7、韓民族の特性?李氏朝鮮時代と統一教会の相似性
旧統一教会、今の家庭連合の姿は、李氏朝鮮末期の朝鮮の姿に酷似しています。
朝鮮末期に朝鮮を訪れたイギリス人旅行家イザベラバードが書いた『朝鮮紀行』の一部を今一度見てみたいと思います。(Wikipedia より)
「朝鮮人には猜疑、狡猾、嘘を言う癖などの東洋的な悪徳が見られ、人間同士の信頼は薄い。」
「両班は究極に無能であり、その従者たちは金を払わず住民を脅して鶏や卵を奪っている。両班は公認の吸血鬼であり、ソウルには『盗む側』と『盗まれる側』の二つの身分しかない。貯金をしていると近所の人に告げ口されようものなら、官僚がそれを貸せと言ってきて、貸せば元金も利子も返済されず、貸すのを断れば罪をでっちあげられて投獄され、本人あるいは身内が要求金額を用意しないかぎり笞で打たれる。朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた。」朝鮮の不治の病は、「何千人もの五体満足な人間が自分たちより暮らし向きのいい親戚や友人にのうのうとたかっている」として、人の親切につけこむ体質にあり、たかることをなんら恥とせずに、非難する世論もない。
人口の5分の4をゆうに占める非貴族は文字通り「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することがその存在理由となっていました。朝鮮の両班たちは貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上ほしいままにしてきました。朝鮮の官僚については、「日本の発展に興味を持つ者も少数はいたものの、多くの者は搾取や不正利得ができなくなるという私利私欲のために改革に反対していた」とし、「堕落しきった朝鮮の官僚制度の浄化に日本は着手したが、それは困難きわまりなかった」。
この朝鮮の両班を統一教会の主に韓国人幹部。非貴族の一般対象を日本人食口。官僚を教会職員等と置き換えて読んでみます。
「統一教会韓国人幹部には猜疑、狡猾、嘘を言う癖などの東洋的な悪徳が見られ、韓国人幹部同士の信頼は薄い。」
「韓国人幹部は究極に無能であり、教会職員たちは金を払わず日本人食口を脅して財産を奪っている。韓国人幹部は公認の吸血鬼であり、統一教会には『盗む側』と『盗まれる側』の二つの身分しかない。貯金をしていると食口に告げ口されようものなら、教会長がそれを貸せと言ってきて、貸せば元金も利子も返済されず、貸すのを断れば不信仰をでっちあげられて教会に呼び出され、本人あるいは身内が要求金額を用意しないかぎり教会から帰してもらえない。統一教会にいたとき、わたしは教会幹部というのはくずのような人間でその状態は望みなしと考えていた。」統一教会の不治の病は、「何千人もの五体満足な韓国人幹部が自分たちより暮らし向きのいいと思っている日本人食口にのうのうとたかっている」として、人の親切につけこむ体質にあり、たかることをなんら恥とせずに、非難する世論もない。
教会員の5分の4をゆうに占める日本人食口は文字通り「下の人間」で、吸血鬼に血を提供することがその存在理由となっている。韓国人幹部たちは朝鮮貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上ほしいままにしてきました。教会職員については、「教会の正常化に興味を持つ者も少数はいたものの、多くの者は搾取や不正利得ができなくなるという私利私欲のために改革に反対していた」とし、「堕落しきった統一教会の献金制度の浄化に文亨進氏・文國進氏は着手したが、それは困難きわまりなかった」。
李氏朝鮮末期の様子は、旧統一教会、今の家庭連合の姿がその如くに描かれていると感じないでしょうか。
それは何故かと言えば、韓国人の民族性は高麗時代、李氏朝鮮時代を通じて数百年かけて作られてきた民族性であり、百数十年経った今でもほとんど変わっておらず、韓国人の作る組織というのは、今も昔も変わらないということを意味しているのではないでしょうか。つまりイザベラバードが表現した「朝鮮にいたとき、わたしは朝鮮人というのはくずのような民族でその状態は望みなしと考えていた。」そのくずのような人たちが旧統一教会、今の家庭連合を支配しているということであり、その状態は望みなしということを意味しているのではないでしょうか。
イザベラバードの『朝鮮紀行』には、百数十年前の李氏朝鮮時代と、今の家庭連合の恐ろしいくらいの相似性が描かれているのです。
そのような組織に対し、主体的な変化を望んでも望みはありません。強制的に変化をもたらしても、日本の統治によって大多数の一般庶民の暮らし向きが良くなっても、自分たちの利権が奪われたとして日本の改革を恨み、抗日運動を展開した両班がいたように、自分たちの利権を奪う改革に命がけで抵抗する人たちが生まれるだけなのではないでしょうか。
つまり自主的な改革には期待はできないし、強制的な改革には命がけの抵抗が生まれ、改革を進めるものは潰されるか追放されるかしかないのが今の家庭連合なのです。
実際真のお父様の晩年、文國進様、亨進様が全身全霊でもって教会の改革に取り組みましたが、教会幹部たちはそんな文國進様、亨進様をお金と権力で懐柔しようとしました。文亨進様は語られています。
「我々の側に加われ。どっちにしろ、あなたの世界になります。あなたが後継者ですから。後継者の権利とこの王国はあなたのものですよ。」(2015.1.18 文亨進様)
「当時私たちも同様なわいろと金銭的、権勢的誘惑を受けました。お父様から代身者、王権の相続者の祝福を受けていたのでむしろその規模は大きかったのです。私たちもサタンの誘惑にさらされました。國進兄さんも私もです。しかし私たちは拒絶しました。お父様を裏切ることを拒否したのです。」(2015.4.9 文亨進様)
文亨進様が語られるように、文國進様、亨進様でさえ幹部たちの提案を拒否するのが精いっぱいで、教会を改革するどころか結果的に教会を離れざるを得なくなり、サンクチュアリ教会を設立するに至りました。
今の家庭連合に文國進様、亨進様以上に真剣に改革に取り組むことができる人材はいるのでしょうか。どう考えてもいるとは思えません。つまり家庭連合は存在する限り、未来永劫その体質を変えることはできないし、日本人食口は「下の人間」として、吸血鬼に血を提供することがその存在理由となり続けるのです。家庭連合においては日本人食口は、第二の恨の民族となるのかもしれません。
それでも霊界に行けば救われるのでしたらまだ耐えることができるかもしれません。しかし家庭連合にいくら献金しても、絶対に救いを受けることはありません。なぜそのように断言できるのかについては後の章で解説していきたいと思います。
この記事へのコメントはありません。