3、真のお父様の摂理観
真のお父様はことあるごとに日本のことを、「サタン側のエバ国家」と語られてきました。そのため私たちは、日本人としての罪を悔い改め、蕩減しなければいけないとして、誰よりも犠牲の道を歩まなければいけないことに対しても感謝し、常に摂理に応えようと、精誠の限りを尽くしてきました。
このように日本人に犠牲を強いてこられた真のお父様は、実際はこの第二次世界大戦前後の復帰摂理に関して、どのような摂理観を持たれていたのかについて、改めて考察してみたいと思います。
『神様の摂理から見た南北統一』を見ると、「アジアにおいて英国と同じ立場に立った国が日本なので、アジアを育て、アジアのための日本にならなければならないのです。しかし、そのような日本となることができず、自分の国のために生きるアジアをつくろうというサタン的な立場になってしまったのです。神様が今後アジアを中心として一つにしようとすることを知り、それをあらかじめ自分の手中に収めようとしたのです。」と書かれています。
また『神様の摂理と日本』を見ると「第二次世界大戦は、日本の天皇のために発生しました。韓国をこのようにして、アジアを侵略したのです。」とあります。
これらのみ言を要約すると「第二次世界大戦は、天皇中心の、日本のために生きるアジアを作ろうとした、サタン的な立場での日本によるアジア侵略戦争であった」ということになり、真のお父様は一般的な自虐史観そのままの見方をされていたことがわかります。
4、自衛の戦い、アジア解放の戦い
しかし実際には、日本はアジアを侵略しようとして第二次世界大戦を引き起こしたわけではなく、アメリカ・ルーズベルト大統領の陰謀によって戦争に引きずり込まれ、自衛のために戦った戦争であったことが、多くの公文書資料や当時の関係者らの証言によって明らかにされています。
アメリカでは、国際金融資本勢力の代理人であったルーズベルトの側近には、ソ連の工作員や社会主義者たちが多く入り込んでいたために、日本をソ連とではなく、アメリカと戦うようにとの工作活動がなされていました。
ルーズベルトはアメリカは戦争をしないことを公約にして大統領に三選されていました。そのためルーズベルト自らが日本に対して宣戦布告を行うことはできなかったために、1940年10月に日本を対米戦争に導くための「マッカラム覚書」が作成され、覚書に従い日本を対米戦争へと導く工作活動が、水面下で活発に行われていたのです。
覚書に従い、まずは日本を国民党軍との泥沼の戦いによって消耗させるために、爆撃機や戦闘機を中国に送り込むなどして、国民党軍を陰で支援しました。そして経済的にはアメリカ・イギリス・中国・オランダによるABCD包囲網を敷くことで、資源を持たない国日本をとことん追い込みました。さらには日本近海で、一触即発となるような領海侵犯行為を繰り返し、日本をアメリカとの戦争に駆り立てるために、実質的に宣戦布告に等しい工作活動が幾重にも行われていたのです。
それでも日本は、中立条約を結んでいたソ連に仲介を依頼するなどして、ありとあらゆる手段を講じて、平和的に問題を解決しようと試みましたが、アメリカの挑発行為は戦争目的だったために、日本の交渉には応じるはずもありませんでした。
その結果日本は1941年12月8日、国家の生き残りをかけて真珠湾奇襲攻撃に出ることで、宣戦布告無き先制攻撃に至り、アメリカ国民の日本人への怒りの感情に火をつける結果となってしまいました。
ルーズベルトは日本の真珠湾奇襲攻撃を事前に知りながらも、ハワイの前線基地には何も伝えず、2400人もの若きアメリカ人兵士を犠牲にすることで日本を加害者に仕立て、アメリカ国民の憎悪を掻き立てることに成功し、思惑通りに国民の熱烈な支持を受けて日本との戦争に臨んだのです。
GHQの司令官だったマッカーサー元帥も、1951年5月3日、米国上院軍事・外交合同委員会で「日本が戦争を始めた目的は、大部分が安全保障のためだったのです。」と、日本は自衛のために戦ったと証言しています。
しかも戦争に打って出るにしても、自衛のためという日本のためだけの目的では良しとはせず、アジア各国の独立運動家たちを支援してきた、アジアの盟主としての大義を果たさなければいけないと考え、「八紘一宇」の精神をもって大東亜共栄圏の建設を標榜して戦争に打って出たのです。
そこで日本は、欧米によって不当な植民地支配を受けていた有色人、アジア諸国の解放のための戦争として、アジア各国を占領するアメリカ、イギリス、オランダ、フランスに対して宣戦布告をし、緒戦の圧倒的な勝利によってアジア各国の解放に成功したのです。
つまり日本が戦ったのは、植民地で迫害され、搾取され続けていたアジアの人たちとではなく、アジアの国々から300~400年もの期間搾取を繰り返し、アジア人を苦しめ続けてきた欧米の白人侵略者たちと戦ったのでした。つまり日本はアジアを侵略したのではなく、アジアの解放のために戦ったのです。これこそが第二次世界大戦の真実なのです。
真のお父様のみ言にあるように「アジアを育て、アジアのための日本にならなければならない」覚悟をもって戦ったのであって、決して「自分の国のために生きるアジアをつくろうというサタン的な立場」で戦ったものでも、「神様が今後アジアを中心として一つにしようとすることを知り、それをあらかじめ自分の手中に収めようとした」わけでもありませんでした。これだけでも真のお父様の認識は、明らかに誤りであったことが理解できることと思います。
当時の日本は、元々国力が乏しかった上にABCD包囲網を敷かれ、経済的にも追い詰められていたため、日本の国民も貧困にあえぐほどに日本自体に物資が窮乏し、解放したアジアの国々をすぐに支援できるほどの余力はありませんでした。そのため大東亜共栄圏の建設という崇高な理想を掲げ、東南アジア諸国を欧米から解放したとしても、国によっては日本への物資の供給地として利用されただけとなり、日本による解放を歓迎しなかった国があったことも事実でした。実際フィリピンなどでは、アメリカ統治時代の方が良かったという声が上がったことも事実です。
しかし日本が向かった方向性としては、神の願う方向性をもって第二次世界大戦を戦ったことに間違いはありませんでした。それ故日本が戦争に負け、アジア各地から撤退すると同時に、旧宗主国が再び植民地を支配しようとやってきたとき、アジア諸国は日本軍によって訓練された独立義勇軍を中心として旧宗主国に立ち向かい、次々と独立を果たすことができたのです。
特にインドネシアでは、日本の敗戦後も日本軍が義勇軍として残り、インドネシア独立戦争には3000名もの日本兵が従軍し、1000名以上の兵士が命を落としました。日本の兵士にとってインドネシアに残るということは、脱走兵として扱われることを意味しました。つまり日本に対する反逆者となる汚名を着てまでも、インドネシアの独立の為に戦ったのが彼ら3000名の義勇軍だったのです。日本が「自分の国のために生きるアジアをつくろうと」してアジアを侵略したのだとしたら、反逆者の汚名を着てまでも、日本の敗戦後も義勇軍としてインドネシアに残り、インドネシアの独立のために命を捧げた3000名の日本人兵士がいたことには説明がつきません。日本が「アジアを育て、アジアのための日本にならなければならない」という理想を掲げ、その「八紘一宇」の精神を日本人兵士一人一人に徹底し、アジアの解放の為に戦ったのでなかったならば、日本人がインドネシア独立の為に命を捧げるなどということは到底できるはずがないのです。
このような歴史的事実一つをとってみても、日本は神の復帰摂理の方向に従って、第二次世界大戦に臨んだという事実を確認できるものと思います。
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