NHKは「東京裁判」史観を国民に押しつけるのか
8/20(木) 6:01配信
NHKの歪んだ報道姿勢については批判が絶えない。
筆者も今年2月21日、「NHKは公共放送の原点をどこにおいているのか」(https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/59399)で、北方領土返還要求全国大会の報道を「ニュースウオッチ9」で一言も触れなかったことを言挙げした。
その中で、NHKの偏向報道にも言及し、特に2016年12月12日から4夜連続で放映された「東京裁判」は、事実の偏向や新しい研究成果が全く取り入れられていない点などが高池勝彦弁護士からクレームがついたことなどを紹介した。
ところがこのシリーズがほとんど内容を変更することなく、今年も2話ずつ2回(8月9日、10日)に変えて放映されたのだ。
NHKが再度放映したということは、日本人は東京裁判史観を受け入れ、日本に着せられた悪徳国家論や指導者たちの汚名を雪ぐことなく、裁判を主導したマッカーサー個人の思いを色濃く反映した日本国憲法を護持し続けよと国民に語りかけているとしか思えない。
国際情勢がかつてなく緊張・混迷し、日本の存亡にも関わる今日、東京裁判史観を受け入れることはできない。
■ レーリング判事の日記が教える真実
産経新聞パリ支局長の三井美奈氏が、東京裁判にオランダから参加したベルト・レーリング判事の「東京裁判日記」を月刊誌『正論』に連載(令和元年7月号~2年5月号)した。
レーリンクは「戦争を犯罪として問えるか」で悩み、東京裁判条例の事後法では問えないと結論づける。
他方でオランダ政府の「(判事団に)同調し、サインせよ」という圧力に屈する。
そこで、ナポレオンが「犯罪」ではなく「危険の大きさ」から自由を剥奪されセント・ヘレナ島へ追放された先例を参考に、「勝者は平和構築の責務を負うため、敵対行為を除去する強制措置は認められるべき」という独自の解釈をする。
東京裁判では判事の間でも悶着があった。
裁判が続行しているときでもGHQ(連合国軍最高司令部)で情報・検閲を担当した参謀第2部のチャールズ・ウィロビー准将は、レーリング判事に「戦争計画が犯罪とみなされるなら、自分の息子は軍人にしない」と語っている。
レーリンクは証拠がそろってもいないのに事実認定が行われていることや、仕事を助手たちに任せて判事団は怠けてろくに検証もしていないことなども自国政府に報告している。
判事団が頭から(日本の)犯罪と決め込んで真剣な議論を遮ること、「できるだけ多くの死刑判決を出すことにしか興味がない人、高齢で取り組む気力のない人がいる」と内実をばらし、「彼らの書いたものは、恥ずべきもの」とも報告している。
当初の米国の判事は下院議員も経験したヒギンズで、レーリンクが真珠湾問題で詰め寄ると、「世論を誘導するため、米国が奇襲攻撃を引き起こした可能性」を認めている。
このヒギンズは「自分の栄誉、娘の名誉になるから(判事を)引き受けた」と言って憚らない。
そして2か月後には「自分の幸せが何より大事。行かない(就職しないと)と報酬のいい仕事がフイになる」と言ってさっさと判事団から脱落し、帰国する。
レーリンクはこんな理由を認めたマッカーサーに対する怒り、他方で「アングロサクソン集団は馬鹿なことをどんどん押しつけて、こちらはなかなか手が出ない」と妻に書いている。
日記にも「法は政治の道具にすべきではない。必要だからという理由で、犯罪でないものを犯罪として裁けばそうなってしまう」と記している。
判事団では被告弁護人が裁判所の管轄権を問い、原爆投下の犯罪性を問い、ソ連のフィンランド侵攻を持ち出したことなどが議論になったという。
こうした議論は記録されていたようであるが、ソ連のザリヤノフ判事が記録の削除を強硬に要求したことに対し、レ―リンクはソ連判事の態度に激高したという。
満州国皇帝であった愛新覚羅溥儀も証言台に立った。
当時はソ連の保護下にあり「日本人にかつがれて皇帝になった後、(日本に対する)恐怖から、親日的な演説を行い、書簡や詩まで書いたと訴えた」が、中国に引き渡され再教育された後の自伝では偽証を認めている。
以上のわずかな状況からも、勝者の裁判でしっかりした証拠調べなどが十分でなかったことが浮かび上がってくる。
東京裁判がまやかしである何よりの証しであるが、NHKはこうしたところへの切込みは一切しない。
そして日本の指導者たちは罪を犯した、有罪判決を受けるのは当然だという姿勢で一貫しているようだ。
■ マッカーサー自身が誤りを認めた裁判
GHQの総司令官として極東国際軍事裁判(東京裁判)所条例を定めて2年余にわたって裁判を開廷し、被告25人を全員有罪(7人絞首刑、他は有期刑)としたマッカーサーであったが、ウェーキ島でトルーマン大統領と会談(1950年10月15日)した折には「東京裁判は誤りだった」と発言し、解任されて帰国した半年余後(51年5月3日)には米連邦議会上院軍事外交合同委員会で「日本は安全保障上の必要に迫られて開戦した」と証言した。
すなわち、日本は「自衛戦争」を行ったと認めたもので、指導者たちが「謀議」して「侵略戦争」をやったとして進められた東京裁判の根底が崩壊した。
なおこの時、マッカーサーは「米国最大の政治的過ちは共産主義者を中国で強大にさせたこと」とも証言し、毛沢東の共産党を生き延びさせた米国の過ちも指摘している。
それが今日の中国をもたらしていることは言うまでもない。
ともあれ、今日では「東京裁判」がどう行われたかというプレイバックよりも、誤った裁判の結果、日本が悪徳な犯罪国家とされたこと、そして有罪となった指導者たちの名誉回復こそが、安全保障環境が厳しくなっている観点に照らしても必要なことである。
日本国民が戦後の閉じ込められた言語空間から脱出して、正々堂々とした姿勢で領域(領土・領海・領空)を保全し安全を確保するためには、「東京裁判史観」と呼ばれるものの払拭こそが必要なことで、一部の学者が固執してやまない東京裁判をなぞり続けることではない。
再度強調するが、プレイバックするとすれば、ルーズベルトとチャーチルの大西洋上会談(1941年8月)、カイロ会談(43年11月)、ヤルタ会談(45年2月)、ポツダム会談(同7月)、さらには原爆の開発や投下の決断に至る首脳たちの一連の「謀議」と対比する形で、果たして日本の指導者たちが「謀議」と言われるほどのことをしたのかを見定めることではあるまいか。
■ 国民を東京裁判史観に染めたいNHK?
日本も批准したパリ不戦条約では、侵略戦争を禁止したが犯罪とはしなかったばかりか、自衛戦争は許されるし、自衛戦争か否かは当事国の判断に委ねるとしていた。
しかし、戦勝国から集まった判事の多数は、マッカーサーが制定した「条例」を(国際法上は許されない)事後法と承知しつつも、(マッカーサーが強調する崇高な使命にかまけて)今後の戦争抑止に有益として採用した。
他方で、日本が自衛戦争とみなしたことを端から受け入れないで「侵略戦争」とみなし、そのために「謀議」を重ねた指導者たちは犯罪(者)として「罪に問う」ことができると考えた。
当時は「侵略」の定義もなかった(今も明確ではない)し、戦争を犯罪とする国際法もなかった。すべてが、過去に例のないことばかりで、戦勝国の報復裁判と呼ばれたゆえんでもある。
しかし、これが全く誤った無謀な裁判で、国際法の慣例になり得ないことは、その後の70余年間に起きた数々の戦争で、ほとんど「戦争」を犯罪とみなした裁判が行われておらず、犯罪者が出ていないことで一目瞭然だ。
したがって、NHKが放映するとすれば、その後の研究成果などを包含した「東京裁判 その後」とか「否定された東京裁判」(ともに仮題)などで、東京裁判(史観)は葬るべきである。
それにもかかわらず再放送することは、廃墟と化したに東京にやって来た検事たちの単なる物理的な努力を訴えているように見えてならない。
満州事変と支那事変は全く性格を異にしている。
他方で、支那事変の終息ができないままに米英などとの戦争に入ってしまったが、根底には共産主義を食い止めることと、西欧列強の植民地となっているアジア諸国への思いがあり「大東亜戦争」と命名している。
単なる日中戦争でも日米戦争ではなかったが、裁判ではほとんど状況証拠になり得ない不確かな伝聞情報などから、南京で民間人を何十万人も虐殺した、真珠湾では卑怯な奇襲をした、フィリピンでは死の行軍を強要したなどと決めつけた。
十分に信頼性のある証拠がないにもかかわらず、日本国の犯罪、指導者の犯罪とした世にも稀有な裁判であったのだ。
判事たちの言動は歴史家にとっては報復裁判であったことを確証づける意義があろうが、東京裁判自体が国際法に悖るものであったことを伝えないならば、国民にとってはいまや「百害あって一利なし」である。
■ 大東亜戦争前史
アヘン戦争以来、欧州の中国進出が活発になっていった。
欧米諸国にとって、日本の中国進出は好ましくなかった。したがって、朝鮮をめぐって日本と中国が対立し、中国が混乱することを恐れた。
最も警戒心が強かったのは中国に最大の権益を持つ英国であった。そこで、日清の対立に英国はロ米を誘って平和的解決を要望する。以下は平間洋一著『日英同盟〈同盟の選択と国家の盛衰〉』を参照している。
日清戦争が勃発すると、英国は厳正中立を宣言した裏で、清国兵を輸送して助け、日本が英国で買いつけた商船を差し止めたり、日本兵輸送を抗議するなど、英国の政府も世論も反日親清的態度であった。
日本は日清戦争で勝利するが、三国干渉を受けても従わざるを得ないように国力が疲弊していた。
そのうえ、欧米には黄禍論から対日警戒感があったので、1900年6月初旬に義和団の乱が起きても日本は積極的に行動する意志はなかった。
伊藤博文首相は「局面の趨勢未だ予測し難い時に、日本のみが軽々しく大兵を出し、国力を消耗するのは不可」としたし、青木周蔵外相も度重なる英国の要求に列国との協調が必要であると回答していた。
しかし、在留外国人や外国公使館などを保護すべき清国軍までもが義和団の反乱軍に加勢する状況になると、英国をはじめとした国から乱を抑えるのは距離的に最も近い日本しかないとして、日本に派兵を要求してくる。
そうした中で、第5師団の派出を閣議決定するが、参謀本部第2部長の福島安正少将を指揮官として兵力もわずかに1288人でしかなかった。
すでに大沽では戦闘が始まっており、天津では外国人居留地が清国正規軍と義和団に包囲されていた。
7月下旬に大沽から天津の間に展開した日英仏米軍は3万を超えたが、うち2万弱が日本兵であった。
本来であれば、最大の兵力を出している日本が総指揮を執るべきであるが、列国の権益が交錯する中国に日本が進出することに欧州諸国は嫌悪感と猜疑心を持っていたこともあり、第5師団長の山口貞臣中将に「貴官ハ勉メテ連合国総統ノ重責ヲ辞シ」「福島少将ニ軍議ヲ授ケテ列国軍事協商」を進めよと、突出することのないように細心の指示をしている。
一方、北京の外国公使館では6月中旬から60日間の籠城戦が展開され、公使館付陸軍武官の柴五郎中佐の冷静沈着な判断指揮と活躍で成功裏に勝ち抜くことができた。
戦勝の状況をフランスの「ル・タン」紙(ル・モンドの前身)は「日本は清国に対してよりも、一層大きな勝利をヨーロッパに対して得た。もう日本は、今後、したいことのできる独立の国である。日本は他の列強と同じように、もう勝手に他国の土地を取り、蚕食してもよいのだ。もう西欧列強も日本のすることに干渉できない」と報じたそうである。
■ おわりに: 西欧の潜在意識で行った東京裁判
ル・タンほど西欧の意識をストレートに表しているものはない。
勝者は勝手に自己都合で法律を作り、負けたものを裁いてよいという意識がむき出しである。この意識で東京裁判が行われたことは間違いない。
満州事変以降を東京裁判は問題としたが、日本が世界侵略を企図したことは一度もなく、満州国は抑圧されていた中国人の避難場所にさえなり、人口が毎年100万人ずつ増加していったのが歴史の事実である。
西欧諸国から搾取される中国人にとっては、満州はユートピアの実現でさえあったのだ。
日本が戦った「大東亜戦争」の結果、米欧諸国はアジアに持っていた植民地や権益を手放す近因となり、戦勝国になったとはいえ日本に対する恨みつらみは計り知れないものであったに違いない。
そこで、国際法を捻じ曲げて戦争を「平和に対する罪」という、過去にありもしなかった犯罪を作り上げて、どうしても報復しかたったのだ。
インドのパルのように冷静な判事や、レーリンクのように迷っていた判事もいたが、判事団の多数は日本を犯罪国家にするという既定路線を突っ走った。
しかし、パルが予言したように「(過ぎ去った)時が熱狂と偏見を和らげ、・・・また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとっ」ており、「過去の賞罰の多くに、そのところを変えることを要求する」今日ではないだろうか。
そうであるならば、大東亜戦争の結果、植民地放棄が世界の流れになった意義や直接間接に独立したアジア諸国の声などを特集することこそが、多くの戦死者を出し、国土を灰燼にしながら戦わざるを得なかった先の戦争に対する世界史的な意味を見出し得るのではないだろうか。
NHKは認めたくないであろうが、政教分離、靖国問題、家庭・学校崩壊、南京大虐殺、自衛隊などの今日的問題は憲法に淵源し、その憲法は東京裁判と大いに絡んでいる。
不当な東京裁判で日本の言語空間が狂っていることを国民が知ることで、日本の輿論(世論ではない)は正常に戻るに違いない。
歴史と伝統に学ぶ日本の輿論が喚起されることを歓迎したくないのがNHKであろう。
だからこそ、何時ぞやはナチスの独裁者であったヒットラーに似た人物が描かれたTシャツを着用した堀江貴文氏を登場させ謝罪に追い込まれたり、間違った歴史認識を正そうとした籾井勝人会長の発言をよしとしなかったのであろう。
NHKにはいまいちど放送法を熟読し、公共放送のあるべき姿を考えてもらいたい。
森 清勇
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