コロナ感染拡大のイラン、「一帯一路」が元凶だった
(古森 義久:産経新聞ワシントン駐在客員特派員、麗澤大学特別教授)
「一帯一路一ウイルス?」 こんなタイトルの論文が米国・ワシントンの論壇で注視を集めた。中国が推進してきた「一帯一路」構想を、ヨーロッパのメディア関係者や学者が様々な角度から論じる「一帯一路ニュース(BRN)」という情報サイトに3月末に掲載された論文だった。
論文は欧州の数人の専門家が匿名で執筆した。専門家たちは、イタリア、イラン、パキスタンなど新型コロナウイルスの大規模な感染が起きた諸国はいずれも中国主導の「一帯一路」構想に参加していたことを指摘し、その因果関係を説明していた。一帯一路は、中国が各国と共同で、中国と欧州を結ぶ一大物流インフラを構築する構想である。結果的に「一帯一路」がウイルス感染の大きな原因になってしまい、不運にも同じウイルスを共有する破目になってしまった、という。
■ 記者会見に臨む保健省次官が感染していた
米国でも中国の「一帯一路」をコロナウイルスの国際的な感染拡大に結びつける指摘は多い。そんな指摘のなかで、イランについての実例を報告しよう。イランの場合も「一帯一路」がウイルス感染の背景として大きな影を広げていた。
イランでのコロナウイルス感染の広がりは国際的にみて異様だった。中国とは地理的な隔たりがあるが、世界各国の感染のなかできわめて早い時期から多数の感染者が報告されたからだ。中東地域全体でもイランは突出した感染国となった。
世界への感染拡大が始まった当初は、イランの感染者数は中国を除いてイタリアに次ぐ第3位となっていた。4月20日時点では感染者数は8万868人で世界9位、死者は5031人である。だが米国では、イランが公表しているこの感染者数は実際よりもずっと少ないとする見方が多い。ウイルス検査の数がきわめて少ないことがその主な理由である。
イランでの新型ウイルスの異常な拡散状況を印象づける出来事がある。イラン政府のイラジ・ハリルチ保健省次官が2月24日、テヘランで記者会見して、イラン国内のコロナウイルス感染状況について説明を始めたときのことだ。説明を始めたハリルチ次官が白いハンカチを取り出して、しきりと顔をぬぐうのだ。メガネを外して額から噴き出す汗をふき始め、そのうちに苦しそうに咳をし始めた。だれの目にも保健省次官本人が病気であることは明らかだった。そして、すぐに彼のコロナウイルス感染が発表された。
政府の防疫対策の実務責任者が公式の場で対策を語ろうとしたその瞬間に、本人に感染の症状が表れ、実際に感染が確認されたのである。イランの政府幹部の感染は、保健省次官だけに留まらなかった。副大統領までが中国発の新型ウイルスに感染していたのだ。さらに閣僚のなかにも、国会議員のなかにも、多数の感染者が出ていた。
なぜそんな事態が起きたのか。その原因に「一帯一路」が大きく絡んでいる。
■ 経済が悪化、政権批判も強まっていたイラン
イランといえば“閉鎖された国”というイメージが強い。実際に国際的に孤立してきたといってよいだろう。
イランは、イスラム原理主義の聖職者が最高権限を持つ世界でも珍しい宗教独裁国家である。対外的にはイスラエル抹殺を基本政策とし、アメリカとも激しく対立してきた。さらに近年のイランは核兵器の開発を目指してきた。アメリカのオバマ政権時代に核開発を凍結する国際合意に調印したが、「イランの核武装を結局は許してしまう」と猛反対していたトランプ大統領が合意を破棄した。
イランは国内的にはイスラム教の厳しい教えを保ち、政権への批判を一切許さない。また同性愛者は死刑に処すなど、その人権弾圧ぶりは国連からも再三警告を受け、経済制裁も受けてきた。国民の海外渡航も厳しく規制し、外国人の入国も同様に大幅に制限してきた。いわば国際孤立に近い状態の国だった。
そうした異端の国家で中国からのウイルスが広まったのは、ひとえに中国との特殊なつながりがあったためである。
中国はかねてからイランに接近を図ってきた。ともに米国との関係が敵対的であることが大きな要因だった。また中国は長年にわたりイランの石油を大量に購入してきた。ここ数年、両国の対米関係が険悪化したことで、両国の関係は一層緊密になった。互いに「戦略的パートナー」だと宣言するようにもなっていた。
イランは中国の「一帯一路」構想にも当初から協力してきた。2019年には同構想へのフル参加を明記した公式合意書を中国との間で交わした。
イランはイタリアと同様に、国内経済が深刻に悪化していた。2019年前半にはイランのインフレは40%にも達した。経済成長も低迷し、肉類が不足して、国民一般に肉類の配給という事態まで起きた。失業率は一般が15%、若年層は40%以上に達した。
経済が落ち込むとともに、国民の政府への不満は高まっていた。政府の抑圧にもかかわらず、一般国民の間で政府の腐敗や、テロ組織への支援などに抗議するデモが起きた。市民たちは宗教最高指導者のハメネイ師の辞任や、政権を支える「革命防衛隊」の解体をも求めた。
そうしたなか、イラン政権にとっての救命策は中国への依存だった。中国の「一帯一路」に協力することこそが苦境を脱する有効な手段だったのだ。
■ 「一帯一路」構想にイランが果たす役割
このへんの事情を、米国のシンクタンク「センテニアル研究所」のヘレン・ローリー研究員が鋭く論評していた。
ローリー氏は中国の対外戦略の分析を専門とする中国系の米国人学者である。米国の政治外交ネットメディア「フェデラリスト」に3月17日に掲載されたローリー氏の論考「イランとイタリアは共産主義の中国との緊密な絆のために莫大な代償を払う」の概要を紹介しよう。要点は以下のとおりである。
・イラン政権は国内の経済的苦境や政治的脅威、さらには国際的な孤立に直面して、中国に助けを求めた。まずは米国という敵への防御策として、また経済的な協力と支援を得る相手として、さらには軍事的な協力の相手として、中国への依存度を高めた。その狙いのなかには、中国の手を借りて、米国のイランへの経済制裁をなんとか弱めようという期待もあった。
・中国は、イランにある程度のパワーを保たせ、米国への牽制のカードとして自陣営に引き込むことに意義を見出していた。そのため中国はイランから石油を購入し、貿易や経済面で援助を続け、さらには兵器輸出や原子力技術の売却まで多角的に関与してきた。
ローリー氏によると、イランと中国にとって、米国という大きな存在を意識して相互協力することが重要だった。その協力では「一帯一路」が核心となったという。ローリー氏は次のように説明する。
・中国にとってとくに重要なのは、自国の野心的な構想「一帯一路」でのイランの役割だった。中国は、アジア大陸を抜けて中東からヨーロッパまで通じる陸上ルートの確立を目指していた。その鉄道を建設する際は、イランからトルコに通じる路線の建設がきわめて重要だったのだ。
・そこで中国は2016年の習近平主席のイラン訪問時からイランを「一帯一路」構想の事実上のパートナーとしてきた。イランの公式の「一帯一路」参加は2019年に実現し、多方面でさらなる協力を進めてきた。
■ 誰が中国からウイルスを持ち帰ったのか
では「一帯一路」への参加は、新型コロナウイルスの感染拡大にどうつながったのか。
その点について、ウォール・ストリート・ジャーナル(3月12日付)がイランでの取材を基に次のように報告していた。感染ルートは2種類だという。
・中国のイランでの「一帯一路」構想は、首都テヘランの南130キロほどにある人口約100万の都市ゴムを抜けて通る高速鉄道の建設が主眼となった。ゴム地域では中国人の技術者、労働者が多数居住して鉄道建設に従事していた。そのなかに新型コロナウイルス感染者がいてイランに拡散したとみられる。
ゴムにはイスラム教の聖地とみなされる礼拝施設がある。そこにはイラン全土からの信徒が集まるが、当局はゴム地区でのウイルス感染が明らかとなった2月後半まで、宗教集会を停止しなかったという。同時に、ゴムで中国主導の鉄道建設プロジェクトに関わるイランの技術者のなかには、中国側との協議のために武漢や北京、上海に出張してイランに戻る者も多かった。こうしたイラン人技術者たちも多くが感染したという。
第2の感染ルートは、イラン政府の高官たちが絡んでいた。ウォール・ストリート・ジャーナルの同記事は以下のように伝えていた。
・イラン政府は自国内でのウイルス感染が顕著となった2月1日、イランと中国との航空便を禁止した。ただし革命防衛隊とつながりのある「マハン航空」だけは例外とし、中国との往来便の飛行を許した。
・マハン航空は2月1日から9日までの間にイラン・中国間で合計8便を飛ばした。それらの便にはイラン政府の高官や国会議員を含む要人が多数搭乗しており、次々にコロナウイルス感染が確認された。それらの要人の多くは、「一帯一路」に関連する公用のために中国を訪れていた。
ウォール・ストリート・ジャーナルは、このように「一帯一路」に関わる交流が原因となってイラン側に国会議員20人以上、閣僚数人の感染者が出たと報じる。感染者のなかには最高指導者ハメネイ師の顧問モハンマド・ミルモハマディ氏も含まれ、同氏は死亡したという。さらに国営イラン通信は2月末、女性指導者のマスーメ・エブテカール副大統領も新型コロナウイルスに感染したことを発表した。イラン政権の最高指導層がほとんど中国発のウイルスに感染してしまったと言っても過言ではない。
イランにとって、中国とのトップレベルでの交流が政権を揺るがす事態にまで発展した。その交流の基盤がまさに「一帯一路」だったのである。
古森 義久
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