驕りし選民繰り返される摂理の失敗

「驕りし選民繰り返される摂理の失敗」

原理に出会う前、私は他の信仰を持っていました。
その宗教の教祖は私が入信した時には既に亡くなられていたのですが、自らをメシヤに先駆けてくるものとして、洗礼ヨハネであると啓示的に感じ取り、「魁のメシヤ」と名乗っていました。

私はその宗教に出会う以前から救世主・メシヤを捜し求めていましたが、聖書の黙示録を読み、私が入信した宗教は、メシヤ直接の宗教ではないことを知り、実は安心していました。

それは何故か、黙示録7:14~17を見てみます。

「彼はわたしに言った、『彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。それだから彼らは、神の御座の前におり、昼も夜もその聖所で神に仕えているのである。御座にいますかたは、彼らの上に幕屋を張って共に住まわれるであろう。彼らは、もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう』」。

神の御座の前で、メシヤと共にある者たちは、「もはや飢えることがなく、かわくこともない。太陽も炎暑も、彼らを侵すことはない。御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって、いのちの水の泉に導いて下さるであろう。また神は、彼らの目から涙をことごとくぬぐいとって下さるであろう」という、とてつもない恩恵に与れる人たちではありますが、その恩恵に与る前に、「彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くしたのである。」とありますので、私にはとてもそのような艱難に耐え得るだけの信仰は持てないなと思い、メシヤに直接侍る信仰ではなくて良かったと思った次第です。

実際私たちが知るクリスチャンへの迫害は、ローマにおいてはコロッセオでライオンや獣と闘わせられたり、十字架につけられ火あぶりにされるという迫害でした。

また日本においても隠れキリシタンを炙り出すために踏み絵をさせられ、キリシタンと分かると十字架につけられるという迫害を受けてきましたから、メシヤに直接侍ることで受けるだろう迫害は、キリシタンが受けてきた迫害程度では済まされないだろうと思い、まさしく命がけの信仰が求められ、自分などにはとても耐えられないと思った次第です。

ですからメシヤ直接ではなく、洗礼ヨハネ教団に入信できたことで、ある意味安心し、満足していました。

しかし神はそんな私の甘えた根性は許されずに、結局統一教会へと導かれてしまいました。

そんな形で導かれましたから、私が原理を聞く観点は、1から10まで文鮮明氏はメシヤか否かの一点で聞き、4回主の路程を聞くことでようやく入教する決意ができました。

しかし入教する決意はしたと言っても、文鮮明氏はメシヤかどうかは最後まで自分では判断できませんでした。

イエスキリストやお釈迦様に勝るとも劣らぬ路程を歩んでいることは理解できたのですが、だからと言ってメシヤであるとは断言できなかったからです。

それは幼稚園児が大学の高等数学の講義を聞いても理解できないのと一緒で、私には文鮮明氏がメシヤかどうか判断できるだけの心霊も知能も持ち合わせていないことが分かり、最後にはメシヤであることに賭けると決意をしたのでした。

それは残念ながら数十年経った今でも変わらず、一度賭けた賭けを最後まで全うする思いだけで今日まで来ているような気もします。

前置きが長くなりましたが、何が言いたいかというと、選民とはあくまでも「大きな患難をとおってきた人たちであって、その衣を小羊の血で洗い、それを白くした」者でなければいけないということです。

「神様の摂理から見た南北統一」を見ると、「神様のみ旨は、イスラエル民族を祭物とし、メシヤ自体も人類の僕の立場に立って、人類のために生きるということだった。」とあります。

つまり選民とは、神のみ旨の為に命を捧げられる人でなければいけず、自分自身を祭物として捧げられる人であり、命がけで神を愛し、人類の前には僕の僕となって仕える人でなければいけません。

それは同時に、真のお父様が実践したような真の愛を実践する者であり、恩讐をも愛する愛を実践し、勝利した者でなければ選民にはなれないということです。

私たち日本人は統一教会に入教することにより、日本はサタン側のエバ国だった、主の国韓国を迫害した罪深い国だ、だから日本人は誰よりも犠牲の道を行かなければいけないと洗脳され、教育されてきましたが、そんな日本と日本人を誰よりも愛し、僕の僕の立場に立って侍り、真の愛を実践された方こそが真のお父様でした。

まさしく真のお父様がそのような真の愛を示され、恩讐である私たち日本人を愛してくれたからこそ、日本人は誰よりも犠牲の道を歩み、全てを捧げてみ旨の道を歩むことができたのです。

韓国人が選民だというなら、韓国人たちは真のお父様が示されたような真の愛を、恩讐である私たち日本人に対して実践しなければいけないのです。実践し勝利して初めて韓国人たちも本当の選民になれるのです。

しかし現実の韓国人はどうでしょうか。

教会においては、日本はサタン側のエバ国だった、日本人はその罪の蕩減の為に万物を全て捧げなければいけないと、終わることなき献金路程へと駆り立て、日本人に犠牲を強いながら、幹部たちは自分たちの私腹を肥やすという図式が成り立っています。

原理に照らし合わせた時、彼ら幹部たちは真のお父様が開拓された真の愛の実践の機会を喪失し、既に選民としての使命に失敗してしまっているのです。

その結果今の韓国における反日運動の盛り上がりの原因まで作っているのではないでしょうか。

統一教会が率先して日本を愛し、許そうという運動を行って初めて、アダム国家韓国とエバ国家日本が本然の夫婦のごとくに一体化し、日韓が一体化した基盤の上に、創造本然のエデンの園を迎えることができるはずでした。

しかし現実は統一教会は反日の急先鋒に立ってしまっており、率先して慰安婦問題の罪を認め、謝罪し、韓国における反日勢力を勢いづけさせております。

まさしく驕りし選民により、摂理の失敗は繰り返されているのです。

そんな選民、韓民族の摂理の失敗の歴史を姉妹ブログ「驕りし選民繰り返される摂理の失敗」に投稿した内容を再編集しまとめたものを、今回PDFファイルにして期間限定で配布いたします。

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「驕りし選民繰り返される摂理の失敗」

「サタン国家日本、罪の呪縛からの解放」「新解釈 文鮮明氏6度の受難」において、日本は言われるように罪深い国などということはなく、逆にメシヤ降臨に多大なる貢献を果たした国であり、韓国の近代化にも大きく貢献した国であるということを、実際の歴史と真のお父様のみ言から解説しました。

「驕りし選民繰り返される摂理の失敗」では、真のお父様の路程を中心に、真のお父様をメシヤとして、再臨主として迎えるべくして用意された韓民族は、果たして神の願いに応え、摂理に勝利することができたのかどうかを、真のお父様の生涯路程を中心として解明しました。

そこから見えてくる唯一の結論は、韓民族は神の摂理にことごとく失敗していたという否定しがたい真実です。

南北の分断もその結果であり、真のお父様の40年荒野路程もその結果であり、統一教会の分裂もその結果に過ぎません。

このような結果を厳粛に受け入れ、悔い改めることなくして韓民族には希望の未来も、将来も、何もありません。

摂理に失敗したユダヤの10部族の末路は悲惨なものでした。
イエスを十字架につけたユダヤ民族の悲劇は2000年間続き、故郷の地を復帰した今も紛争は続いたままです。

私たち日本人も愛があるならば、摂理にことごとく失敗した韓国人に真実を知らせ、これ以上罪を重ねることのないように指導してあげることが、真の愛の実践になるのではないでしょうか?

そのためにも一度「驕りし選民繰り返される摂理の失敗」をお読みいただき、私たちが果たすべき使命を再考する参考としていただければ幸いです。

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