原理講論とは違う日本による朝鮮統治の真実

3、朝鮮と日本との関係

①南下政策を取るロシアの脅威

大航海時代の真っただ中、欧米列強によって開国を迫れら、鎖国を解いた日本は、すぐに欧米による侵略の脅威に晒されました。特に脅威だったのが南下政策をとり、朝鮮の手前まで進出してきたロシアでした。
当時のアジアは、緩衝地帯として機能していたタイと、鎖国をしている朝鮮と、半植民地状態で苦しんでいる清しか独立を保っている国はありませんでした。そこで日本は清と朝鮮に対しともに協力し合い、欧米列強に対抗する道を模索しようとしましたが、清も朝鮮も自分たちが置かれている国際情勢には気を留めず、内部での権力闘争に明け暮れるばかりで、近代化の必要性も、ロシアの脅威も感じてはいませんでした。
その結果日本はロシアの脅威から日本を守るため、国家の存亡をかけ日清・日露の戦争を戦うこととなり、日露戦争では10万人近くもの日本人を犠牲にしながらも、日本を、そして結果的には清と朝鮮を、ロシアの脅威から守ることに成功しました。
しかしこうして日本が多大な犠牲を払いながら守り抜いた朝鮮ではありましたが、朝鮮は長い間中国の属国となっていたため、単独では独立自尊の道を歩むことができなかったため、日本は朝鮮を統治下に置くことで、朝鮮の近代化をはかることにしました。

②日本による朝鮮統治時代

1910年、日本は日韓併合条約の締結によって大韓帝国を併合し、朝鮮総督府の統治下に置きました。日本の同盟国のイギリス、アメリカ、フランス、ドイツ、中華民国などの世界の主要国はこれを認めます。
日本統治時代の朝鮮は、慰安婦問題、徴用工問題等、日本によって世界の歴史に類を見ない悪逆非道な仕打ちを受けた期間として、今日においても韓国、北朝鮮によって、全世界にその悲劇が訴え続けられていますが、実体は全く違いました。
当時植民地として欧米諸国の支配下に置かれた国々は、原住民は大量虐殺され、欧米に奴隷として売られ、劣悪な環境で人間扱いされずに搾取されるため、人口は減少し、平均寿命は短くなります。また教育や環境整備を行い、生活に自由とゆとりを与えた場合、抵抗運動が起こり、独立の機運が高まるため、決して現地に資本投資を行ったり、教育を施すようなことはあり得ませんでした。

一方日本は併合当初の10年間、所得税の免税措置を行い、インフラ整備、近代教育制度や近代工業の導入など朝鮮半島の開発に力を入れ、開発工事や運営の主な労働力を朝鮮人に求めることで雇用を創出しました。
30数年間で朝鮮半島につぎ込んだ日本国民の税金は現在の価値で63兆円にもなり、民間の投資額まで含めると80兆円をはるかに超える資本が投入されました。
韓国の国定歴史教科書によると、1777年総人口は1,804万人だったのが、日韓併合時の1910年には1,313万人と、朝鮮時代には人口は減少していたにもかかわらず、1942年には2,553万人となり、併合時の倍近くになりました。
また平均寿命も1910年には24歳だったものが、1942年以降45~56歳へと急速に伸びています。
このことは、518年間続いた李氏朝鮮時代が、いかにひどい時代であったかを如実に証明していると同時に、日本統治時代の朝鮮は、生活環境が充実し、食料も十分に供給され、衛生、健康面も急速に改善されたことを意味しています。
1929年にカーネギー財団から朝鮮半島に派遣されたアメリカ人記者らは、「日本は併合以来19年間にして、数百年間停頓状態にあった朝鮮と、近代文明国との間に渡り橋を架けてやった。…朝鮮人の苦しみもあるかも知れぬが、日本は莫大な利益をもたらしている」「李氏朝鮮時代よりも日本統治によって朝鮮人民は救われている」との評価をしています。

しかし日本の統治に反対する朝鮮人も多く、1919年には三・一独立運動が起こり、取り締まる過程で多くの朝鮮人犠牲者が出たことも事実です。日本はその反省も踏まえ、三・一運動以降武断的な統治を文化統治へ大きく改めた結果、以降は日本統治に対する抵抗といえる抵抗が全くみられなくなったといいます。
このように日本による朝鮮統治は、朝鮮の近代化をもたらし、一般民衆にとっては総じて歓迎すべき変化をもたらしましたが、決して日本を許すことのできない人々をも生み出してしまいました。それは朝鮮で我が世の栄華を満喫していた両班たちです。
両班たちにとってはどんなに一般民衆が豊かになったとしても、身分制度の撤廃によって、自分たちが得ていた特権がすべて奪われてしまったため、日本を逆恨みするようになったのです。そのため彼らの一部は朝鮮の地を離れ、中国上海へと逃れ、大韓民国上海臨時政府を樹立し、徹底した抗日運動を続けていくことになります。彼らは日本の蛮行を宣伝する書籍を発行し、定期刊行物を発行し、テロ活動を活発化させることで、日本に対して抗日運動を続けます。それが今日に至る反日運動の原点となっていき、今日でも語られる捏造された歴史、日本の蛮行の歴史は、この時に作られた著作物が原点となっているのです。

③大韓民国臨時政府と『朝鮮独立運動之血史』

大韓民国臨時政府は、1919年の日本統治時代の朝鮮で起こった三・一運動後、海外で朝鮮の独立運動を進めていた活動家李承晩・呂運亨・金九らによって、中華民国の上海市で結成された朝鮮のテロ組織である。(Wikipediaより)

大韓民国臨時政府の初代大統領は李承晩でした。そして第二代大統領が抗日運動のバイブルともいえる『朝鮮独立運動之血史』を著した朴殷植でした。そしてその体制は金九によって引き継がれました。
これら大韓民国臨時政府の指導者たちを見ると、大韓民国臨時政府とはいかなる機関だったかということが想像できます。李承晩大統領は、今日に至るまで韓国の反日思想の基礎を作り上げた独裁者であり、後の大量殺戮者でした。(保導連盟事件では60万人~120万人の共産主義者の疑いのある人たちを虐殺、済州島四・三事件では済州島民6万人を虐殺、国民防衛軍事件では9万名余りの韓国軍兵士が餓死した)
朴殷植は、『朝鮮独立運動之血史』によって反日の思想的根拠を捏造によって作り上げた張本人です。
そして主の路程にも登場する金九は、今でも独立運動の英雄として、多くの韓国人の尊敬を受けていますが、実際は元々日本人を殺した殺人犯であり、数多くの暗殺を指揮したテロリストでした。
上海臨時政府は大叔父文潤國牧師が詐欺をしてまでお金を作り支援を行っていた独立運動の拠点であり、真のお父様も上海臨時政府と連絡を取りながら日本で抗日運動を展開していましたので、摂理的にも重要な独立運動組織でしたが、その実態はテロ組織であり、事実を捏造しデマを流しては日本を貶めていた本拠地でもありました。

例えば私たちが修練会等で教わった、日帝36年時代の日本人による韓国人迫害の様子は、『朝鮮独立運動之血史』にある迫害の様子に酷似しています。
1919年に起こった韓国独立運動(三・一運動)について『朝鮮独立運動之血史』では次のように述べています。
「平和的なデモをしていた朝鮮人たちを、日本軍警察が無差別に虐殺し、日本の軍警察は、馬に乗り剣をふるって横行し、デモ隊を乱撃した。また人の目を刺し、人の耳をもぎ、人の腕を切り落とし、人の鼻をそぐなどの残虐性をはっきした、一般市民も、少女とか、女性の性器を切リ、股裂きをした」「日本は独立を妨害するために、独立を叫ぶ人々に向かって銃を撃ち、民家、教会、学校に火をつけた」「10歳にならない少女と婦女子らが恥辱的な扱いを受け、身体を殴られ、幼い少女たちも残酷に殴られ、7歳以下の幼い少女ら300余命が殺害された」

『韓国独立運動之血史』はきわめて民族主義的性格の強い著作で、朝鮮人の民族意識鼓舞の目的で亡命先の上海で、文献や伝聞、新聞資料等の資料から作成したもので、そのため数値や事実関係の検証が徹底しておらず、韓国人の歴史家によっても多数の誤りが指摘されている。(Wikipediaより)

④もし日本が韓国を統治しなかったら…ロシアによる朝鮮統治

1894年日清戦争が勃発し日本軍が勝利すると、朝鮮は清への服属関係を廃棄し独立国となりました。しかしその後、朝鮮は宗主国をロシアに変える動きを見せ、親露政策を取る事になりました。
1904年になると日露戦争が勃発し、日本が勝利することによって、ロシアの南下政策に楔を打つことができました。
もし日本が朝鮮を統治していなかったら、朝鮮は間違いなくロシアを宗主国として、ロシアの支配を受けるようになっていました。
もしロシアが朝鮮を支配するようになったら、朝鮮はどのようになっていたでしょうか。
当時の欧米は植民地の原住民族を全く人間扱いしませんでした。文字通り奴隷と同じ扱いです。ですから一番考えられることは、ロシアは朝鮮の農産物や鉱物資源を搾取できるだけ搾取し、過酷な植民地政策を強いていた可能性が高いでしょう。
また1917年にロシア革命が勃発し、ロシアは共産化され、ソビエト連邦が発足しましたので、必然的に朝鮮も共産化されてしまったでしょう。無神論を奉じるソビエト政権が成立すると、キリスト教徒たちは、共産主義勢力に抵抗する者や、ロシアに残って共産主義勢力に一定程度妥協する者、亡命する者、地下活動に移る者などに分かれたといいます。
つまり1903年から1908年に起こった韓国キリスト教のリバイバルも消え失せ、キリスト教徒たちは迫害の中に身をさらすようになっていたことでしょう。

果たしてこのような環境の中で真のお父様は朝鮮半島に誕生することができたでしょうか。
誕生することができたとしてもキリスト教と出会い、再臨主としての道を歩むことはできたのでしょうか。
ソビエト政権下では2,300万人が虐殺されたといいます。真のお父様の親族は虐殺されることなく、真のお父様をこの世に誕生させることはできていたでしょうか。
いろいろな可能性を考えてみても、朝鮮がロシアを宗主国としていたら、真のお父様が韓半島に生まれていたかどうか、またはメシヤとしての道を歩むことができたかどうか、非常に疑わしいと言わざるを得ません。
それはロシアではなく、清または中華人民共和国であったとしても、同じような可能性が高かったことでしょう。
結論を言えば、再臨の主、メシヤを朝鮮半島に誕生させるためには、当時は日本が朝鮮を統治するのが、最もふさわしい政治状況だったと言えます。逆に日本でなければ、人類の真の父母様をこの地上にお迎えすることは難しかったかもしれません。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
  • コメント: 0

関連記事

  1. 腹中教と平壌大同保安署の受難

  2. 真のお父様の摂理観

  3. 閔妃暗殺事件

  4. 神の摂理は一点に留まることなく常に流れている

  5. 選民の資格を失った韓国に代わり日本が代理蕩減

  6. 文先生の生涯6度の受難

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

  1. アメリカ経済の猿真似をするは日本の自滅行為

    2024.05.18

  2. 森永卓郎氏が命がけで伝えたいこと

    2024.05.01

  3. ウクライナ戦争の原点、ソ連崩壊後の非人道的アメリカの対ロ政策

    2024.04.10

  4. プーチンが語るアメリカを陰で動かしている力

    2024.04.07

  5. イスラエルを狂気に駆らせた捏造記事!?

    2024.04.06

姉妹サイト