考え、そこで得た結論を素直に受け入れる謙虚さが私たちに求められているのではないでしょうか?

 

ここではまず、真のお父様に直接に侍り、共産圏の地下伝道活動で投獄され迫害されながらも、常に神様がともに居り、守ってくださり、真のお父様のみ言を命として歩まれた元ナショナルリーダーの、公平、中立的に分析した後継者問題の小論を紹介させていただきます。

み言に対し常に謙遜に対してこられた大先輩であるだけに時系列に従い、客観的に後継者問題を理解し解説されています。
後継者問題においては、この元ナショナルリーダー以上に正確で、説得力ある解説に出会ったことはありませんし、この小論を参考にまとめようと思っても、この小論を越えることはできませんので、小論そのものをできるだけ簡略にまとめてここに紹介させていただくことにいたしました。

分量が多かった為、できるだけ簡略にまとめようとしましたが、重要な内容が多かった為、結局はかなりの分量となってしまいました。
しかし無理に分量を減らそうとしたため、元ナショナルリーダーの意図しない内容になってしまいましたら申し訳ありませんので、できるだけ元本を最低一度以上お読みいただければ幸いです。

 

参考にさせていただいた元本は、以下の3つになります。

徳野会長の「真の父母様の一体不可分を示す8つの根拠」を公正、中立的な立場で見ましょう。

「真のお父様が願われる真の後継者は誰か?part1」

「真のお父様が願われる真の後継者は誰か?part2」 完結編

 

 

※資料(二)2-0 審判回避プロジェクト
55徳野会長の独生女擁護の動機はお金

□徳野会長:真のお父様の病室に入れていただいたとき、13本の管を体にお付けになったお姿に衝撃を受けました。私はそのときはっきり分かったのです。お父様は間もなく霊界に行かれるだろうと。
□徳野会長:そして次の瞬間に脳裏をよぎったのが、私自身ももちろん、どの食口も一度たりとも経験したことがない、「お父様が地上におられない統一教会」の時代にいよいよ入るのだということでした。私は「信仰観を切り替えなければならない」と思いました。
□徳野会長:つまり、あまりにも真のお父様の存在感が強烈なので、どうしても、どちらかといえば真のお父様だけを見詰めがちな信仰から、お父様を見詰めてきたのと同じ心情基準、信仰基準で、お父様の代身である真のお母様を見詰めて歩んでいくという信仰に切り替えるということです。
□徳野会長:真のお父様を慕うのと同じ信仰基準で、どこまで真のお母様を見詰めることができるのか、言い換えれば、お父様が地上からいなくなられても、寂しく思わない心の状態を保つことができるのか。それが問われる時代を、いよいよ迎えるのだと思いました。
□徳野会長:そして、「地上においては、真のお父様中心の信仰の時代とも言うべき統一教会の歴史の第1章が終わり、真のお母様中心の信仰の時代ともいうべき第2章が始まろうとしている。すなわち、統一教会の第2幕が開けるのだ」と心に深く刻み込んだのです。

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