②摂理的中心宗教と神の摂理

②摂理的中心宗教と神の摂理

イエス様を迎えたイスラエル民族、ローマ帝国で国教となったキリスト教、日の沈まぬ帝国で国教となったイギリス国教会。権力と経済力を持った摂理の中心宗教は、例外なく堕落の道を歩みました。
それでも神様は、摂理を前進させなければいけないため、堕落した中心宗教を捨て、新しい中心宗教を立てて摂理を進めてこられました。

 

ⓐイスラエル選民から、イエスの十字架を経てキリスト教へ

イエスの時代の人々はメシヤの到来を切望していました。しかし彼らは、彼らの国家的栄光のみを考えていました。
神は、私たちが自己中心的に生きるのを喜ばれないのです。神の教会の目的は全世界を救うことであります。教会は神の手段です。イスラエル選民がイエス時代に忘れたのは正にこの事実でした。
その結果イスラエル選民は、選民としての摂理に失敗し、摂理はイエスの弟子、キリスト教徒に移っていきました。

 

ⓑローマカトリックから宗教改革を経てプロテスタントへ

キリスト教はローマに伝播され、迫害を越えてローマの国教となりました。
しかし国教となったローマカトリックは、その権力、繁栄のみに携わり、政治的に経済的に莫大な力をほしいままにし、自分の地位に執拗にぶらさがり、いかなる反対者も容赦なく迫害しました。こうしてキリスト教精神は完全に死んでしまいました。
このような教会は改革される必要があり、マルチン・ルターをはじめとして多くの宗教改革家が登場し、新しいプロテスタント改革を始めました。

 

ⓒイギリス国教会から清教徒革命、アメリカ独立戦争を経てアメリカ独立へ

イギリスでは、貴族教会の耐え難い腐敗に対する反乱、清教徒運動も始まりました。彼らは自由に礼拝することのできる新世界、新天地、新しい土地を求めアメリカ大陸を目指しました。
1776年に独立運動を指導した人々は、弾薬をもたず、わずかの兵隊しかおりませんでした。一方イギリス軍は、力、権力、伝統、装備、彼らは軍の力を誇っておりました。
イギリス軍は国王のために戦いましたが、アメリカ軍は彼らの王、神のために戦いました。

 

 

 

※資料(一)7-2 アメリカに対する神の希望 1973年10月21日

歴史上のすべての聖人、預言者、義人はまず第一に完全なる自己否定をし、神に自分を捧げました。神が彼らを呼び集められた時、彼らは自分の家や財産、家族、また国までも捨てました。
神はどのような使命が下されてもついていくことのできる、完全なる疲れを知らない信仰者を要求しているのです。

イエスの時代の人々はメシヤの到来を切望していました。しかし彼らはイスラエルとして、神の選民として、彼らの国家的栄光のみを考えていました。彼らはイエス・キリストの世界的な使命を理解しませんでした。メシヤを選民に送るのは神の目的でありました。そしてメシヤは選民と一つになるのでした。そして彼らは信仰をもつ戦士となり、世界の救いのため戦い、成就するのです。

メシヤのための基台は家庭的闘士であるヤコブ、そして民族的な闘士であるモーセを通して築かれました。最後にメシヤはイスラエルという国家に来ました。彼はその国の闘士であり、世界全体の闘士となるべきでした。神の目的は一つの教会や、一つの国家の救いではないのです。より多くのためにより少なきを犠牲にするのが神のやり方であります。もし、今日のクリスチャンが自分たちのみの救い、自分だけの天国そして自分たちだけの安寧を考えていたら、彼らは神の目的に沿って生きていないのです。もし私たちが自分だけの家族の救いのみに関心を寄せるなら、私たちは神の祝福を受ける価値はありません。もし人々が自分の同胞、すなわち自分の国の利益だけに焦点を合わせるなら、彼らは完全に神の意志に反して進んでいるのであります。

私たちはすべて世界救済のため我々自身を捧げなくてはならないのです。

神は、私たちが自己中心的に生きるのを喜ばれないのです。神の教会の目的は全世界を救うことであります。教会は神の手段です。イスラエル選民がイエス時代に忘れたのは正にこの事実でした。

イエスの十字架と復活ののち、キリスト教は小アジア中に広がりました。ローマはその中心ともいうべき所でした。
信仰をもった軍隊に打ち勝つ敵はないのです。ローマ帝国はついに亡びましたが、イエスはローマを征服したではありませんか。世界救済の神の摂理の中心にローマ・カトリックはなったではありませんか。

しかし、中世になって教会は大きく破滅の道をたどっていったのです。キリスト教はその精神において分裂してきたのです。中世教会の教会制度はその力、権力、その繁栄のみに携わり、教会は政治的に経済的に莫大な力をほしいままにしました。教会制度はこの力を保ち、乱用し、神の目的を忘れてしまったのです。彼らは自分の地位に執拗にぶらさがり、いかなる反対者も容赦なく迫害したのです。これらの人々のキリスト教精神は完全に死んだものとなってしまったのです。

しかし、神は前に進まなければならなかったのです。教会は改革される必要があり、したがって宗教改革がこれに続いたのです。マルチン・ルターは新しいプロテスタント改革を始めました。この不満の花火は直ちにヨーロッパ中に広がり、教会の権力に対して反乱の嵐が巻き起こったのです。全地域の義なる人々は、古い教義や習慣から解放されようと意を決しました。彼らは明らかに、教会ではなく神に礼拝したかったのです。

イギリスでは、貴族教会の耐え難い腐敗に対する反乱がありました。それはイギリス教会を浄化するための叫びでした。清教徒運動も始まりました。これらの新しい求道者は、そうした新しい運動に、あらゆる手段をもって抑圧してきた既成教会の教会指導者たちを、恐れさせました。真実に礼拝の自由を求める者は、逃げ出してしまうか投獄されるかのいずれかでありました。しかし彼らは屈することを知らなかったのです。ある者はオランダに逃げ、彼らが自由に礼拝することのできる新世界、新天地、新しい土地を求めたのです。

彼らの生活は神のみ意を中心としていました。神が彼らの唯一の慰めであり、彼らの唯一の希望であり、彼らの唯一の安全でありました。神が彼らにとって第一の仲間であったのです。彼らは決して神への信頼を失わず未来の展望を失わなかったのです。アメリカに来ることの目的は神を中心とした国をつくり、神が住むことのできる、そして本当に親交を分かち合い神と共に親交を喜ぶことのできる天地をつくり上げることにあったのでした。なぜなら神は最終的な永遠の世界救済のため、神の闘士として仕える一国を必要とされているからです。

彼らが最初に建てたのは教会でした。彼らが最初につくった道は教会への道でした。初期のアメリカが美しいアメリカとして私の目に浮かびます。というのは神はあらゆる所におられたからです。学校に教会に、台所に、通りに、どんな集会場にも、マーケットにも神はおられたのです。

1776年に独立運動を指導した人々を見てみましょう。これらの自由の闘士は英国本国の目から見たなら裏切り者でした。しかし神は、神の手段として神の遣わす人としてこれらの裏切り者を使われました。そして、彼らを通して地上に最高の国をつくろうとされたのです。

しかし、ジョージ・ワシントンは戦う何ものももたなかったのです。一方、イギリス軍はすべてをもっていました。力、権力、伝統、そして装備、彼らは軍の力を誇っておりました。アメリカの大陸軍は弾薬をもたず、わずかの兵隊しかおりませんでした。

イギリス軍は国王のために戦ったのです。彼らにとってイギリス君主は絶対でした。アメリカ軍も彼らの王のために戦ったのです。神は彼らの唯一の王でした。そして神のみが絶対なのでした。

神はアメリカを神の基台、アメリカを神の闘士として望んだのです。そしてアメリカは、神の目的を追い求めながら、犠牲の精神をもち出発させられたのです。アメリカは神の目的のために同じ犠牲の精神で歴史を完成しなければならないのであります。

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