4、真のお父様の聖和前後の権力闘争
真のお父様の晩年、真のお父様御聖和後の韓お母様を中心とした権力闘争が、水面下で激しくなされていたことは次第に明らかになってきました。
その過程で、後継者有力候補だった文顯進様、郭錠煥先生は策略にはまり、真のお父様の元を離れ、教会から多くのものを奪って独立してしまいました。
真のお父様の後継者として足場を固めつつあった文亨進様も、文國進様とともに教会から干され、ついには人知れず教会から追い出されてしまいました。
韓お母様を陰で操り、権力闘争の中心にいた人物こそが奸臣、金孝律氏でした。
しかし権力闘争の末に手に入れた地位は、次の権力闘争の末に奪われることとなり、金孝律氏もあっという間にその権力を失うこととなりました。
金孝律氏が権力を失うこととなった原因は、韓お母様を使い、金孝南訓母様を中心とした清平の経理の流れを追求した結果、逆に金孝南訓母様に返り討ちにされたからでした。
しかし金孝律氏は、そのままで終わるような人物ではありませんでした。
清平の不正融資献金問題を国税に訴えることにより、金孝南訓母様の失脚に成功しました。
何故旧統一教会、現家庭連合は、常にこのような権力闘争が続いているのでしょうか?
それは真のお父様のご生前、韓お母様自身は教会運営に直接携わっていたわけではなかったため、誰を頼りに教会を運営すべきか定まらなかったため、このような混迷した状況を招いてしまったものと思われます。
真のお父様のご生前は、自分の言うことを聞くだろう文亨進様、文國進様を中心に教会を運営すべく、その足場固めを進めていました。
しかし韓お母様は、真のお父様と違う道を歩まれると感じた文亨進様、文國進様は、韓お母様の姿勢に異議を唱え、結果的に追放されることとなりました。
次に信頼を寄せていた金孝律氏に絶対的な権力を与えましたが、清平の献金も手に入れようとし、逆にその位置さえも失うこととなりました。
そこで次に韓お母様を掴んだ人物が金孝南訓母様でした。
しかし金孝南訓母様は、韓お母様の信頼を得たというよりは、清平の利権を利用し、韓お母様を自分の思い通りに操ろうとしたにすぎませんでした。
その結果金孝律氏の逆襲を受け、清平での利権も全て失う結果となりました。
まさしく韓お母様を中心として、お金と権力の奪い合いがなされてきたのです。
ではその辺の権力闘争の路程を辿ってみることにしてみます。
この記事へのコメントはありません。