み言と原理で解明真の後継者 ~水瓶座の時代と真の後継者~
2020年1月、このブログで紹介した「水瓶座の時代の始まり」では、2020年は新しい時代の始まりという記事を紹介しました。
その後、新型コロナウィルスのパンデミックが起こり、東京オリンピックが中止となり、日本でも自粛生活が始まりました。
その自粛期間も終わろうとしている今、ポストコロナ時代として新しい時代の始まりが叫ばれています。
しかし新型コロナウィルスのパンデミックは、単なる新しい時代の始まりを告げる警鐘に過ぎません。
新しい時代の幕開けは新型コロナウィルスによって示されましたが、これから第二弾、第三弾の変化がやってきます。
日本は今回、緊急給付金の出し渋りが批判されていますが、今回の新型コロナウィルス以前から、デフォルトが既定路線とと言う声もありましたので、今や日本の国家自体の倒産も時間の問題なのかもしれません。
デフォルトが起こったら預金封鎖、IMFの介入と緊縮財政、ハイパーインフレ等が考えられ、私たちの生活も一変してしまいます。
そんな時老後を心配し、一生懸命銀行に貯金し、1億円貯めることができたとしても、預金封鎖され、銀行が倒産してしまったら、1000万円までしか預金は保証されません。
時代に合わないことを行っても意味がないのです。
「水瓶座の時代の始まり」にも書いてあったように、新しい時代が始まるということは、古い時代、古い価値観は崩壊するということを意味します。
そんな時代の変革を迎えている時、私は今までの時代が良かった、今までの既得権益は守らなければいけない、新しい時代など受け入れることなどできないなどと意地を張っていたら、その人は滅びるしかありません。
逆に新しい時代を一早く受け入れ、新しい時代に合った価値観、新しい時代の経済体制、新しい時代を牽引する仕組みを作る側に回ることができたなら、その人は時代の波に乗って、特別なことは何もしなかったとしても自動的に栄えていくようになります。
そう考えた時、時代の波に乗ることを選ぶか、時代の波に取り残される方がいいのか、全ては私たちの選択にかかっているということです。
時代が変わろうとしているその時に、時代の流れに逆らってどんなに努力したところで、滅びの道から逃れることはできません。
マタイによる福音書9章17節に「新しいぶどう酒は新しい革袋に」と書いてあるように、新しい時代には新しい時代に合わせて、新し器を用意しなければいけないのです。
新しいぶどう酒を古い革袋に入れたら、袋は破け、せっかくの新しいブドウ酒もこぼしてしまうばかりです。
このように時代が変わっていくとき、その時代に乗るか乗らないかは私たちに選択一つであり、どんなにあがいても時代の変化を止めることはできないのです。
統一教会の後継者問題も同じようなことがいえます。
後継者を決めるのは私たちではなく、神であり、真のお父様です。
私たちが認めようが認めまいが、一切関係ありません。
私たちにできることは、正しく真の後継者を探すことくらいで、私たちが真の後継者を決めることなどできないのです。
今の時代が変革の時代であり、私たちは新しい時代に乗るか乗らないかの選択をするだけと同じように、真のお父様の後継者問題も、私たちが決めるものではなく、私たちは真の後継者とともに天運に乗っていくか、滅びの道を行くかを選択することしかできません。
神が、真のお父様がいくら私が願わない人を後継者と定めたとしても、私たちが生き残るためには、神が、真のお父様が定めた真の後継者を受け入れるしかないのです。
韓お母様を、文顯進様を、文亨進様を後継者にして欲しいとどんなに私が願ったとしても、私の願いなど関係がないのです。
神の基準で、真のお父様の決めた基準で、この人こそが後継者だと決めてしまったら、その決定を覆すことはできないのです。
あくまでも人間的な判断で決めることはできないのです。
それは2000年前、イエスが降臨されたときもそうでしたし、1945年当時の摂理においてもそうでした。
ユダヤ教徒が願ったメシヤは降臨されませんでしたし、キリスト教徒が願ったようなメシヤも降臨することはありませんでした。
いつのときも神が送られたメシヤを受け入れるか否かの選択しかなかったのです。
このブログの姉妹ブログ、「聖和前後の神の摂理」で解説した、「み言と原理で解明真の後継者」では、客観的立場から真のお父様のみ言と原理を基準として、真なる後継者を導き出しました。
全ての答えは、み言と原理の中にあるからです。
今回ここでは、「聖和前後の神の摂理」で解説した、「み言と原理で解明真の後継者」について、改めて編集しなおし、PDFファイルにまとめ、2週間という期間限定で、誰でもダウンロードできるようにしました。
ダウンロードリンク
「み言と原理で解明真の後継者」
「み言と原理で解明真の後継者」で明らかにしたことは、時系列に従って真のお父様が語られたみ言を分析しました。
そして原理の中に見られた後継者の資質について、3つの側面から分析してみました。
そうするとによって真の後継者が明確になりました。
み言を見ても、原理的分析から言っても、2人の後継者候補はその資格を有していないことが明らかとなりました。
たった一人だけが全ての項目で後継者としての資格を有していることが明らかになりました。
神が定めた後継者を受け入れたくない人、誰が何と言おうと自分が信じる人を後継者として信じ、他の後継者候補は絶対に認めたくないという人は、「み言と原理で解明真の後継者」は見ない方がいいでしょう。
真の後継者と共に新しい時代を築ける食口は、せいぜい2割程度に過ぎませんので、大部分の食口は振り分けられてしまいます。
2割の食口は、必ず大なり小なり、大きな犠牲を払うことによって真の後継者と出会えるようになりますので、その痛みを甘受する準備ができていない人は「み言と原理で解明真の後継者」は見ない方がいいでしょう。
真の後継者と出会いたい人は是非ご覧ください。
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