★選ばれし民 ③最初の投獄
それではここで、上記①の収監生活を、もう少し細かく分析してみましょう。
実際上記①にある、京畿道警察部での日本の警察による拷問は、日本留学中に組織した独立運動で、同志だった友人に、共産主義者と密告されての逮捕だったと思われます。
文鮮明自叙伝 92Pより引用
『1944年の10月、新婚の家に突然日本の警察がやって来て、「早稲田大学の経済学部に通っていた誰それを知っているか」と尋ねるなり、答えも待たずに私を京畿道警察部に連行しました。共産主義者として引っ張られていった友人の口から、私の名前が出たことが理由でした。
警察に連行された私は、いきなり拷問を受けました。
「お前も共産党だろう?内地に留学して、そいつと同じ仕事をしただろう?・・・こんなところで犬死にしないように、共産党の奴らの名前を全部吐くことだな」』
この自叙伝の一節を見ても、この時の投獄、拷問は、太平洋戦争末期、日本の特高による、いわゆる“赤狩り”が行われていたその一環として、文先生にもその力が及んだものと思われます。
赤狩りとは摂理的に見ると、どんな意味があったのでしょうか?
その辺に関しては深く考えたことも、資料を調べたこともありませんので、正確なところはわかりませんが、直感だけで書いてみると、サタンの最後の発悪ともいえる共産主義勢力の伸展を防ごうとする、神の摂理だったのかもしれません。
もしそうだった場合、日本人による文先生の逮捕も、拷問を加えたという事実は否定できませんが、あながち再臨主に対する迫害とは意味の違うものだったのではないかとも取れるのです。
つまりサタンの勢力の伸展を防ぐための、神側の摂理を担って行われた“赤狩り”に、何故か文先生が引っかかってしまったとも取れるわけです。
何故そうなったのか?
それは日本で一緒だった友人の一人が、文先生を日本の特高に売ってしまったからでした。
想像するにその友人とは、日本で活動していた、地下独立運動の組織の一員だった可能性が高いのではないでしょうか?
そうであった場合、文先生の最初の獄中生活と拷問の原因を作ったのは韓国人であり、それはあたかもイエス様を売った、イスカリオテのユダのような立場になってしまう可能性もあります。
とは言ってもその友人は、日本の特高による執拗な拷問によって、無理やり言わされた自白でしょうから、イスカリオテのユダとは立場は全く違いますが、文先生を日本の特高に売ってしまったという事実は否定することができません。
文先生の6度の獄中生活の中で、唯一日本人が関与している最初の獄中生活は、韓国人の友人が、自らの意思ではなかったとしても、結果的に文先生を日本に売り渡してしまったために起こってしまった悲劇だったのです。
しかしそこで文先生に拷問を加えた日本人は、再臨主である文先生を拷問にかけたのではなく、共産主義者として密告された韓国人青年を、共産主義の進展を防ぐために行った拷問でもあったのです。
それはこれから世界を蹂躙しようという、共産主義の伸展を妨げるために行ったものでしたから、神側の摂理と考えることもできるものでした。
結論として、日本人が関わった文先生に対する唯一の投獄、拷問であった最初の獄中生活は、日本人の民族的な罪とは言い切れるものではなかったばかりか、韓国人がその原因を作ってしまった苦難だったのではないでしょうか?
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