選ばれし民 ②文先生の獄中生活

★選ばれし民 ②文先生の獄中生活

韓国を摂理的中心国家として立てるために、神様は40年間日本をサタンの手に委ね、韓国を占領せしめました。

その40年間、日本からの迫害を受け、メシヤを迎えるための蕩減条件を立てることのできた韓国は、1920年に文先生を迎えることにより、6000年の歴史の結実体としてのメシヤを迎えることができました。

その結果韓国も、メシヤを迎えた中心国家として、選民国家としての位置を確立し、韓民族も選ばれし民、選民となることができました。

つまり韓国が選民国家となり、韓民族が選民となることができたのは、韓国の地に、韓民族の中にメシヤである文先生をお迎えすることができたからでした。
韓国が選民国家となり、文先生をお迎えするためには、蕩減の道を歩む必要があったために、40年間の日帝迫害時代が必要でした。

同じように文先生も生涯6度の獄中生活を経験し、苦難の路程を歩まれました。

しかし文先生の苦難の路程は、本来は必要のないものでした。

神様が用意された摂理に成功していたら、王の王として、苦難の路程を歩む必要はありませんでした。

文先生は残念ながら、第一次の摂理に失敗したため、蕩減の路程を歩まざるを得なくなり、6度の獄中生活も経験することになりました。

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具体的に6度の獄中生活を挙げてみると、

①1944年10月  :京畿道警察部、共産主義者の疑いをかけられ、日本の警察による拷問。
~1945年2月 ⇒拷問を受けながらも、友人の名前を吐かずに解放

②1945年10月  :定州において収監され、過酷な牢獄生活。

③1946年 8月11日:北朝鮮平城の大同保安署、キリスト教指導者の反感と李承晩のスパイの容疑で拘束。
~11月21日(103日間)⇒半死半生の状態で解放。

④1948年 2月22日:キリスト教既成教団の嫉視と共産党当局の宗教抹殺政策により内務署拘束。
5年刑の宣告で平城刑務所に収監。興南特別労務者収容所にて強制労働。
1950年10月14日:国連軍の興南爆撃により2年8か月ぶりに解放。

⑤1955年 7月 4日:異端的信仰を理由にソウル中部警察署に拘束、西大門刑務所に収監・・・梨花女子大学事件。
10月 4日:無罪放免

⑥1984年 7月20日:脱税容疑でアメリカ、コネチカット州ダンベリー連邦刑務所に収監。
1985年 8月20日:完全出監。

このように6度も牢獄生活を経験された文先生でしたが、ここでもっと詳しく分析をしてみると、文先生がメシヤとして投獄されたのは4回であり、あとの2回は、別の理由で投獄されたということに気が付きます。

神様が用意された第一の摂理は、洗礼ヨハネ使命者であった金百文牧師が、文先生を不信することにより失敗に終わりました。

そのため文先生は、1946年の4月に金百文牧師の元を離れたのでした。

つまり上に示したように文先生の路程の中で、1946年4月以前の獄中生活は、メシヤとして受けるべき蕩減としての牢獄生活ではありませんでした。

それでは次回、文先生の牢獄生活をもっと詳しく分析してみましょう。

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