③イエス再臨時

③イエス再臨時

今まで神の摂理を担ってきた中心宗教は、一度摂理に失敗し、サタンの侵入を許してしまった場合、神はそれ以上その中心宗教に働くことができなくなります。
そしてその中心宗教の中から異端の姿をもって新しい中心が生まれてきます。

かつての中心宗教は、新しい中心宗教に多くの信者が奪われることを恐れ、本来の自らの使命を忘れ、自己保身に走り、新しい中心を迫害するようになります。

しかしどんなに迫害したとしても、神が離れたかつての中心宗教には天運は働かず、衰退の一歩を辿るようになります。
または自己保身に走った結果、新しい中心を迫害することで神のみ旨を妨害するようになり、サタンの手先となってしまいます。

 

イエス再臨の時代、神は2000年かけて用意したキリスト教の基盤の上に再臨摂理を進められようとしましたが、キリスト教は再臨の主を受け入れず、2000年前のユダヤ教と同じように再臨主を迫害するようになりました。
その結果再臨主は、キリスト教の中から異端者の姿で現れ、誹謗中傷を受けながらも、新しい中心宗教として統一教会を創設し、新しい摂理を出発されました。

 

再臨の主が現れ、統一教会を出発した現代、神はかつての中心宗教であったユダヤ教やキリスト教を立てて、再び摂理を出発することはありませんでした。
逆にユダヤ教、キリスト教は、今となっては新しい中心宗教を迫害し、摂理を妨害するサタン的立場に立ってしまっています。

 

再臨主として降臨された真のお父様は統一教会を創立し、今日まで神の摂理の中心宗教としての使命を果たしてきました。
しかし真のお父様の聖和を前後して、新しい時代が始まりました。

つまり内部は腐敗堕落し、権力闘争に明け暮れ、既得権益を守るために内的刷新を行おうとする子女様たちを排除し、韓お母様を中心とする絶対体制を作り上げました。

ここに至るまで権力闘争に負けた子女様たちは、教会の資産の50~70%と、多くの信者を連れて出ていった3男、文顯進様、郭錠煥グループと、教会の基盤は何も持たずに、裸一貫で出ていった文亨進様、文國進様のサンクチュアリ教会の3つに分裂してしまいました。

 

もともと再臨の主、真のお父様によって建てられた統一教会、家庭連合は、韓お母様を独生女として侍る、全く異質な団体へと変貌してしまいました。
つまり真のお父様を再臨主として、真の父母として受け入れ、信じることでスタートしたにもかかわらず、今では真のお父様は原罪を持って生まれてきたと語るようになりました。
真のお父様の遺言ともいうべき『8大教材教本』の代わりに、『天聖経』『平和経』『真の父母経』を『天一国経典』とし、真のお父様が晩年、力を入れて教育した『原理本体論』を排斥してしまいました。
また文氏の血統を蔑ろにし、韓氏の血統を尊ぶようになりました。

 

韓お母様が真のお父様の後を継ぐ名目は、韓お母様と真のお父様は完全一体化なされたということでしたが、韓お母様の改革は、真のお父様の排斥であり、韓お母様の絶対化となっています。

先日ある日本人幹部が韓お母様に恐る恐る、「韓お母様と真のお父様は完全一体化していますよね」と尋ねられたところ、「一体ではない」とはっきりとおっしゃられたと言います。
これは実際質問をした本人や、その場に居合わせた幹部たちが、はっきりとした形で証言としてネット上に残している事実ではないため、何の証拠もない、単なるうわさ話でしかありません。
しかし最近の韓お母様の言動を考えると、

「真のお父様は原罪を持って生まれてきた。」
「韓お母様は、6千年ぶりに誕生した独り娘です。」
「韓お母様は、胎中にいる時から『血統転換』されていた」
「皆さんは独生女である韓お母様に出会えたということが、この上ない恵みである」

このように話されていますから、韓お母様としては、真のお父様と完全一体ということは、自らの価値を下げてしまうことになります。
韓お母様は真のお父様よりも貴重な存在であり、神そのものであると思っておられますので、真のお父様などよりもはるかに尊い存在であり、一体だなととは失礼だという意識が働いていることと思います。
今後は一層、真のお父様とは一体ではないということを公式的に明らかにされるようになることでしょう。

 

このような家庭連合の姿を見たとき、新しい中心が出てきたときのユダヤ教、キリスト教の姿を彷彿させます。
自分たちの利権を守ることに汲々とし、新しい中心を迫害し、自己保身に躍起になっているようにしか見えません。
こんな家庭連合に神は働くのでしょうか?

日本にいる末端の信者は、どこまでも純粋に上から言われたとおりに実践し、何の疑いも持たずに厚い信仰を捧げています。
しかしその姿は思考を停止した、主体的信仰を忘れた僕の僕の信仰でしかありません。
神が願う実子の信仰でもなければ庶子、養子の信仰までも行きません。
僕の僕、せいぜいよくても僕の信仰でしかありません。
そんな信仰ではを神は喜ばれることはないでしょう。
その段階の信仰に止まるということは、神の前でも僕の僕か、僕の姿にしかなれないことを意味するからです。

神はあくまでも信仰生活を通じ、私たちが神の子としての心情と身分を復帰することを願っています。
そして親なる神と子なる私たちとが、地上天国、天上天国で親子として永遠に一緒に暮らすことを願っているからです。
そんな神の願いにこたえるためには、上から言われたことだけをやっていればいいというのではなく、自分で考え、自分の意識と責任で行動することです。

 

新しい中心を迫害する古い中心には、二度と再び神は働くことはありません。
神が働くどころか、神のみ旨を妨害する、サタンの急先鋒となってしまいます。
それは原理が証明しています。
歴史が証明しています。

 

新しい中心は、古い中心の中から、異端者の姿をもって生まれてくるのです。
異端者として生まれてきた新しい中心は、裸一貫何も持たなかったとしても、真理を宿す、神が働かれる中心であるために、古い中心はその新しい中心に対し最も恐れを抱くのです。
これは原理が明かした真理であり、歴史が証明した真理です。

神の召命に答え、神の御旨に集った者たちは、再び神が宿ることのない宗教に固執することなく、新しい摂理の中心宗教を求め、神の願いに生きるべき時を迎えたのではないでしょうか?

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