我々の信仰

1、メシヤ観

人類が歴史を通し待ち望んできた救世主、メシヤ。それは誰なのかは誰にも分りません。何故ならメシヤをメシヤとして証明する手段がないからです。人類史上ただ一人、メシヤと信じられているイエスキリストでさえも、メシヤとして信じられているだけで、いまだに証明されたわけではありません。それ故誰よりもメシヤを待望していたユダヤ人達でさえ、イエスを一人の予言者として見ているだけで、メシヤとは認めていません。聖書66巻は、イエスをメシヤと証す書物と言われておりますが、イエスの業績は綴られていますが、メシヤの証明はできていません。つまりメシヤをメシヤとして証明する手段はないのです。最後は、信じるか否かの問題となります。

しかしメシヤと言われる人の多くは、本人、または洗礼ヨハネ的人物への霊的な啓示によって、メシヤと証している場合が多いでしょう。しかしそれでは、厳密には何の証にもなっていません。霊界がメシヤが誰なのかを知っているという保証はありません。かえって神のみ旨に反逆する、悪霊による啓示の可能性が高いのです。それゆえイエスは、「『見よ、ここにキリストがいる』、また、『あそこにいる』と言っても、それを信じるな。」と言っています。

私達がメシヤと信じる真のお父様の場合も、1935年4月17日、15歳で召命されてから、1992年7月3日『メシヤ宣言』をするまでに、57年もの歳月を要しました
1945年に、神が用意した基盤がその責任を果たし、真のお父様がメシヤとして立つことが出来たらば、7年間で復帰は完了していました。本来はその時に『メシヤ宣言』をするはずでした。
しかし1945年当時、神が用意された洗礼ヨハネ型人物たちが、その責任を果たせなかったため、40年間の蕩減期間を経て1985年を迎え、そこから7年後の1992年7月3日に初めて『メシヤ宣言』を行ったのです。

しかしながら真のお父様は、メシヤとしての公生涯を始めてより、多くの人々に啓示で、特別な人、メシヤであるということが示されてきました。
イエス様が洗礼ヨハネから祝福を受けたように、1945年12月25日には金百文牧師からソロモン王の祝福を受けました
「主なる神の夫人」朴老婆からは、主管性復帰の役事を行い「神様の対象実体である」との証を受けました。
東洋のエルサレムと呼ばれていた平壌では、真のお父様が生まれる前から「霊界で先生に会い、先生の指導を受けた」というお婆さんがいました。
興南特別労務者収容所では、何人もの囚人に、特別な方であるという啓示が降りました。
平壌から釜山へと非難する最中も、啓示を受け真のお父様を待っている人たちに会いました。

釜山で真のお父様が最初に伝道された姜賢實先生の証にも次のようなものがあります。(2017.1.8)
「この方はイエス様を信じてもいない人でしたが、霊界には通じる人でした。私が教会に1954年5月1日に、お写真を置いておきました。そうするとその人がそのお写真をじーっと見て、『うわーっ、今日私はここで大きなものを探し出しました。』と言いました。その大きなものが何かというと、その人がお写真を指差しながら『世界を統一なさるのはこの方です!』と言ったのです。(拍手)それで私はとても驚きました。お父様に会ったこともなく知りもしないのに、そのお写真を初めてみただけなのに、その人が言うには『世界を統一できる神様の御子であり、再臨主として来られたのが即ちこの方です!』と証ししたのです。
この人はどんな方かというと、大統領就任式がある度に招待される人で、『今日この国はとても発展するでしょう。このような素晴らしい大統領を国民の皆さんが選んでくださって、ありがとうございます。』と国民にお辞儀することがありました。

1996年にあった『地球村科学会議』では、超能力者でもあり、有名な画家でもあった米国のナネット・クリスト・ジョンソン女史が論文の中で、韓国の服装をした天上の弥勒菩薩の映像を見て、真のお父様にそっくりな姿を描いて発表しました。

このように記録に残っているだけでも何人もの人たちに、特別な存在、メシヤという啓示が何度も下されてきましたが、真のお父様ご自身は、原理的勝利基準を立てるまでは、決して自らをメシヤとは証しませんでした。

このような真のお父様のメシヤ宣言の基準をベースとして、韓お母様の『独生女』宣言を見てみることにしましょう。
『ここに座っている真の母は、「6千年ぶりに誕生した独り娘です。」許孝彬の母親になられる方が私を呼んで祝祷をしたのです。肉体を持ってくる再臨メシヤを迎えられる実質的な準備をする団体が私を祝福したのです。』

韓お母様がご自身を『独生女』であると言う根拠は、『腹中教』教祖許孝彬の母親がなさった祝祷にあります。しかしこの程度の霊的役事というものは、多くの宗教家や、信仰者にはよくあるできごとであり、これをもって『独生女』つまりメシヤであるというのは、あまりにも無理があると言わざるを得ません。『腹中教』教祖許孝彬氏自身、真のお父様を不信し、摂理に失敗した立場で、獄中にて悲惨な最期を遂げた人物です。その母親にどれほどの霊的権能があるのでしょうか?

真のお父様は、血と汗と涙の路程を通し、原理的な戦いの末サタンに勝利し、メシヤとしての勝利圏を拡大してきました。一方韓お母様が勝利したのは、真のお父様の聖和後の、教会内での権力闘争での勝利しかありません。韓お母様の『独生女』宣言が本物か否かは、遠くない、ごくごく近い将来に明らかになることでしょう。

2017年1月8日 文亨進様説教『統一教会のマザーテレサ』

3、韓お母様の独生女宣言

2014年7月1日の真のお母様の訓読会で、韓お母様は統一教会における歴史的宣言『独生女』宣言を行いました。韓お母様がご自身を『独生女』であると言う根拠は、

①『腹中教』教祖許孝彬の母親がなさった祝祷。
②韓お母様は、胎中にいる時から『血統転換』されていた。(お母様の家系は三代が一人娘だった)

ということに集約されます。あとは、『皆さんがこのことを信じなければなりません。』と言って、信じることを強要しています。

この宣言を聞き、最初は教会の方針としては、韓お母様の『独生女』宣言を、何とか隠そうとしていましたが、韓お母様はことあるごとにそのことを強調されるようになったため、今度は逆に『独生女』宣言を正当化するための理論構築をするようになり、理屈に合わないおかしな原理が教育されるようになってきました。
その後も韓お母様は、自らは『独生女』だということを何度も強調され、2016年の2月には、教会の元老食口や、日本人公職者向けの再臨論を語られました。
その内容を要約すると、
・イスラエル民族は、4000年かけて独生子を求め、イエス様を迎えられた。
・イエス様は結婚できなかったため、キリスト教は2000年の歴史を通し独生女を探し、イエス様は子羊の婚宴を行うため再臨すると言われた。
・イエス様によって独生子の位置は残っていたため、お父様は16歳の時にイエス様から独生子の位置を引き継がれた。
・肉親を持って生まれる再臨主を待つ神霊的な団体に因縁づけられた3代が、李龍道牧師と李浩彬牧師の祝祷を受け誕生されたのが韓お母様であった。
・サタンが「赤ん坊よ。この堕落した世界の最後に神様が探すべき独生女だから殺す」と言って、韓お母様を殺そうとした。
・4000年間にわたるイスラエル民族の蕩減摂理を通じてイエス様を誕生させたように、韓お母様もそういう立場で生まれたので原罪がない。
・監獄に入っていた許孝彬氏のお母さんが韓お母様を呼び出し、「宇宙の母になる」と祝祷した。
・趙氏ハルモニは韓お母様に「お前の父親は神様だ」と言いました。韓お母様の肉身の父母は乳母だというのです。
・BC800年から400年の間に東夷族を通した韓氏王朝があった。
・1960年に池承道ハルモニを通じて多くの霊界の話が語られ、「宇宙の母になる方は韓氏でなければならない」と語られた。
・韓国が6.25動乱で焦土化していた時に大邱で、通り過がりの道人が大母様を見て「奥さん、この子は息子が10人いたとしても羨ましくない子供です。だからよく育てなさい。16歳になったら嫁に行く。夫になる人は年がちょっとある。しかし金持ちだ。」と言われた。

このようなことを語られながら、自らは『独生女』であることを強調されました。

さらには2016年12月25日、「真のお父様は原罪を持って生まれた」とついに明言され、「真のお父様には兄弟たちがいる」ということがその根拠だと言われました。同時に韓お母様は聖婚前から原罪が無かったことを強調され、元老牧会者達に40日修練をもう一度受けさせ、韓お母様の再臨論を徹底させるようにとの指示を出されたとのことです。

ここで一度、『独生女』の定義について考えてみます。
韓お母様が語られる『独生女』とは、イエスを指すところのメシヤとしての『独生子』と同義語で、女性メシヤを意味していると思われます。
この『独生女』とは、家庭連合でも真のお父様も何度も使われていると言っていますが、真のお父様が使われる『独生女』とは、『独生子』の相対としての『独生女』であり、韓お母様の語られる『独生女』とは意味が全く異なります

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では、イエスはひとり子となりましたが、ひとり子に相対できる独生女がいましたか?救援歴史は復帰であると言いました。独生女はどこにいますか?堕落した奴です。堕落した奴。」  出典:み言選集 394巻36ページ 2002.10.06 <絶対信仰・愛・服従と祖国光復の道>

「『神様の長男が生まれたというのです。しかし、ひとり子は生まれましたが独生女はいませんでした』独生女がいますか?サタンが奪っていきました。これを探さなければなりません。アダムの相対をアダムに似せて創造したものを失ってしまったので、アダムのために創造されたものを失ってしまったので、アダムが探してこなければなりません。」  出典: み言選集 346巻60ページ 2001.06.21 <神様王権即位と真の父母>

再創造の歴史の中で独生女はどのようにして探すのか?独生女はアダムによって再創造されなければなりません。神様がアダムの肋骨を取って配偶者を創造されたという事実に注意しなければなりません。

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韓お母様が自らを『独生女』であると宣言されていることは、ある意味で正しいと言えます。しかしそれはあくまでも、真のお父様の語られる、『独生子』の相対としての『独生女』という意味でです。
『独生子』の相対としての『独生女』は、真のお父様によれば、「救援歴史は復帰であると言いました。独生女はどこにいますか?堕落した奴です。堕落した奴。」「独生女はアダムによって再創造されなければなりません。神様がアダムの肋骨を取って配偶者を創造されたという事実に注意しなければなりません。」と語っているように、『独生女』は「堕落した奴」であり「アダムによって再創造されなければなりません」とあります。つまりもともと原罪を持って生まれた女性を、原罪のないアダム『独生子』が復帰し、再創造しなければいけないと語られているのです。

韓お母様は『独生女』で間違いはないでしょう。ただそれは、『独生子』の相対としての『独生女』という意味でです。韓お母様が自らを『独生女』と証明するために語られる証も、実際『独生女』と証すための啓示的なものだと思います。真のお父様も、李龍道牧師と李浩彬牧師も、許孝彬氏のお母さんも、池承道ハルモニも、大邱の通り過がりの道人も、韓お母様を『独生子』の相対としての『独生女』として祝福を与えたもので間違いないでしょう。にもかかわらず韓お母様は、自分は女メシヤとしての『独生女』だと思い込んでしまいました。天使長たちが韓お母様を利用しようと、長い年月をかけて囁き、誘惑してきたため、韓お母様もその気になってしまったのでしょう。

この違いは、天と地の違いにも相当するほどの、大きな間違いです。『独生子』の相対としての『独生女』と理解していたら、韓お母様もその分を越えることなく、真のお父様の後継者をご子女様に任せ、自らは表に立つことなく、母子協助に徹することもできたかもしれません。

それが人類歴史6000年の結実としてのメシヤ『独生女』と思い込んでしまったために悲劇は起こりました。「私は神だ」「私は生まれたときから無原罪だった」と思い込み、さらには「真のお父様は原罪を持って生まれた」とまで言うようになってしまいました。その結果、真のお父様と御聖婚されてからの50年余りの精誠はすべて失われ、歴史上女性として最高の栄えある立場、真の母としての位置も失われてしまいました。それどころか神の御旨に反逆する者として、神と真のお父様にとっての一番の恩讐となってしまい、サタンよりも罪深い立場にまで堕落してしまったかもしれません。自分だけではなく、真のお父様に生涯をかけて従ってきた、神の聖徒たちをも惑わし、自分と同じ地獄へと引きずり込もうとしているのです

真のお父様から祝福の権能を相続されていないにもかかわらず、真のお父様が決して許さなかった祝福までも与えるようになりました。それはサタンの讒訴条件の残る祝福であり、神の血統への血統転換の行われない、サタンの血を引き継ぐだけの一般の結婚と同じです。統一教会の食口たちに偽りの聖酒を与え、真のお父様に接ぎ木された血統を、もう一度サタンの血統へと接ぎ木しなおしました。さらには聖塩、聖土を与えることにより、死後もその肉体をサタン的悪霊に主管されるように呪縛を与えています

これらは全て、韓お母様が自らを女メシヤ『独生女』と思い込んでしまったことによる悲劇です。たったこれだけのことで、多くの聖徒たちを地獄に引きずり込もうとしているのです。
ノア家庭でのハムの過ちのように、アブラハム家庭でのアブラハムがハトを裂かなかった失敗のように、モーセ路程で12人の斥候のうち10人が不信仰な報告をすることで、後に10の部族が滅んだように、イエス様を受入れるべきだった洗礼ヨハネが、イエス様に従わなかったために天国でもっとも小さきものとなったように、韓お母様のほんの小さな思い込みにより、多くの聖徒たちを巻き込み、地獄への道をひた走っているのです。

しかしここまで韓お母様の真のお父様への裏切りがはっきりした今でも、韓お母様を盲信し続ける家庭連合食口たちにも、残念ながら責任はあります。韓お母様を信じるか信じないかは、あくまでも本人の責任分担です。本人が原理を学び、真のお父様のみ言を研究し、情報を収集し、何が真実で何が偽りかということを、自分の人生をかけで追求しなければいけません。韓お母様やアベルが言うから無条件正しいなどというのは、小学生レベルの信仰です。何の努力もしないで、後から韓お母様に騙された、教会幹部たちに騙されたなどと言っても、そんな言い訳は通用しません。
今の時代、求めればいくらでも正しい情報を手にすることができるからです。

しかし純粋で、疑うことも知らない一般食口たちに、間違った指導を続ける教会指導者たちは、最も罪が重いと言わざるを得ません。教会幹部や教職者たちの多くは、自分で原理的に、何が真実で何が偽りなのかを判断する能力はあるはずです。無かったとしたならもちろん指導者失格です。原理のわかっている指導者たちは、韓お母様も、家庭連合も間違っていることは重々承知しているはずです。それにもかかわらず韓お母様の指示を守り、牧会を続けるというのは、教会を追い出されたら、自分の生活が成り立たないという自己保身からきているのではないでしょうか?もしそうなら、信仰者としてはもちろん、人として最低です。自分の生活のために、間違っていることを知りながらも、間違った指導、嘘をつき続けるのですから、それは確信犯でしかありません。今一度自分を振り返り、神様の願いを祈り求め、今自分は何をなすべきかを真剣に考えなければいけません。そして結論が出るまでは、何もしてはいけません。確信が持てるまでは、行動に移してはいけないのです。間違った行動を行ったら、その結果また多くの人たちを巻き込んでしまい、さらに罪を重ねるだけです。

真剣に神に祈り求めたら、必ず神は答えを与えてくれるでしょう。
神を信じ、神に委ね、信仰の原点に戻るべき時が今の時と言えることでしょう

2016年2月24日 ■韓お母様の再臨論「お父様は原罪を持って生まれた」とついに明言された韓お母様
真のお母様の核爆弾級クリスマス発言 – お父様は原罪を持って生まれ、私は原罪無く生まれた。
韓お母様独生女論に対する真のお父様の反論

4、聖酒問題

統一教会の儀式の中でも、最も重要な儀式が聖酒式です。
真のお父様は16歳でイエス様から啓示を受け、血と汗と涙の路程を通じ、命がけでサタンと戦い勝利した結果、サタンの讒訴の及ばない絶対的勝利圏を打ち立てました。こうして人類歴史6000年の結実として、初めて罪のない、神の血統をこの地に迎えることのできる条件を打ち立てた真のお父様は、聖酒式を通じて人類が血統転換を行えるようにしました。よってこの聖酒は、サタンに勝利した真のお父様とその勝利圏の相続者以外には、誰にも作ることはできません。

2013年1月13日の基元節、韓お母様を通じ全食口には、基元節聖酒が与えられました。この聖酒は、真のお父様が基元節のために用意された、特別な聖酒と思われていました。しかし実際は、韓お母様が用意されたものであり、真のお父様とは関係のない聖酒だったというのがサンクチュアリ教会の主張です。

そして2016年6月12日以降、2017年3月まで、「天一国4大聖物伝授及び聖酒式」特別恩赦ということで、全国で聖酒式が行われています。家庭連合では、真のお父様の聖和後、韓お母様は真のお父様と完全一体を成し遂げられた土台の上で、3年間の「侍墓精誠」の勝利の基台の上で、今回の聖酒を与えてくださったと言っています。

韓お母様は、2012年1月18日、真のお父様の不在の時に、金孝南訓母様が祭司となり、神様(霊的存在)との結婚式を行いました。つまり天地創造神である神様、真のお父様とは関係のない、何らかの霊的存在、サタンと結婚することで、神様、真のお父様との関係を断ち切ってしまいました。

この3年間韓お母様は、韓お母様を利用しようとする韓国人幹部たちの権力闘争の中心にありました。そして自らのことを独生女と宣言し、神であるとまで言われました。同時に真のお父様の立てられた伝統を次々と破壊し、血統を否定し、ついには真のお父様には原罪があったとまで言われるようになりました。

果たしてこのような韓お母様は、3年間の「侍墓精誠」を勝利したと言えるのでしょうか?真のお父様への「侍墓精誠」どころか、真のお父様を排除し、完全に独自路線を歩み始めた3年間でした。
家庭連合が言うところの3年間の「侍墓精誠」は全くの虚偽であり、「天一国4大聖物伝授及び聖酒式」特別恩赦を正当化するための方便にしかすぎません。実際はサンクチュアリ教会に行った隠れ食口たちの炙り出しのための聖酒であり、そこには家庭連合の焦りが感じられます。

本来の聖酒は、真のお父様とその勝利圏の相続者によってしか与えられません。韓お母様による聖酒は、神様と真のお父様とは関係のない、何らかの霊的存在、つまりサタンによってもたらされたものです。よって基元節聖酒を飲むことは、神の祝福から脱線し、サタンの主管圏に堕ちることを意味するとするサンクチュアリ教会の主張の方が正しいと言えることでしょう。

●天聖経 祝福家庭
■基元節祝福の聖酒がサタンの毒酒だった理由
質問にお答えします サンクチュアリ教会世界宣教本部のティモシー・エルダー 偽基元節の堕落と「戻る祝福」
TrueParents  真の父母様を中心に一つになろう「天一国4大聖物」は“偽物”その聖酒を飲むことは“堕落行為”というサンクチュアリ教会側の人々による批判に対する応答

5、祝福問題

人類始祖アダムとエバは、天使長ルーシェルの誘惑によって堕落し、サタンの血を受け、原罪を持つようになりました。
生まれながらにして原罪を持って生まれるようになった人類を救おうと、神は6000年の歴史をかけて、復帰の摂理を展開してきました。神から遣わされたメシヤ、真のお父様は、サタンとの命がけの戦いに勝利し、子羊の婚姻を行うことにより、サタンの血統から解放し、神の血統へと復帰する人類救済の道を開拓されました。こうして人類の原罪を清算し、神の血統へと血統転換するために与えられたものが聖酒式であり祝福結婚式でした。
この聖酒式や祝福結婚式は、サタンとの戦いに勝利した、真のお父様からしか与えられないものであり、真のお父様が聖和された後には、その権能を相続された後継者にしか許されないものです。よって万が一、真のお父様の後継者以外の者が祝福を行ったとしても、それは血統転換の権能はなく、通常の結婚、つまりサタンの血統を受け継ぐだけの結婚、堕落でしかありません。

今祝福は、家庭連合でも、サンクチュアリ教会でも行われています。どちらが正当なのか?またはどちらも正当なのか?それを判断するポイントはただ一点、誰が真のお父様から後継者と指名され、祝福の権能を授けられているかに尽きます。

これまで考察してきた事実から見て、韓お母様は真のお父様から後継者に指名されていないのは明らかです。よって祝福の権能も授けられてはいません。韓お母様は韓流ドラマさながらに、真のお父様が直接指名された後継者を狡猾な策略をもって追い出し、統一教会の権力を力ずくで奪い取った皇太后様そのものです。韓お母様が与える祝福は、お父様の不在の時に行われた、神様と名乗る何らかの霊的存在(サタン)によって与えられた祝福であり、神と真のお父様とは全く関係のない祝福です

真のお父様も、「愛で堕落したがゆえに、復帰するにおいても、天を中心とした新しい父母の愛と関係を結んでしなければなりません。それで統一教会で合同結婚式をする時は、先生とお母様、二人でしてあげるのです。それが愛の伝授式です。」(1970.10.3)と語られているように、祝福を行うときは、一人では行うことが出来ず、真の父母の立場のご夫婦を通してしか行うことはできません。

天国に行けると信じて信仰し、精誠を捧げてきたのに、死んでみたらそこは地獄だったということは、ユダヤ教徒やキリスト教徒だけではなく、我々旧統一教会の食口にも当てはまることです。今一度原点に立ち帰り、我々は何を信じるべきなのかを、全てを捨ててまっさらな気持ちで振り返るべき時に来ているのではないでしょうか?

●天聖経 ①祝福の意義
2016年10月31日 韓氏オモニの実体堕落検証と亨進様・国進様との質疑応答<全文>

6、先祖解怨献金

今まで知られていなかった清平の成立過程(資料(一)5-1)について、ここでは清平の経済を賄うための会議で、新しい企画として作られたのが先祖解怨式だったということが明らかにされました。金孝南訓母様も、その時に参加されていた幹部の推薦で立てられた人物であり、大母様の役事というものも、その会議で決定されたということでした。

このようにして始まった清平役事でしたが、最初の頃は多くの霊的な証が立ちました。病気が治ったり、解怨した先祖が夢に現れたり、霊的な恩恵に持ち溢れていました。ではなぜこのような奇跡は起きたのでしょうか?
日本でも多くの宗教団体で癒しの業は行われています。また霊能者の中には、病気を治すことができる人も多くいます。そして多くの人が集まり、心を一つにして精誠を込めれば、霊界を動員し、病気が治ったり、奇跡を起こすこともできます。

実際清平では、世界中から多くの食口が集まり、精誠を積んだおかげで、興進様、大母様をはじめとして、多くの絶対善霊が動員され、奇跡も多く起こりました。霊界からのメッセージ(資料(一)5-2)を見ても、最初の頃は興進様、大母様も霊界から協助され、病気を治したり、奇跡を起こしていたみたいです。

またそのような清平を、真のお父様自身がお認めになり、次のようなみ言もくださるようになりました。
全世界の食口たちは必ず先祖解怨式をしなければなりません。先祖解怨式というのは、真の御父母様の時代においては、七代までの先祖を探して解怨式をしてこそ、家庭圏を超えることができるのです。したがって、皆さんが新しい成約時代に入籍するには、必ず一代から七代までの先祖から、120代の先祖まで解怨しなければなりません。そうしてはじめて宗族的メシヤとして地上の160家庭復帰を実体的に完成することができます。また、先祖解怨式は善なる先祖のみならず、悪なる先祖まで解怨してやらなければなりません。』(1999.1.29 漢南洞でのお父様のみ言葉 「成約時代の清平役事と祝福家庭の道 第2章 第4節 先祖解怨式」より)

真のお父様はサタンに絶対的に勝利した立場にあったため、真のお父様の公認があれば、霊界はそれに従わざるを得ません。真のお父様のお墨付きをいただいた清平では、大々的に先祖の解怨が行われ、多くの奇跡が起こるようになり、さらに多くの食口が集まるようになりました。その結果解怨、祝福献金も桁外れに集まるようになりました。

公的なお金を私的に流用した場合、当然霊的にひっかり、霊界を動かすことはできなくなります。清平の場合も、金孝南訓母様を中心とした利権構造が築かれるようになり、不正な蓄財が行われるようになりました。それは霊界から興進様、大母様にもどうすることができず、歯止めが利かなくなり、神のみ旨からもはずれるようになりました。その結果清平では、霊界も動員することができなくなり、以前のような恩恵は次第に感じられなくなってきました。

清平で一家庭が、先祖解怨をみ言通りに行ったら、一体いくらくらい必要になるのでしょうか?

★解怨、祝福献金
・1~7代までは解怨・祝福セットで70万
・7代~210代までは、7代ごとに解怨が3万、祝福が1万(29段階)
⇒ 70万 +(3万+1万)× 29回=186万円
・1つの家庭で夫の父方・母方、妻の父方・母方で4系列をやると
⇒ 186万円×4=744万円

これには交通費(航空機代)や修練会費、その他実費は含まれていませんので、4系列210代の解怨、祝福を行うと、1000万円近くのお金がかかってしまう計算になります。

日本統一教会の食口の人数で掛けると、1万家庭だとすると
10000×744万円=744億円
5万家庭だとすると
50000×744万円=3720億円

これだけの献金が、自動的に集まる仕組みができたのです。

以前は金孝南訓母様を中心とした清平では、全てを金孝南訓母様が自分の裁量で主管していたため、いくら献金が上がり、どのように使われているのかが、教会ではまったくわかりませんでした。
そのため文國進様が財団の理事長として立ち、教会の経済の健全化のための改革に乗り出していた時に、清平に対し、経理の透明化を働きかけました。しかし韓お母様は清平に屈し、その結果文國進様を財団理事長から解任し、文亨進様と共に、実質的に追放されることとなりました。

こうして韓お母様の絶対的信任を得た金孝南訓母様は、教団内でも絶対的な権力を持つに至りました。しかしそれを良しとしない、一時教団内での絶対的権力を掌握していた金孝律氏らが、清平の不正融資問題を国税に訴え、清平に国税の調査が入ることになりました。しかし金孝南訓母様は、全ての責任を真のご父母様に転嫁し逃げ出したため、取り巻きたちと共に清平から追放される結果となってしまいました。そのことを教会では「訓母様(金孝南女史)は、約20 年にわたる使命を終えられ、今後は、修練苑の祈祷室にて、祈祷と精誠のみ尽くして行かれる立場となりました。」と発表し、今後清平は「真の父母様の直接主管」になったと発表したのです。

清平が金孝南訓母様の主管になっていた時は、清平での先祖解怨献金は、金孝南訓母様が自由に使っていたため、教会には一部が回ってくるだけでした。そのため食口の献金も、先祖解怨の献金に回ると教会への献金が少なくなるため、清平には行かないようにという指導が強力に行われていました。しかしひとたび清平が教会の主管になった時から、教会の主な活動は清平の役事への動員となりました。このようにお金の流れを見ると、教会の指導方針まで理解できるようになり、お金を中心に食口に対する指導がなされている現実を知ることができます。

先祖解怨も210代までで終了とすると、清平への献金も集まらなくなるため、今度は420代までということになりました。『②先祖解怨210代の疑問』でも述べたように、210代自体も意味があるとは思えないのに、420代などというのは、継続的に献金を集めるための方便にすぎません

真のお父様から先祖解怨の権能を相続された文亨進様は語られます。
唯一お父様の王権に、先祖たちを開放することのできる権限があるのです。また、全世界のシックたちがお父様が命令された210代の先祖たちを開放させ、、、献金も必要ありません!解放釈放時代が重要なのであってシックたちから献金をもらうことが重要ではないのです。』(2015年12月15日)
本来文亨進様が語られるように、「解放釈放時代が重要なのであってシックたちから献金をもらうことが重要ではない」はずなのに、日本人食口からの解怨献金と称して、自分たちの私腹を肥やしてきたというのがここ数年の清平の実体だったのではないでしょうか? 『①清平の成り立ち』にあるように、
「なあ!清平で先祖解怨、やらないか!?日本人相手に。」
「でも、それ、ちょっと、食口を騙すことにならない?」
「大丈夫!韓国は奪われてきたから、盗んでも罪にならないって、御言あるし!」
という意識が韓国人幹部たちの意識の中に根深く宿っているのではないでしょうか?
本当に清平での先祖解怨に意味があるのかどうか、今一度原点に立ち帰って考えるべき時に来ているのではないでしょうか?

ナツミカンのブログ 清平の先祖解怨式についてのみ言葉
【火の粉を払え】今や「世界先祖解怨教会」へまっしぐら。
【火の粉を払え】緊急ニュース-文国進理事長の解任が決定!!
秀のブログ 2015年9月26日 やっぱり、清平の先祖解怨は直接主管になった!
2015年12月15日 文亨進様説教『祖上解怨式 祝勝禮拜』全文

8、情報操作、情報統制

今の教会が神側に立っているのか、サタン側に立っているのかを分析するとき、過去の歴史を参考にするのが最も適切な方法と言えるでしょう。
過去サタン側として神の摂理に反対した勢力には、ある一つの共通する性格がありました。それはサタン側は常に、自分たちの正体を隠すために、また自己正当化のために情報操作、情報統制を行ってきたという事実です。

第二次世界大戦当時の大日本帝国は、大本営発表と称して、常に日本に有利な情報、都合のいい情報ばかりを流しました。
旧ソ連では言論が弾圧され、ソ連に都合の悪い情報は一切外に流れることはありませんでした。
また政府に反対する人たちは政治犯としてシベリアに抑留され、彼らの主張は抹殺されていました。
北朝鮮の人民には、西側の情報は報道されないため、どんなに飢えていたとしても、北朝鮮が世界で一番幸せな国と信じている人民が多くいます。た自由な発言は許されないため、一般人にインタビューしても、判で押したように同じような答えしか返ってきません。
・自由主義経済を取り入れ、門戸が開放されてきた中国ではありますが、共産党一党独裁政策をとる現在でも、未だに情報が操作され、自国に都合の悪い情報は遮断されてしまいます。

一方民主主義諸国では報道の自由が保証され、政府の機密情報でさえも、いずれは情報開示されるようになっています。
ソ連が崩壊した時は、ゴルバチョフ書記長のペレストロイカ、グラスノスチ政策によって情報が開示されるようになり、ついには無血革命によって新しい時代の新しい体制が出発しました

人類の歴史を見てみると、全体主義、独裁政治、共産主義などの国家では、常に情報操作、情報統制が行われていました。一方民主主義国家では、言論の自由、報道の自由が保証され、たとえ国家に不利な情報であったとしても、自由に報道がなされています。神の復帰摂理歴史の中で、全体主義、独裁政治、共産主義などは、相対的にサタン側に立ち、民主主義国家は神側に立っています。

このように神側、サタン側を判断するうえでも、情報操作、情報統制が行われているか否かが、その判断の一つの基準になります。常に神側では情報が開示され真実が伝わりますが、サタン側では情報が操作され、都合の悪い真実が伝わることはありません。逆に言うと、情報が開示された世界では全てが明らかにされるため、誰からも後ろ指をさされることのない、正しい生き方をしなければいけなくなります。一方情報統制された世界では、真実が人々に伝わることがないため、為政者の都合の良いような社会が作られ、独裁政治、恐怖政治がまかり通るようになります

①家庭連合の情報統制

情報操作、情報統制というような判断基準を通してみたときに、今日の家庭連合は神側にあるかサタン側にあるか、見極めるのは簡単なことではないでしょうか?
「ネットを見るといろんな情報が流れているのでネットは見るな!」
「教会から提供される情報だけを信じるように。」

今の時代、ネットを見れば、いろんな情報が流れていることは間違いありません。その情報というのは、真実な情報もあれば、偽りの情報もあります。いろんな情報に接することによって、その情報が正しいか否かを、初めて判断することができるようになります。しかし「ネットの情報は一切見るな、教会から流される情報のみを見るように」というのは、今の時代には合わない、どこか遠い世界の話みたいです。

さらに言えば、次のような問題にも蓋を被せたままで、一切を明らかにしようとはしません。

6マリア問題
子女様たちの問題、結婚、離婚、アダムエバ、麻薬問題等
霊感商法等経済活動
教会への献金の用途、清平への先祖解怨の献金の行方

もちろん献金のように、宗教法人の経理は、一般社会に公開すべきではない情報ではありますが、それをよいことに一般食口にも言えないような献金の使い方がなされている噂は後を絶ちません。何らかの形で監査がなされればいいのですが、教会内ではそのような自浄作用は一切ないため、既得権益を持っている(韓国人)幹部たちの、腐敗の温床になっています。上記内容以外にも、教会の隠蔽体質が、情報操作を助長する原因となっています。

ではなぜそのような隠蔽体質が生まれてしまったのでしょうか?一つは一般食口に知られると、躓かれてしまうような事実が多すぎるため、隠す必要があった。しかし一般食口に言えないような事実は、決して神にも報告できない、許されざる内容である場合が多いわけです。常に神を見つめ、神のみ心のままに生活をしている信仰者ならば、決して神に報告のできないようなことは行うはずがありません。事実を隠すのが常習化してしまった個人、組織というものは、神の存在を信じていない、サタン側の人物、組織と言わざるを得ません。

もう一つは、創造本然の価値観で物事を見ず、堕落人間の価値観で物事を判断しているからです。例えば6マリヤ問題などは、復帰摂理上、再臨主が必ず勝利しなければいけない、蕩減復帰の一過程であったため、神から見て正しい行為でありました。しかしそれを知った幹部食口たちは、自分たち堕落人間の価値観で判断し、隠蔽することにしたのでしょう。つまりそのように判断した幹部食口たちというのは、原理が理解できていない、創造本然の価値観が身に付いていない、偽物の食口でしかなかったと言えます。

結論としていえるのは、情報操作、情報統制を行っている組織というのは、神を信じない、創造本然の価値観を持たない、サタン側の組織ということに間違いありません。つまり今のままだと家庭連合は神側かサタン側かと問われれば、残念ながらサタン側の組織と結論を下すしかなくなってしまいます。

②情報操作と献金問題

宗教法人である教会の場合、経理の内容は一般に向けて公開する義務はありません。ですから教会の場合も、経理に関する情報公開を行わない事は、必ずしも間違いではありません。信仰深き一般の食口たちも、「神様に献金をすることは信仰者の義務である。一旦天に捧げた献金を教会がどのように使おうとも、自分たちがなんだかんだと言うべき問題ではない。」と信仰的に考えています。

しかし一般企業のケースと比較して考えてみましょう。企業が銀行に融資をお願いし、審査が通って融資が降りた場合、銀行はその企業に対しお金を出して終わりということはありません。融資を行った企業がそのお金を使い、事業プラン通りの健全な経営を行っているのかどうかを常に監査し、融資した資金を確実に回収できるように最善を尽くします。企業としても銀行から融資してもらった以上、そのお金を使い経営を改善し、返済する義務がありますので、銀行の監査を受けることにより、より健全な経営をすることができるようになるのです。

教会の場合も同じような経営健全化のための改革がなされなければいけません。月末になると今月の献金の目標が達成できないと言っては、食口たちに緊急献金路程を発表し、献金をせまるというやり方は、行き当たりばったりの経営をしている典型的なダメ企業と一緒です。その場しのぎの献金を行っても、ダメ企業のダメ経営者が変わらない限り、経営が健全化するということは絶対にあり得ません。経営者は、その場しのぎで何とかなっている間は、本気で経営を改善しようとも思いません。永遠に続く無間地獄です。そんな場合は一度経営を破綻させ、経営陣を刷新し、組織を根本から改革するしか組織を立て直す方法はありません

経営改善のためには、献金して終わりということではなく、その献金が正しく使われているかどうかについても、責任をもって監査しなければいけません。監査ができないのであれば、献金をしてはいけません。教会としても、献金は一般食口によって監査されるとなれば、報告できないような使い方ができなくなります。つまり一般食口も、今まで以上に教会に対して責任を持たなければいけないし、教会運営陣も、報告の義務が生じることにより、健全な使い方しかできなくなります。

一般食口に報告できない使い方は、神にも報告のできない使い方です。つまり霊的には天に引っかかってしまうような使い方になります。天に引っかかってしまうような献金の使い方をすると、当然サタンの讒訴条件となります。つまりすべてを明らかにしても誰からも讒訴されないような使い方をしない限り、教会はサタンに讒訴条件を積んでしまい、神から遠い存在となってしまうのです。

今まで統一教会が腐敗の温床となり、韓国人幹部たちが利権を貪るようになった原因も、献金の使い方が一切明らかにされずに、自分たちの思いのままに使うことが出来たからにほかなりません。
しかしこれは過去に限った話ではありません。今現在も変わらずに行われていることであり、今後とも変わらず行われるであろう不正です。

教会から不正を排除するためには、一般食口にも明らかにできるような献金の使い方をする以外に、解決の方法はありません。同時にそれは、神に負債のない使い方をするということをも意味します。不正を行う人というのは、神に負債を持つという発想のない人であり、結局は神の実在を信じない人というしかないでしょう。

家庭連合ではそのような不正が日常的に行われているということは、献金を自由に使うことのできる利権を持った韓国人幹部たちは、神の実在を信じていないということを意味するのではないでしょうか?神の実在を信じない人たちによって運営される組織、そんな組織が神の御旨を担う、中心宗教となることができるのでしょか?
家庭連合は神側の組織か、それともサタン側の組織となってしまったのか、情報公開と献金という観点から見ても結論は明らかなのではないしょうか。

③サンクチュアリ教会の情報公開

サンクチュアリ教会の運営は、基本的に家庭連合を反面教師として行っているため、情報公開という点に関しても、理想的な運営を行っていると言えるでしょう。文亨進様の説教は、説教が終わるとすぐに公開されていますし、一週間もたたないうちに日本語にも翻訳され、全世界に公開されています。公開されるのは説教だけでなく、各イベントや、礼拝後の質疑応答などの内容も全て公開されています。

更には宗教団体としては異例なことですが、サンクチュアリ教会本部の経理まで一般公開しています。去年一年間の総献金額、献金の使い道、資産額、こんなことまで明らかにするのかというほどに公開されています。

文亨進様がサンクチュアリ教会で最も恐れていることは、サンクチュアリ教会も家庭連合のように大きくなっていった時、今の家庭連合のように特権階級が生まれたり、利権構造ができることだそうです。また子女様たちも、自らを尊大に振る舞ったり、傲慢になったりすることを心配し、今から特別扱いなどせずに、一般食口たちにも侍るように教育しているとのことです。

礼拝の時は自分たちが机や椅子の準備をし、食口たちの靴をそろえ、後片付けも率先して行っているとのことです。食事の時も、食堂で食口たちと一緒に食事を摂るだけでなく、食事の列も、食口たちを先に並ばせ、自分たちは一番最後に並ばれるように教育されているとのことでした。

2016年12月18日 文亨進様説教『待ち望む王国』

9、韓お母様と家庭連合の今後

★メシヤ降臨の目的

天使長ルーシェルの誘惑により、人間始祖アダムとエバが堕落して以降、人類はサタンの血統を受け継ぎ、原罪を持ち、人類歴史は罪悪歴史となってしまいました。そんな人類が受け継ぐようになった原罪を清算し、神の血統へと転換するため、神はメシヤを送るべく、復帰の摂理を展開してきました。こうして神が送られたメシヤこそが2000年前に降臨されたイエス様でした。しかしイエス様はメシヤとしての使命を果たせないまま、十字架に付いてしまいましたが、霊的に復活することによりキリスト教が出発しました。
キリスト教の目的は、再臨したイエス様を迎え、再臨の主と共に神の御旨を成就することでした。

メシヤの使命とは、次の3つに集約されます。
1、悲しみの神の心情を開放すること。
2、堕落によってサタンの血統を受け継ぐようになった人類を、原罪を清算することにより、神の子として復帰すること。
3、創造本然の世界を復帰すること。

これらの目的を成就するため神はメシヤを地上に送り、復帰の摂理を展開されました。
こうして1920年1月6日、韓国に誕生されたのが真のお父様、文鮮明先生でした。

★真のお父様の原点

真のお父様は1935年4月17日、15才の復活節の朝、猫頭山での祈祷中、イエス様と霊的に出会い、『苦しんでいる人類のゆえに、神様はあまりにも悲しんでおられます。地上で天の御旨に対する特別な使命を果たしなさい』と啓示を受け、その生涯を神に捧げることを決意しました。
そして幾多の苦難の末、1960年3月27日(陰 3. 1)、韓お母様を迎えて、子羊の婚姻を行うことにより、真の父母の日を迎えました。聖書に予言された子羊の婚姻を行うことにより、人類は原罪を清算し、神の血統に接ぎ木される祝福に与れる、恵みの時を迎えました。

その後もメシヤとして数々の勝利圏を打ち立て、1992年7月3日、真のお父様は初めて再臨主宣布しました。「韓国は再臨主が来られる所であり、その再臨主が文先生です。今日初めてこのような話をしました。これからは天下へ全て公開するのです。
そして1999年3月21日に、サタン完全(自然)屈服の日(ルーシェルの謝罪)を迎えました。
さらには2001年1月13日、『神様王権即位式』を迎えることにより、天一国を出発し、歴史上初めて、神が王の位置に立たれました。
そして2006年6月13日、天正宮博物館奉献式および天宙平和の王・真の父母様戴冠式を迎え、聖書に予言された新しい天と新しい地、新しいエルサレムを迎えるに至りました。
こうして真のお父様は、自らの生涯を通し、神の心情を開放し、人類の原罪を清算し、創造本然の理想世界を迎える、メシヤとしての使命を果たすことができました。

★私たちの信仰の原点

原理を通し、悲しみの神の存在を知り、神の御旨を成就するために降臨された再臨主、文鮮明先生の存在を知らされた私たち統一教会の食口は、真のお父様が再臨主であることを信じることによって、み旨の道に集った群れです。つまり文鮮明先生を再臨主メシヤとして、真の父母として受け入れたことが私たち食口の信仰の原点であり、この点が他の宗教と一線を隔するポイントになります。

宗教はどの宗教でも、自分の教団が最高の宗教であり、真理を解き明かした唯一の教えであると教えています。そして信者の方々も、そのように信じることによって、自分の信仰を持ち続けることができます。しかし神の摂理から見たとき、宗教は神の摂理の中心宗教とその他の宗教、そしてサタン側宗教に分けられます。神の摂理の中心宗教は、2000年前まではユダヤ教であり、イエス様降臨以降はキリスト教でした。そして文鮮明先生が統一教会を出発されてからは、統一教会が唯一の神の摂理の中心宗教となりました。

神の摂理の中心宗教は、メシヤを迎えた宗教か、またはその後継者を迎えた宗教です。その他の宗教は、神の摂理の中心宗教ではなく、その他の宗教か、サタン側の宗教になります。よってその宗教が神の摂理の中心宗教か否かを判断する材料はただ一つ、メシヤまたはその後継者を迎えた宗教か否かとなります。
その観点からもう一度、家庭連合を見てみたいと思います。

★真のお父様聖和後の韓お母様と家庭連合

統一教会設立の原点は、真のお父様をメシヤとして受け入れた一点にあることはここまでで確認しました。真のお父様がイエス様から啓示を受け、メシヤとしての使命を完遂する聖業に同参してきたのが統一教会であり、統一教会の食口たちでした。
真のお父様はメシヤであるがゆえに、原罪のない立場で生まれてきました。原罪のない立場で生まれてきた故、イエス様が神の子であり、イエス様も原罪のない立場でお生まれになった謎、つまりイエス様家庭における血統転換も解き明かすことが出来たのです。真のお父様の出生の謎、血統転換についてはまだ解き明かされてはいませんが、いずれ時が来たらその謎も必ず解き明かされることでしょう。今はその謎はまだ謎のままですが、イエス様同様真のお父様には、生まれながらにして原罪が無かったということは疑う余地はありません。

統一教会は、真のお父様をメシヤとして、唯一無二の存在として信じて来たゆえに、ほとんどの食口たちも祝福を受けてきました。自分たちの血統も真のお父様によって清められ、原罪のない子女を迎えるために祝福を受けたのです。
統一教会にとっては、真のお父様が絶対的存在であり、真のお父様の聖和後は、真のお父様と一体となった方が後継者となるべきと信じられていました。それ故真のお父様の後を継いだ韓お母様は、肉体は韓お母様であったとしても、霊的には真のお父様と完全一体となっていると教育されてきました。そのため真のお母様のことを、お一人でも真のご父母様と呼ぶようになりました。このように韓お母様のことを真のご父母様と呼び、あたかもそこには真のお父様がご一緒されているような印象を与えながらも、教会では矢継ぎ早に、真のお父様の立てられた伝統の破壊がなされてきました。

・お父様の天聖経の削除を含む大改編、
・お父様が涙を流しながら歌われた天一国国歌(栄光の賜物)の変更。
・家庭盟誓において「神様」を「天の父母様」に変更
・成婚問答の簡略化
・女性神の実質的導入
・建国の根幹たる憲法から統一原理を疎外
・忠実な対象の位置から離脱
・自らを「神」「独生女(出生時無原罪)」と称する
・文氏の血統(神の血統)より韓氏の血統(純サタン血統)を尊重
・御父様の玉座に平然と座る
・祝福 リングに自分の名前のみ刻む

そして2014年7月1日の訓読会の時、韓お母様によって独生女宣言がなされました。
・ここに座っている真の母は、「6千年ぶりに誕生した独り娘です。」
・「摂理歴史においてアジアの主人は韓王朝です。東夷族です。私たちは韓民族です。」として韓氏が特別な氏族であることを強調。
・韓お母様は、胎中にいる時から「血統転換」され、原罪のない立場で生まれてきた。

この韓お母様の爆弾発言に教会幹部たちは驚き、最初は隠そうとしました。しかし韓お母様は、ことあるごとに同様の発言を繰り返したため、教会側もついに韓お母様の独生女宣言を支持するようになりました。そしてその独生女を証明するために、独生女神学を作り出しました。

しかし韓お母様の爆弾発言はここでは止まりませんでした。遂には真のお父様は原罪を持って生まれてきたと度々発言するようになり、そのことをまずは幹部たちに徹底するようになりました。今はまだ幹部の教育が先決として、幹部だけに韓お母様の独生女宣言を支持し、真のお父様には原罪があったということを理解させようとしていますが、次の段階では必ず食口一人一人にまで、お父様には原罪があったと徹底的に教育するようになることでしょう。

真のお父様ご在世当時、私たちは真のお父様は原罪のない立場でお生まれになったメシヤであり、韓お母様は原罪を持って生まれたが、御聖婚されることにより、真のお父様によって原罪が清算され、真の母の位置に立たれたと理解していました。それが韓お母様が独生女宣言をすることによって、韓お母様も真のお父様同様原罪のない立場で生まれてきた、神が立てられたメシヤであるということを信じるように教育されるようになりました。そして今、真のお父様には原罪があったが、韓お母様には胎中にいるときから原罪はなかった。韓お母様こそが神が6000年の歴史をかけこの地上に送られた独生女、メシヤであるという教育が始まりました。同時にこれは、真のお父様はメシヤではなかったということを意味し、真のお父様の立てられたすべての勝利圏も、真のお父様によるものではなく、韓お母様の勝利圏だったということを意味するようになります。つまり家庭連合に残るには、真のお父様を否定し、韓お母様のみを信じる信仰を持つしかないということを意味します。

真のお父様の御聖和後、韓お母様は真のお父様と完全に一体化されていると教育されてきましたが、気づいたらいつの間にか真のお父様を排除し、韓お母様のみを信じる信仰を強要されていたということです。そのことに気づいた食口は幸いですが、いつまでも気づかずに、教会の言われるままに素直に受け入れ続けていたら、私たちの信仰の原点が完全に否定されてしまうのです。

家庭連合では今後、もっとあからさまに真のお父様を否定する教育がなされていくのは間違いありません。韓お母様を信じるということは、真のお父様をメシヤとしては信じないということを意味します。韓お母様を信じると同時に、真のお父様も信じるということは許されなくなるのです。
どちらか一人を選ぶように韓お母様に選択を迫られるのです。真のお父様をメシヤとして信じることによって始まった信仰が、真のお父様を否定する信仰で終わるのです。

本当にそこに神のみ旨はあるのでしょうか?
サタンは神の摂理を妨害するために、メシヤを否定し、メシヤから人々を遠ざけるために、ありとあらゆる手段を用います。真のお父様をメシヤとして信じることによって始まった信仰が、真のお父様を不信するようになったとしたら、そこにはサタンが働いているとは考えられないでしょうか?

1972年4月26日 埼玉・狭山公園にて

私たちは統一教会に入ることにより、真のお父様から真実の愛を受け、真のご父母様こそが私たちの本当の父母であると感じるようになりました。特に私たち日本人は、サタン側のエバ国家だったのが、真のお父様に許され、愛されることによって、神側のエバ国家となることができました。そして世界中で最も食口が多いのも、真のお父様の愛ゆえであるということは、誰もが感じているところです。信仰を持ってから真のお父様が聖和された2012年まで、人によって数年から数十年もの間、真のお父様から愛され続けた私たちだったにもかかわらず、真のお父様が聖和されて間もなく、その愛を忘れ、裏切ってしまうのでしょうか?

私たちのような罪深い人間が、何の条件もなく、人類史上最大の恵み、祝福にあずかれたのも、真のお父様の愛によってでした。聖書に予言された144,000の民に選ばれただろうことも、真のお父様の愛と許しによってでした。人類歴史終末期において、真のお父様と共にみ旨の道を歩むことが出来、天に条件を積むことが出来たのも、真のお父様の愛ゆえでした。これだけ一方的に愛された私たちだったにもかかわらず、真のお父様を裏切ろうとしている私たちなのです。家庭連合に残るということは、真のお父様の愛を捨て、裏切り、韓お母様を選ぶということを意味します
今一度自分自身の信仰を振り返り、信仰の原点に立ち返るべき時に来ているのではないでしょうか?

10、一片丹心の信仰者であるために

統一教会に入教してきた人たちには、大きく分けて次のような3つのタイプがあります。

1、神を求め、真理を求め、メシヤを求めてきた人。
2、親兄弟、友人から伝道されて、自然と信仰を持つようになった人。
3、街頭や、訪問で伝道され、信仰を持つようになった人。

信仰の道に入った動機が違えば、当然信仰姿勢も違ってきます。しかし信仰生活を続ける中で、神の心情を知り、真のお父様の神を愛する世界を知る中で、自分の信仰姿勢の足らなさを自覚し、正しい信仰感を持つように訓練されなければいけません。

私たちは生まれながらにして、自然と自己中心的に物事を考えてしまいます。より高い地位を得るために他人を蹴落としてまでも、権力を手に入れようとする人。豊かな生活をするために、他人を騙してまでもお金を儲けようとする人。妻子があるにもかかわらず、若い女性を誘惑し、不倫に走る人。他人を犠牲にしてまでも、自分の欲望をかなえようとするのが、人間の生まれ持った性ともいえます。そんな人間の醜い姿を明らかにし、神の子として創造された人間の、美しい本然の生き方を教えるのが統一教会の原理でした。天使長ルーシェルの誘惑によって、人類始祖アダムとエバが堕落し、偶発的に持つようになった堕落性によって、私たちは神の子が持つべき創造本姓を忘れ、自己中心的な生き方をするようになってしまいました。その結果人類の歴史は、対立と闘争、悲劇の歴史となってしまいました。

それが統一教会に入教し、真のお父様の生きざまを学ぶにつれ、私たちはそんな堕落人間の生き方を改め、神の子としていかに生きるべきかを学ぶようになりました。真のお父様は16歳でイエス様からの啓示を受け、神の召命を受けてから、神の悲しみを慰めるための人生を生きてこられました。人類史上誰も歩んだことのない苦難と試練の道を行き、血と汗と涙を流しながら、ただひたすら神を愛する人生を生きてきました。

そんな真のお父様の心情世界を描いた、一つの詩があります。たぶん真のお父様の大叔父、文潤國牧師のことを思いながら詠んだ詩です。

お父様の決心

自分の生涯において
たとえ誰に知られなくても
理解されなくてもいい。

たとえ、追われて死んでゆくような立場にあったとしても、
それでも文句を言わない。

ただ一つ神の前に、
自分のかすかな小さな願いがあるとするならば、
こういう願いである。

私は誰が知らずとも
神様が立てた小さな墓を考えている。

きっと神様は、こういう墓碑銘を私のために準備してくれるであろう。

即ち、
「この男は誰にも知られずして生まれ、
誰にも知れらずして死んでいったけれども、
しかしすべては私の名のためにすべてを尽くして死んでいった。」
と。

この一つの小さな墓があれば、
自分の生涯はそれで十分だ。

文潤國牧師は、1919年当時、韓国の3.1独立運動の時に、主導的役割を果たした人物です。3.1独立宣言文に署名をする栄誉を与えられても、その栄誉を同じ教会の教会員に譲ったといいます。定州地域の抗日運動の責任者であり、上海臨時政府金九先生を支持し、一族の資産を全て金九先生の元に送られたと言います。しかしそれだけでは足りず、近隣の住民たちから旨い話があると言ってはお金を集め、独立運動を支援していたため、後に詐欺師のレッテルを貼られ、追われるように故郷を後にしたといいます。しかし李承晩政権となり、李承晩と親交のあった文潤國牧師は入閣を要請され、ヘリコプターで3度も迎えに来られながらも、自分は一介の牧師にすぎないとして、最後まで入閣を断ったと言います。
晩年は故郷に戻ることも許されず、異国の地にて孤独に客死してしまいました。

そんな文潤國牧師の姿は、真のお父様にとって忘れることができず、年をとればとるほどその姿が脳裏に浮かんできたと言います。何の栄誉も、権力も欲せず、誰からも評価されず、詐欺師の汚名を着せられても弁解することもなく、ただひたすら神の願いを果たすために、自分の生涯を神に捧げる姿に、真のお父様の理想の姿があったのでしょう。

真のお父様の理想とする信仰者の姿、それはすなわち、私たちが目指すべき、理想の信仰者の姿ではないでしょうか?この詩を何度も朗読し、私たちの生きる道標としたとき、私たちもきっと、神の子として正しい人生を歩むことができることでしょう。しかし現実の私たちは、何年信仰の道を歩んだとしても、足らない姿のままでいます。実際の私たちの信仰は、次のようなものに分けられるのではないでしょうか?

1、神を愛し、神を慰め、神の子として親なる神に孝を返したい人。
常に真理に直く、いつでも自分の全てを捨ててでも、神の願いに生きたい人。
2、神の御旨を知り、私たちが神に選ばれし民として果たすべき使命を果たそうと、義務感、使命感を持って歩む人。
3、自分が信仰を持つことにより、また献金等精誠を捧げることによって、自分そして先祖の人たちの救いに繋がると信じ、必死で精誠を捧げようとする人。
4、今目の前にある教会から来る摂理を勝利しないと、自分が今まで捧げてきた精誠も全て無駄になってしまうという恐怖観念で信仰を続ける人。
5、自分の信仰が、唯一無二の真理か否かは関係なく、同じ信仰を持つ者同士、仲良くしていければそれでいいという、サークル的感覚の人。
6、自分が信仰を持つことによって得た、教会内での権力を守りたい、さらにはより高い位置に就きたい人。または教会内での利権構造の恩恵にあずかり、生活のため教職者生活をやめられない人。

このような動機の中で、3~6のタイプの人は、結局は自己中心的な動機で信仰をしていると結論付けるしかありません。そのような人は、神の願いはどこにあるのか、自分の信仰は正しいのかという根本命題は二の次であるため、いずれサタンの誘惑に負けてしまうタイプの人です。真のお父様が艱難の時、70~80%(?)の食口は離れてしまうと言ったのは、このタイプの食口たちのことでしょう。逆に残りの20~30%の食口というのは、主に1の動機で信仰を持ち、ただひたすら神を愛し、真のお父様を愛する人であり、そのためにならいつでも自分自身を捨てることのできる人たちです。よって私たちが目標とすべき信仰者の姿も1のような信仰者です。

もう一つ真のお父様のみ言を見てみたいと思います。
これは櫻井夫人も挙げられていた、7年大患難に関する真のお父様のみ言です。

訓教経(上) 侍りたいお父様  1961年2月12日
韓国前本部教会 『文鮮明先生み言選集第十一巻』

◆患難の時を用意された意味

神様は終わりの日になれば、人類の前に七年の大患難があるだろうと予告されました。この患難時期は六千年の歴史路程において、天の悲しい曲折が聖徒にぶつかる時です。人間の絆がみな壊れていき、信じられない環境にぶつかる時です。自分がどんなに良心的に正しく生きたとしても、その良心で自らの生涯を主張できない時です。み旨を抱き、考えのある者であればあるほど、眺めるあちこちに苦痛を感じる時です。そのような時が、終わりの日の七年大患難の時です。

その時は、希望が揺れる時であり、私たちが信じている信仰の中心が揺れる時であり、信じて従った指導者が揺れる時です。主義はもちろん、宗教、良心、父母の心情までもすべて揺れる時です。

では、神様はなぜそのような世の中をつくっておかなければならないのでしょうか。それは真の神様、歴史的に苦労した神様と同参したという価値を与えるためです。神様は六千年間数多くの惨状を見てきましたし、数多くの曲折を受けられたので、終わりの日においては良心とか、主義とか、信仰ということをもって中心を立てることのできない環境にぶつかるようにするのです。そのような患難の中でも「神様を愛する」と言う、そのような難しい場でも「神様と共に生きる」と言い得る真の息子、娘を探すために、そのような時が来るというのです。

それゆえ皆さんは、教会が揺れるのを見て悲しむことなく、ある主義が動揺するのを見て悲しむことなく、ある主権者が倒れるのを見て悲しむことなく、自らの父母が変わったと悲しむことなく、自らの兄弟が変わり果てたと悲しまないでください。頼り、信じていた世の中のすべてが動揺しても、皆さんの心は平然としていなければなりません。神様は動揺せず、この時間も私を訪ねてこられるということを知らなければなりません。神様が私たちに苦痛を与えるのは、神様との貴い一日、神様が経てきた苦痛の因縁を私たちに結んでくださるための、大きな約束であることを知らなければなりません。そのような場で天を抱き締め、「一緒に行きましょう。共に闘いましょう。共に行動しましょう」と叫んで立つ人を探すために、そのような世の中が必要だというのです。

ですから皆さん、進む道がふさがったと落胆しないでください。この国が乱れると気落ちしないでください。神様は死んではいません。この世界がどんなに乱れても、気落ちしないでください。神様は死んではいません。神様は必ず訪ねてこられます。すべてが動揺しても、天に対する一片丹心だけは動揺させないでください。天を頼って仰ぐ希望の心だけは変わらないでください。その心を変えようとするために、神様が皆さんをいかなる苦痛の場に追い込んだとしても、その場で父を呼ぶことができる心をもたなければなりません。いかなる場に落ちても、その場で天の心情のひもをつかんで上がろうと努力しなければなりません。地獄に落ちる苦痛を感じる恨があったとしても、父と共に参与する立場に立って父の苦痛を私が思いやって、その父は私の苦痛を察してくれることを信じて、そのような場でも行くという責任と義務を感じていくならば、皆さんは滅びないでしょう。

今日、数多くのキリスト教徒がいますが、そういう信者が果たして何名になるでしょうか。私たちは父に侍るのに、天上の宝座に座っていらっしゃる父に侍るのではなく、死亡の波打つ中で真の息子、娘を探すために御苦労される父に侍らなければなりません。その父を私の父と知り、その父の事情を私の事情として、その父の心情を私の心情として、その父の願いを私の願いとして訪ねてこられる父の前に雄々しく立って、「あなたの息子を探すことがあなたの願いであることを知って、その息子を探し、あなたの歴史的な曲折を解くことが、あなたの事情であることを知って、失った息子を抱き締めて愛したいのがあなたの心情であることを知りました。どのような塗炭の苦しみと患難と難しさの中にあったとしても、私があなたの願いの実体であり、事情の実体であり、心情の実体です」と自信をもって立たなければなりません。このような者であってこそ父の息子であり、またその父に侍ることができる者になるということを皆さんは知らなければなりません。

先に見た『お父様の決心』とこの『患難の時を用意された意味』のみ言を見ると、ある共通の要素があることに気が付きます。それはこれまでも何度も書いてきた内容です。ただただ自分を捨て、『神を愛する』という一点です。自分を捨て『神を愛する』一片丹心の心情があれば、絶対に道を間違うことはありません。

私はこの道でいいんだ!
今さら信仰を変えることなどできない!
教会の指示、アベルの指示に従っていれば間違いはない!
これらの言葉は、結局はサタンが喜ぶ、自己否定したくないという動機から出てきた言葉でしかありません。間違いなく艱難の時にふるいにかけられてしまう人たちです。イエスを迎えたときのユダヤ人達がまさしくこのような心情で自らの信仰を守り、イエスを迫害し、十字架に付けてしまいました。再臨主が現れたときも、同じような心情のクリスチャンたちが、真のお父様を否定し、迫害し、摂理を失敗してしまいました。そして今また真のお父様を受入れた人たちが同じような過ちを繰り返そうとしています。

私たちは自分たちの栄耀栄華のためにみ旨の道に来たのではありません。過去の全てを捨て、神の願いに応えるためにみ旨の道に来たはずです。それがいつの間にか自らの栄耀栄華を求め、自分と先祖の救いを求め、入教してから今まで捧げてきた精誠を捨てることが出来ずに、今の自分にしがみつくようになりました。それが果たして神の願いなのでしょうか?

一片丹心の信仰者であるために、今自分がすべきことは何なのか、それは神を愛することであり、神の願いに生きることです。神の願いは、神の御旨を成就してくれた真のお父様の伝統を相続し、この地上に神の国、地上天国を創建することです。そのためには真のお父様の勝利圏を相続した後継者と一体化し、真のお父様の偉業を最後まで責任をもって成し遂げることです。

しかしそのためには、生みの苦しみを経験しなければいけません。今まで築き上げてきた自らの信仰を捨てなければいけないかもしれません。霊の親、霊の子、親しい知人、友人たちから裏切り者と蔑まれ、大いなる迫害を受けるかもしれません。教会のなんの基盤もないところに、手作りで一から基盤を作っていかなければいけないかもしれません。全てを捨てて一から出発する決意ができたとき、初めて真実と出会うことができることでしょう。

しかしそこで出会った人たちは、ただ神のみを愛する、本物の信仰者たちであり、真実に生きる信仰者たちでしょう。真のお父様の残された伝統を相続し、この地に神の国、地上天国を創建できる、真実の群れです。捨てたものが大きいほど、得るものも大きいことでしょう。
この『家庭連合の現状と私』が真実と出会う一助となることを祈念してやみません。

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