欧州に繁栄をもたらした奴隷貿易(三角貿易)とキリスト教

★欧州に繁栄をもたらした奴隷貿易(三角貿易)とキリスト教

征服者たちは南米で金銀の鉱山を発掘し、砂糖やコーヒー、タバコなどの嗜好品の農園経営に没頭しました。しかし、先住民族をあまりにも大量に殺したことに加えて伝染病や飢餓の発生によって働き手を失ったため、鉱山も農園経営もままなりません。そこで征服者たちはアフリカから労働力として黒人奴隷を大量に動員し、南米に送り込んだのです。

・アフリカ人奴隷
アフリカから黒人奴隷を連れ出すために拉致・誘拐もありましたが、もっとも多かったのは白人奴隷商人とアフリカ人首長の間で交わされる物々交換でした。奴隷商人はアフリカ人首長が他部族と戦争して捕まえた捕虜を、安い酒やタバコ、ガラス玉などと交換して奴隷船に乗せました。
奴隷船には複数の奴隷商人の商品として奴隷が積まれるため、所有者の見分けがつくように腕や腹に焼印が押されました。奴隷は人間とは見なされませんでした。牛馬と同じく家畜として扱われたのです。

奴隷たちは二人ずつ鎖につながれたまま、暗い船倉に放り込まれました。たくさんの奴隷を運べるように天井が低く造られているなかに大勢の奴隷が積み込まれるため、立つことはもちろん横になることもできません。
ギュウギュウ詰めのために移動もままならず、垂れ流し状態だったと記録されています。過酷な環境の中で航海中に半分の奴隷が息絶えました。
ようやく生き残った黒人奴隷たちは鎖で数珠つながりにされたまま奴隷市場に引き立てられ、家畜のように売り出されました。

学者による推計では、16世紀に90万人、17世紀に300万人、18世紀に700万人、19世紀に400万人の黒人が奴隷として売買されたとしています。全部足すと1500万人ほどです。しかし、これはあくまで売買された数です。一人の黒人を新大陸に連れて行くまでに、およそ5人が死んだとする推計があります。その推計が正しければ1500万人の黒人奴隷が売買されたということは、実際には7500万人の黒人が連れ出されたことになります。
ただし、これらの数字は征服した側から記録されている数字に過ぎません。実際にはもっと多くの黒人奴隷が故郷から連れ出されたことでしょう。

★アフリカ大陸

ヨーロッパ人によるアフリカ人奴隷貿易は、1441年にポルトガル人が拉致したアフリカ人男女をポルトガルのエンリケ航海王子に献上したことに始まります。
初期の奴隷貿易は、ヨーロッパ人商人、冒険家、航海者などが、自己の利益のために自己負担で行った私的なもので、小規模なものでありました。
1450年代に入ると、奴隷狩りから奴隷貿易へとシフトし、相互に部族闘争を繰り返していたアフリカの黒人諸王国は、戦争捕虜や奴隷狩りで得た他部族の黒人をポルトガル商人に売却するようになりました。ポルトガル人はこの購入奴隷を西インド諸島に運び、カリブ海全域で展開しつつあった砂糖生産のためのプランテーションに必要な労働力として売却しました。
1452年、ローマ教皇ニコラウス5世はポルトガル人に異教徒を永遠の奴隷にする許可を与えて、非キリスト教圏の侵略を正当化しました。

1480年代には、ポルトガルとスペインで独占的な奴隷貿易会社が設立されるにいたりました。この時代、奴隷を売ってもらえないイギリスの冒険商人による奴隷狩りが散発的に行われました。
その後、奴隷貿易の主導権がオランダ、フランス、イギリスなどに移り変わっても、特許会社が拠点を置き、現地勢力が集めた奴隷を買い取って売り渡すという形式のみとなりました。

18世紀になると、イギリスのリヴァプールやフランスのボルドーから積み出された銃器その他をアフリカにもたらし、原住民と交換。さらにこうして得た黒人を西インド諸島に売却し、砂糖などをヨーロッパに持ち帰る三角貿易が発展しました。

・三角貿易
16世紀から18世紀にかけては奴隷貿易を中心とする三角貿易によって、ヨーロッパに莫大な富がもたらされました。三角貿易とは次のような流れです。
ヨーロッパで安物のビー玉や銃器、木綿の工業製品などを持って商人たちはアフリカ・ギニア湾岸に行き、黒人奴隷と交換します。そのあと南米ブラジルや西インド諸島に向かい、奴隷をほしがる鉱山や農園の経営者に運んできた黒人奴隷を売り飛ばします。
次に、奴隷を売って得た金で砂糖や綿花・タバコ・コーヒーなどの亜熱帯作物を大量に積み込み、ヨーロッパに戻ってからそれを売却します。
欧州・アフリカ・新大陸の三大陸にまたがる三角貿易によってヨーロッパの国々は栄え、その一方でアフリカの黒人や新大陸の黄色い肌をした有色人種たちは、平和と愛に満ちた日常を奪われ、奴隷として白人に隷従させられたのです。

新大陸からは奴隷によって採掘された大量の金銀がヨーロッパに運ばれました。それらの金銀は西欧列強の資本の蓄積につながり、産業革命の原資となりました。そのなかには非白人たちが何世紀にもわたって貯めてきた金銀も含まれています。非白人たちからの収奪と犠牲の上に、ヨーロッパの富と繁栄が築かれました。
産業革命が起きたことで、産業に必要な物産資源の獲得と市場の拡大こそが、欧州列強の欲するところとなりました。そのため、植民地争奪競争はますます過熱することになり、その牙はアジアに向けられることになります。

・有色人種の奴隷化を支えたキリスト教
旧約聖書では造物主である神が、自分に似せて人間を造ったと記されています。さらに神は人間の下に動物を造り、その下に万物を造ったとされています。人間は神の代理人としての役割を与えられているため、動物を家畜として支配し、殺し、食べてもよいとされました。
当時のヨーロッパ社会では、神が自分の姿に似せて造ったのは白人のみ、という解釈が一般的でした。つまり「人間」とは白人のみに与えられた呼び方であり、黒人や黄色人種は人間の下に造られた動物に過ぎないと解釈されたのです。それゆえに、非白人を家畜にすることは神が白人に許したことであり、神の法に適うことと考えられました。

ヨーロッパ社会ではキリスト教のみが正義であり、善であると信じていました。キリスト教以外の神はすべて未開野蛮な信仰と見なされ、キリスト教徒によって征服されるべき邪教と考えられました。
ローマ法王庁からは「教皇勅書」がスペインとポルトガルの国王に授けられ、征服地の領有はローマ教皇によって正式に認められました。そのことは間接的に、貿易の独占権や原住民の奴隷化をも教会が認めたことを意味します。

・非白人を虐げるための科学的根拠

「人種」という言葉をはじめて使ったのは、スウェーデンの博物学者リンネとされています。リンネは白・赤・蒼・黒に人間を分け、創意に富むヨーロッパの白色人種、高慢・貪欲なアジアの蒼色人種、狡猾・怠け者の黒色人種という選別を行いました。リンネは人類分類表を作り、アフリカ人を奇形として位置づけ、人間の最下位においています。

ドイツの生理学者ヨハン・フリードリッヒ・ブルメンバッハは著書「人類の自然変種について」のなかで、黒色人種・黄色人種・褐色人種はすべて本来の白色人種が退化したものだと結論づけています。

イギリスの自然科学者ロバート・ノックスは「人類の種族」において、イングランド系アングロサクソンが最も優れているとし、すべての有色人種よりも白人が優位にあるのは科学的根拠があると主張しました。

人種差別を正当化する科学の先頭に立ったのはロンドン人類学協会です。協会創設者のジェームス・ハントは、白人のみが人類学的に見てホモ・サピエンス(=ヒト)であり、黒人をはじめとする有色人種は猿のように太古にヒトの系統から分岐した種に過ぎず、ヒトとは異なる系統にあると主張しました。それゆえに、黒人は奴隷として白人に仕えることによってのみ生存の意義を見出せると言い切ったのです。

このように19世紀までは、「白人と非白人は同じ人間同士ではない、有色人種は白人とは異なる先祖をもつ別の生物なのだ」とする極端な人種差別が、当時の西欧社会に漂っていました。
科学者ばかりではありません。哲学者として高名なデイヴィッド・ヒュームも「黒人等の白人以外の人間種のすべてが、生まれながらに白人より劣っている」と述べています。

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