「対面」コミュニケーションはやはり重要だが……
昨日、久々に「会合」と呼べるものに参加した。十人強の人数で着席スタイルである。向かい合った長テーブルの席の横間隔が普段よりも長いのはもちろん、お互いに飛沫が飛ばないよう、向かい合うのではなく、対角線上に互い違いになるようセッティングしてあった。
しかも、十数人の会合であるにもかかわらず、演壇とマイクが用意され(多分大声で飛沫が飛ばないようにするため? )、1人話が終わるごとにスタッフがマイクをきれいに拭くという念の入れようである。
さらに、実際に食べ物を口に運ぶとき以外は、マスクをしている人が大半というかなりシュールな雰囲気であったが、それでも「リアルな会合」の良さをしみじみと感じた。
メール、SNS、さらにはZoomなどのネット環境で大概のコミュニケーションはとれるのだが「対面」でなければ伝わらないこともある。
私は「ところで情報」と呼んでいるのだが、主要テーマの話が終わった後「ところで……」という枕詞で始まるよもやま話の中に貴重な情報がある。
昨日も、ネット環境の中で絶対に伝わってこないであろう貴重な話を聞くことができた。ネット環境は効率的だが、逆に「ところで情報」のように一見無駄と思えるものも排除される。
だから、いわゆるAI化・IT化が進展しても「人間同士のつながり」の核心として「対面」を無視することができる時代は当面やってこないはずである。
しかしながら、参加者の話を聞く中で、一度ネット環境の便利さに慣れてしまうともう元には戻らないのではないか? と思える事例もたくさんあった。
「令和の黒船」とも言える新型肺炎の流行は、ただ惰性で続いてきた「習慣」の非効率さを白日の下にさらけ出した。
結局、「コストが高い、人間にしかできないこと」と、「コンピュータ化したほうが効率的」なことがはっきりと区分けされ、「コストが高い、人間が行っている非効率なこと」は加速度的に消滅するであろう。
それではいったい何が「人間が行うべきこと」で、何が「コンピュータが行うべきこと」なのか具体的に考えてみたい。
AIは単純作業から解放してくれる
世の中で取り上げられるいわゆる「AI」は、正確に言えば「エキスパートシステム」だ。
聞きなれない言葉かもしれないが、人間の脳が芸術に感動したり、チェスを行ったり、相対性理論について研究したりという多種多様な機能のごく一部を取り出し「増幅」したものでしかないということだ。人間の脳に置き換えることができる本来のAI(人工知能)とは全く違った存在である。
例えば、ロボットといえば鉄腕アトムというイメージを持つのが私の世代であり、このアニメに影響にされてロボット開発をするようになった技術者も多い。
しかし、現在工場などで使われているロボットは、鉄腕アトムとは似て非なる存在だ。人間の手の機能を拡張したロボット・アームや眼の機能を強化したセンサーなど、人間の体の機能のごく一部を「増幅」している。
それぞれ個別の作業に関しては、「(工業用)ロボット」の方がはるかに優れているが、全体としては多種多様な作業を行う人間(の体)には到底かなわない。
だから、工場にどれほどロボットが導入されても、総合的な作業ができる人間が必要なくならないどころか、ロボット化による生産性の向上のおかげで、製造業で働く人々の賃金や待遇は目覚ましく向上した。
現在のホワイトカラーの仕事の中にも、かつてロボット導入以前の工場で行われていたような単純作業、繰り返し作業が多数ある。そのように「エキスパートシステム」が得意とする単純作業をわざわざ人間が行うことはない。製造業でそうであったように、人間は「総合力」を生かした仕事を任されるようになり、(全体としては)賃金も待遇も向上するはずだ。
専門情報よりも「知識」
歴史を振り返れば、「分業化」によって人類が発展してきたのは間違いのない事実だ。
原始部族社会では、衣類製造や医療(呪術師)も畑仕事や狩りをしながらの兼業であった。食糧を生産しない専門家を養うことができるようになったのが文明社会の始まりだと言ってよい。
しかし、その後専門化が進む中で、まず製造業においてその専門的仕事を機械(ロボット)に任せ、人間は総合的な判断を行う仕事に集中するようになった。
同じように、ホワイトカラーの仕事も専門化された部分がまず、いわゆるAI化・コンピュータ化の対象になる。
これまでは「専門知識」が尊ばれてきたが、専門知識ほどAI化・コンピュータ化に適したものはない。
例えば、私が子供の頃にはほとんどの家庭に常備されていた百科事典。定番の「平凡社世界大百科事典」は全部で30冊以上で構成され、価格も数十万円単位であったと記憶している。
しかし現在、それ以上の情報量があると思われるウィキペディアの利用は無料である。
また、医療、税務、法律などの専門知識もネット上にあふれている。もちろん多くの情報の中には、怪しげなものもある。しかし、それらをきちんと排除できれば、一般の人々も努力して専門家並みの情報を得ることができる時代だ。
もちろん、断片的情報を持っているだけでは、正しい答えを得ることができない。だから、専門家は断片的知識の収集・整理はコンピュータに任せ、自らはその情報をどのように解釈するのかという、ピーター・ドラッカーが述べるところの「知識」を習得することが必須となる。
いわゆるAIは人間の頭脳そのものの代わりにはならないが、「脳みその肉体労働」である単純作業を、職人の手仕事が機械化されたように担う。その単純作業が軽減された分、より創造的な仕事が生まれるということだ。
情報の非対称性が通用しなくなる仕事
結局、他人が持っていない情報を持っているという「情報の非対称性」に頼ってきた仕事はほとんどなくなる運命にある。以下主要なものを列記していく。
・新聞、テレビなどのオールドメディア
情報の非対称性で栄えてきた典型的ビジネスであるが、現在苦境に陥っている。本来情報の解釈に活路を見出すべきだが「伝えるべきこと」ではなく「伝えたいこと」を優先するので読者からそっぽを向かれている。
・不動産などの仲介業者
物件(商品情報)の管理では、人間がコンピュータに勝てない。
これまでは、市場の価格水準や物件情報を仲介業者が独占することにより高い収益を誇ってきたが、「非対称性の崩れ」により、それが通用しなくなる。
また、ネットでの物件映像配信やスマホ鍵の活用などにより、案内などのために営業マンが動くという壮大な無駄が排除される。
・あらゆる専門家
すでに述べたように情報独占の時代は終わった。専門家の役割は分析力にある。
・医師
レントゲン写真などの画像診断においては、コンピュータが標準的医師の能力を上回りつつある。
また、現在のところ製薬会社などからの医学情報の提供は医師に限定されているが、一般の患者にも公開されれば、少なくとも自分自身の病気に関しては患者自身の方が豊富な知識を得ることができる。医師は多種多様な症例に対応しなければならないから、1つ1つの症例に関する情報は真剣に自らの病気を研究する患者に劣る。
・看護師
医療用ベッドが進化し、生体情報をリアルにナースステーションに送ることができるようになれば、ナースコールで頻繁に呼ばれることも減る。定時の検温や検査などもコンピュータによる合理化が向いた分野だ。
・薬局(薬剤師)
間違いのない処方を行うという点では、人間よりもコンピュータの方がはるかに勝っている。医師の処方の間違いをチェックする機能(プログラム)などは必要だが、コンピュータは感染症に罹る心配もない(医師や看護師の場合も同じ)。
医師の処方箋データで、直接薬局サイトから薬が届くようにすればなお便利。
・編集・校正・翻訳
スペルチェッカーや翻訳ソフトの進化は目覚ましい。ポケトークもそれなりに使える。
例えば、金融・経済分野などの専門分野では、翻訳者に知識が乏しい場合が多く、それらの下訳と比べると、すでにグーグル翻訳は使える水準。
誤字・脱字を出さない(人間の仕事なので実際には存在するが……)のは編集者の基本だが、そのような作業もコンピュータ化しやすい分野である。
高い「地位」にあると思われた職業も
・裁判官
百科事典同様、六法や判例集もデジタルデータに向いている。
弁護士は「利害」という人間臭いものに関わっているが、裁判官は「公正」でなければならない。過去の判例、杓子定規な法解釈、さらには屁理屈の積み上げで判決を行う現在の裁判官であれば、AI化した方が公正だと思う。
ただ、人間がコンピュータが下した判決を受け入れることができるかどうかという問題はある。
・教師・大学教員
研究職としての立場は別であるが、義務教育ではなく自ら学ぶ意思を持って(そう信じたい……)入学した学生に対する講義は、ネット配信の方が合理的である。
また、勉強熱心な学生にとっては、オン・デマンドで何回も繰り返し視聴出来たほうが良い。
あるいは、教室での講義は人数に物理的制約があるが、オンラインであれば理論上はいくらでも学生を受け入れることができる。したがって、すべての学生が優れた教授の講義を受けることができるし、質の悪い授業は自然淘汰される。
学生が講義中居眠りをするのは、中身の薄いつまらない講義を無理やり聞かされている場合が多い。
優れた講義をよりたくさんの学生が聴講できるようにするという点で、教育業界こそIT化、コンピュータ化を進めるべき業界だと思う。
高校についても同じことが言える。予備校などでは、優れた講師に人気が集中するのが当たり前だし、衛星授業も普通に行われている。
・役人・官僚・司法書士
役所の手続きほどAI化が向いているものはない。創造性はまったく要求されないし、むしろ「袖の下」や「コネ」で融通が利かないコンピュータの方が公正である。
しかも、煩雑な書類も、コンピュータ上でガイドしてもらいながら記入すれば合理的だ、司法書士などに多額の費用を支払うことも必要なくなる。
そもそも、役所の各種手続きに「コールセンター」が存在しないのは、国民に不親切だというのが私の考えだ。
日本で国民に大きな恩恵をもたらす電子政府がなかなか実現されないのは、彼ら役人・官僚の頑強な抵抗のせいだと思われる。
・税理士・会計士
数字を中心としたデータを扱う仕事だからAI化に向いているが、特に会計監査はAIが行うべきだと思う。現在の会計監査は、「監査を受ける企業が料金を払う」という奇妙な制度で問題が多いのだが、そのような環境でもAIは顧客に忖度などせずに公平である。
・管理職
単純な管理はコンピュータが最も得意とするところである。詳しくは7月8日の記事「じつは日本でいま『管理職』の仕事が消え始めている…! その残酷な現実」を参照いただきたいが、管理職は消滅しマネジメントを行う「マネージャー」の存在がますます重要になる。
最後に
「カエサル(この世の政治家)のものはカエサルに、神のものは神へ」という言葉がある。この言葉を借用すれば「人間のものは人間へ、コンピュータのものはコンピュータへ」という形で、それぞれに適した仕事の分業が、これから行われていくと考える。
大原 浩(国際投資アナリスト)
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