真珠湾攻撃を奇襲という米国の嘘と、戦後の日米関係

真珠湾攻撃を奇襲という米国の嘘と、戦後の日米関係
9/3(木) 6:01配信

 今年も75年目の終戦記念日を新型コロナウイルス感染症の渦中で迎えたが、その影響で例年よりは静かだった気がする。

 とりわけ、個人的には「中国共産党・習近平総書記の国賓としての来日」が延期になったことは天祐ではないかとさえ思っている。

 それはさておき、思い起こせば、75年前の8月は日本民族が有史以来、蒙古襲来時と共に、存亡の瀬戸際に立たされた極限状態であった。

 よくもその日を乗り切って生き延びることができたと空恐ろしい気がするのは私ばかりではあるまい。

 その奇跡を乗り切ることができたのは昭和天皇陛下のお陰と感じ、改めてその偉大さ・勇敢さによるものと、感謝以外に適切な言葉を見出すことができない。

 それはポツダム宣言受諾の『終戦の詔勅』が出される前日、8月14日午前10時30分に天皇陛下が重臣を集め、決意の訓示をされ(下記内容を)お示しになったことだ。

 軍事史学会編『大本営陸軍部戦争指導班 機密戦争日誌(下)』から引用の訓示

 自分ノ此ノ非常ノ決意ハ変リナイ。内外ノ動静国内ノ状況、彼我戦力ノ問題等、此等ノ比較ニ附テモ軽々ニ判断シタモノデハナイ。此ノ度ノ処置ハ、国体ノ破壊トナルカ、否(しか)ラズ、敵ハ国体ヲ認メルト思フ。之ニ附テハ不安ハ毛頭ナイ。唯反対ノ意見(陸相、両総長ノ意見ヲ指ス)ニ附テハ、字句ノ問題ト思フ。一部反対ノ者ノ意見ノ様ニ、敵ニ我国土ヲ保障占領セラレタ後ニドウナルカ、之ニ附テ不安ハアル。然シ戦争ヲ継続スレバ、国体モ何モ皆ナクナッテシマヒ、玉砕ノミダ。
今、此ノ処置ヲスレバ、多少ナリトモ力(ちから)ハ残ル。コレガ将来発展ノ種ニナルモノト思フ。

 ―以下御涙ト共ニー

 忠勇ナル日本ノ軍隊ヲ、武装解除スルコトハ堪エラレヌコトダ。然シ国家ノ為ニハ、之モ実行セネバナラヌ。
明治天皇ノ、三国干渉ノ時ノ御心境ヲ心シテヤルノダ。ドウカ賛成ヲシテ呉レ。之ガ為ニハ、国民ニ詔書ヲ出シテ呉レ。陸海軍ノ統制ガ困難ナコトモ知ッテ居ル。之ニモヨク気持チヲ伝ヘル為、詔書ヲ出シテ呉レ。ラヂオ放送ヲシテモヨイ。如何ナル方法モ採ルカラ。

 何と勇敢にして日本国民を思う慈悲に満ちたお言葉であろう。個人的にこのお言葉を長らく知らなかったが、拝読するたびに涙が止まらない。

 私がこの世に生を受けた約1年前、炎天下の8月15日にラジオを通じて玉音放送として『終戦の詔勅』が国民に知らされた。

 その時の様子を生前の私には知る由もないが、すべての日本国民はこれを境に一糸乱れず日本再興への道を突き進んで黙々と努力して行く姿は、世界史の中で生じた驚嘆すべき奇跡といっても過言ではないと思う。

 この日の出来ことは諸々の条件が偶然重なったものと推察するが、人類史上でもこれほど整然と敗戦の日を迎えた民族は皆無で、燦然と輝く日本民族の金字塔ではないかと思う。

 確かに日本はありったけの国力をかけた戦争で敗者になり、計り知れない資産と多くの有能な人材を失った。国民の大多数は極度の貧困に苦しむことは誰の眼にも明らかであった。

 このように国家が破滅同然の事態になった場合、通常、世界史上では暴動、略奪、悲惨な殺戮などの大混乱が国内で生じて来た例は枚挙に暇がない。

 しかし、その日以降の日本では全く正反対に日本国民すべてが整斉と秩序正しい行動する事象となって具現化された。

 この全く異次元とも言える日本国に生を受けて唯々有り難いと思うと同時に、昭和天皇陛下の慈愛に満ちた訓示が、心の琴線に触れて私は感動で涙があふれ出たのである。

 日本が悲惨な戦火で全国土が焼土と化した断末魔の極限状態にあった最中に、冷静に状況を見極め、行動方針を躬考された結果、最高指導者として全責任を一身に背負い、国運を決定された。

 そのうえ、最適な言葉で揺るぎない決心と行動を自ら示された事に驚き、超人的な勇気・至高の教養が発露されたと思う。

■ 日本民族の幸運

 その後、占領軍が日本を骨抜きにするWGIP政策を進め、その最優先の第一歩は焚書坑儒と言う紀元前213年に秦の始皇帝が行った野蛮行為を再現し、戦前の素晴らしい日本精神の精華とも言える伝統・文化財の多くを破砕した。

 その結果、占領政策としては(上意下達を厳守する生真面目な国民性のお陰で)見事に成功し、今日でも大きな影響が残っている。

 特に教育政策で戦前の日本の美点がすべて野蛮で時代遅れであるとする刷り込みが徹底されたため、それらを蔑にする低劣な日本人が多くなって、天皇陛下の戦争責任を叫ぶ輩さえもいたようである。

 しかし、最近になって支那事変に続く太平洋戦争への道は天皇陛下をはじめ国家上層部が何としても回避しようと必死に努力した事実が証拠と共に次々に露見してきた。

 フランクリン・ルーズベルト米国大統領やウィンストン・チャーチル英国首相によって日本に、最初に手出しをさせようとする工作が周到に準備されたことは、米国のフーバー元大統領の回顧録などで明らかになっている。

 中国の蒋介石・宋美齢夫妻によるプロパガンダ工作で日本を逃げようのない窮地に追い込んだうえ、「ハルノート」を突きつけたことは卑劣この上ない事項である。

 日本が「ハワイ真珠湾攻撃」時、手違いから宣戦布告の手続きが遅れたことは残念ながら事実だが“国際法違反の奇襲だ”とすべての責任を日本に負わせるための大宣伝をした。

 しかし、それ以前に、米国は現役パイロットを中国大陸に派遣し、フライイングタイガー部隊によって日本軍への不法攻撃を行い、ハワイ沖では公海上で日本海軍の潜水艦を撃沈したことには一切口を封じている。

 これこそ国際法を無視した蛮行であり、宣戦布告前の戦闘行動を米国自身が既にしていたわけだ。

 当然、今の価値観やその後の日本の繁栄だけを見ると大国への無謀な戦争を起こしたと糾弾することは容易である。

 しかし、当時日本を窮状に追い込み、戦争を起こさせて完膚なきまでに叩き潰そうと企む米英などの戦略は見事なまでに練られたものであった。

 東京裁判の際、インドのパール判事が「あの状況に追い込まれたとすれば小国モナコでさえ同じことをしたであろう」と言った逸話が残っている。

 また、当時満鉄総裁・外務大臣として活躍し、戦後A級戦犯とされた松岡洋右氏は極東軍事裁判の判決前に病死されたが、著書『東亜全局の動揺』(GHQが見つけ次第焚書を命じた書)を見ると当時の日本が国際社会で揺さぶり続けられる苦悩が見事に描写されている。

 この書は連合国が日本に戦争責任を押しつけるうえで非常に不都合な内容が含まれており、同類の書籍も証拠隠滅のため一刻も早く焼却を急がせたとのことだ。

 さらに、日本の重職にあった責任者に(国際法に規定されていなかった事後法と言われる)『平和に対する罪』を無理やり適用して反論の遑を与えず、速やかな口封じするため、形式だけの茶番である極東軍事裁判を強行し絞首刑に処した。

 極東軍司令官マッカーサー元帥が退任後、米国議会で証言した当時の状況を述べた証言からも、日本が開戦に追い込まれて行った道筋が見えてくる。

 今となっては敗戦当時のことを蒸し返しても詮方ないことであるが、我々日本国民としては、天皇陛下の御決断によって国家滅亡の瀬戸際でこの国が生き残れたことと戦場に散華された多くの英霊への御恩だけは絶対に忘れてはならないと思う。

■ ポツダム宣言受諾御決断のタイミング

 この決定がもっと早ければ・・・と言う意見は多い。

 ことがすんなり決着すればもちろんそれに越したことはないと誰でも思う。原爆投下も回避され多くの都市への無差別爆撃による被害が少なかったであろう。

 しかし、それは今にして言えることであって、まだ、陸海軍に戦闘遂行の余力が有ったとしたら、そう容易いことではなかったと思う。

 一時は天皇陛下のお言葉で静まったとしても、陸海軍の無条件降伏がなく、武装解除されずに余力を残して居れば・・・将来反撃に出て第3次大戦に突入し人類の破滅にまで突き進む可能性さえ否定できなかったと思う。

 また、血気に盛る若い将校をはじめ国民の不満が高じて混乱・暴動が発生し収拾がつかなくなって、国民相互の不信感が極度に高まる不安定な国家に成ったであろうと私は思う。

 一方もう少し遅ければ・・・さらに多数の原子爆弾の投下に続き、米軍の本土への上陸が決行され、日本の国土・国民がほとんど壊滅して日本国は(陸海軍のみならず完全な)無条件降伏となり、欧米の格好の草刈り場となって、植民地化され、果ては奴隷化される最悪のシナリオも考えられる。

 これらを勘案するとあの時点で陸海軍の実戦力は既に完全に崩壊していたうえ、日本国民すべてがもうこれ以上耐えられないことを実感する限界点に達していた絶妙のタイミングであった。

 さらに全国民が天皇陛下を信頼し尊敬していたからこそ、お言葉には素直に従う心根と古来受け継がれて来た日本特有の伝統的精神が強固であったことも幸いであったと思う。

 もう一つ極めて重要な考慮要件であったと思うのは、ソ連の動向である。

 日本の『ポツダム宣言』受諾を見透かしてその直前の8月8日『日ソ不可侵条約』を一方的に破棄して突然日本への侵攻を始めた。日本が米国への仲裁を要請していたにもかかわらず、である。

 この時点でソ連軍と接していた最前線の日本軍は武装解除直前で、ソ連軍の残虐性の実態を熟知していた現地指揮官が独自の判断で戦闘行動を命じ一時その侵攻を食い止めるという奇跡的なタイミングの幸運が重なった。

 もし、ソ連軍の侵攻に無抵抗であったとすれば、北方領土どころか北海道北半分が占領され、今現在も苦しんでいたことだろうし、満州方面では多くの日本人難民が一層悲惨な運命を辿ったであろう。

 それに対比すると、占領軍が米国主体であったため、彼らは概して秩序を保ち、大きな騒動が発生していないうえ、後年になって日米軍が激烈な死闘を繰り広げ占領した硫黄島や沖縄などを返還してくれたことも奇跡的に幸運だったと思う。

 これがソ連だったらあり得ないことであると推量する。

 これらの歯車とタイミングの整合性がなければ、と考えると恐ろしい日本史になったであろう。

 そして、その後の日本の復活であるが、経済的な面からは朝鮮戦争の勃発で、特需景気が大きかったことも一理ある要因であるが、私は戦前の教育を受けた優秀な人材が育っていたことが何よりも復興の戦力となり、その後の目覚ましい国家へと成長させてくれた原動力であったと思う。

 その優秀な人材を育成した教育の原点は『教育勅語』の精神であり、GHQに日本文化の精華と言われる書籍を悉く焼かれてしまったが、幼少期に受けた日本人としての精神までは消去されていなかったからだと思う。

 終戦後戦地から復員して来た若者たちは筋の通った強固な日本精神で黙々と働いた。

 そして、彼らが各種リーダーとなるや日本のありとあらゆる分野で、見事な花を咲かせた。

 しかし、暫くの間は彼らが頑張って切り開いてくれた立派な遺産で食い繋いできたが世代が変るにつれ、その道に至る苦労が無く、本領・本質を理解できず錆が浮き出てくるようになった。

■ まとめ

 これらの遺産を受け継いだ我々世代はそのお陰で経済大国の恩恵を受けて来たが、今やそれを食い潰しつつあるような気がする。

 これまでの日本の幸運は能々考えれば立派な多くの諸先輩の努力によって築き上げられてきたもので、手抜きをすれば瞬く間に逃げてしまうであろう。

 江戸時代の米沢藩主上杉鷹山公の『伝国の辞』に「国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候」と記されているように先人が護り続けてきたこの国を子々孫々に立派に伝えなければならない。

 我々はこのまま手を拱いていても幸運な日本の日々が何時までも続くと考えるべきではない。

 幸運を呼び寄せる唯一の方法は立派な日本の人材を一人でも多く育てること以外に道はないと肝に銘じるべきだ。

 武田信玄公の『甲陽軍鑑』にあるように、日本国と民族の末永い安寧に保つためには『人は石垣、人は城』の教えを守り、有能な人材を育てる事が未来永劫に亘り何よりも大切な国の基である。

篠田 芳明

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