トゥルスネイ・ジヤウドゥンは釈放されたとき、「悪夢は終わった」と思った。しかし、カザフスタンでの新生活が再び危険にさらされている。
2020/03/01 11:00
カザフスタン、アルマトイ ── ある雪の日、トゥルスネイ・ジヤウドゥンは、中国の強制収容所の重い鉄の門を出た。ジヤウドゥンは39歳の大部分を収容所で過ごした。晴れて自由の身になったが、農地を覆う柔らかい雪の美しさは、ジヤウドゥンを空虚で悲しい気持ちにさせた。ジヤウドゥンは後に、まるで感受性を失ったようだったと振り返っている。
現在41歳のジヤウドゥンは、今や悪名高い「イスラム系少数民族の強制収容所」から出られた数少ないウイグル人イスラム教徒の一人だ。ジヤウドゥンは、隣接するカザフスタンに出国した。
何かの犯罪に問われていたわけではないのに、10カ月弱にわたって収容された後、2018年12月、ジヤウドゥンは釈放された。ジヤウドゥンはカザフスタンで、悪夢や尋問、収容所職員による日常的な恥辱からついに逃れることができたと思った。
長い髪を切り落とされ、テレビで延々と流される政府のプロパガンダを見るよう強要され、生活のすべてを監視カメラで撮影された。レイプされるのではないかという恐怖から、毎晩、ぐっすり眠ることができなかった。
ジヤウドゥンの夫はカザフスタンの市民で、ジヤウドゥンは滞在ビザを発給された。状況は上向いていた。ところが2019年、恐ろしい知らせが入った。カザフスタンにとどまりたいのであれば、いったん中国に戻り、新しいタイプのビザを申請しなければならないという内容だった。
カザフスタン政府は手続き上の問題だと言ったが、ジヤウドゥンはわかっている。中国に戻れば、再びとらわれの身になる可能性が高いことを。
中国政府は、西端にある新疆ウイグル自治区において、ウイグル人やカザフ人などイスラム系少数民族100万人以上を数百の強制収容所に収監している。
過激思想と闘い、イスラム系少数民族を「再教育」するためだと中国政府は説明しているが、アメリカ、欧州議会、国際連合の関連当局、世界的な人権団体から非難されている。新疆に暮らすカザフ人たちは、隣国のカザフスタンに逃れている。
しかし、ジヤウドゥンのようなウイグル人は、カザフスタンで暮らす権利を制限されているのが現実だ。
ジヤウドゥンは、強制収容所での体験を公に語っている数少ない元被収容者の一人だ。元被収容者たちは、沈黙を守るよう中国当局からはっきり伝えられている。
新疆での行動や、フリージャーナリストとの接触は、中国政府によって厳しく制限されているため、ジヤウドゥンが詳述していることの多くは裏付けを取るのが難しい。
しかしジヤウドゥンの物語は、強制収容所の外見、構造から毎日の任務、活動まで、BuzzFeed Newsが取材したほかの元被収容者たちの説明と、ほぼ一致している。
また、ジヤウドゥンは自身の物語を補強するため、カザフスタン入国管理局とやりとりした文書を含む入国管理の記録と身分証明書を提供してくれた。
今回インタビューを行ったのは、カザフスタンの都市アルマトイにある、狭いアパートの寝室。ジヤウドゥンが暮らしている村から数時間の場所だ。服装は、ダークブルーのジーンズに、ソフトブルーのヘッドスカーフ。乾いたせきが原因で、声はかすれていた。
それでも、ジヤウドゥンは数時間にわたって話をしてくれた。最初はとげとげしい口調で、ジャーナリストに話をして意味があるのかという疑念が伝わってきた。ジヤウドゥンは強制収容所での生活のばかばかしさを笑った。そこでは中国共産党の映画が「教育」と呼ばれ、外国暮らしは市民として「信頼性が低い」証拠と見なされていた。
しかし、カザフスタンでの新生活の不安定さについて語り始めたとき、ジヤウドゥンは涙を流した。中国に送還され、再び強制収容される恐れがあるためだ。
「私はおびえながら暮らしています」とジヤウドゥンは言った。
「中国に送り返されることになった場合、私の心はすでに決まっています。私は自殺するつもりです」
ジヤウドゥンは1978年夏、新疆イリ・カザフ自治州の小さな集落で生まれた。その名の通り、カザフ人の自治州だ。村に暮らす約300世帯のうち、小さな農場で牛を飼育していたジヤウドゥンの家族を含め、ウイグル人の世帯は5つしかなかった。それでも、よそ者と感じることはなかった。村は丘陵地にあり、近くの泉からは、飲むことができるきれいな水が湧き出ていた。
ジヤウドゥンは結婚後、夫とともにカザフスタンに移り住んだ。夫は、地元のカザフ人だった。ジヤウドゥンは診療所での仕事を得て、カザフスタンで5年暮らした。
2016年11月、ジヤウドゥンは夫とともに中国に戻った。国境を越えると、ジヤウドゥンは拘束され、30分にわたって尋問された。ジヤウドゥンによれば、ウイグル人であることが理由だと警察は明言したという。
その後、兄弟が暮らす町を訪れると、再び地元の警察署に連行された。今度は虹彩をスキャンされ、声を録音され、唾液を採取され、指紋を採られた。
帰宅中、道路沿いの検問所で止められた。警報が鳴っていたため、政府のブラックリストに掲載されていた可能性が高い。
「恐ろしくて、同時に、恥ずかしい気持ちでした。大勢の人が私を囲み、犯罪者を見るような目を向けていました」とジヤウドゥンは振り返る。
「今にして思えば、強制収容所に入れられる前兆だったのでしょう」
警察は、ジヤウドゥンと夫のパスポートも押収した。イスラム系少数民族の渡航を阻止するためによく用いられる方法だ。
その後、何ごともなく数カ月が過ぎ、2017年4月、ある会合への参加を警察から求められた。大きな会議場での講義で、一帯のウイグル人とカザフ人が集められていた。政府の当局者が参加者全員に、「教育を受ける」必要があると言った。
警察は、参加者たちを車で「職業訓練校」に連れて行った。当時、ジヤウドゥンはおびえていたが、そのあと続いたもっと悪い出来事を考えると、ごく普通の施設だったように思えるという。
「正直に言うと、それほど悪くありませんでした」とジヤウドゥンは語る。
「電話の携帯が認められていて、食堂もありました。滞在を強制されていたことを除き、特に問題はありませんでした」
夕方になると、庭に集まり、中国の伝統舞踊を教えられた。時おり、講義も行われた。中国政府のために働くイスラム教指導者がやって来て、ヘッドスカーフを巻くことのような「過激」な行為を避けることがどれほど重要かを説いた。
数週間後、ジヤウドゥンは解放された。ジヤウドゥンは安心したが、夫はパニックに陥っていた。夫は親類から、状況が変化していると聞かされていたのだ。しかも、悪い方に。
後に判明したことだが、2017年は中国政府がイスラム系少数民族を大量に強制収容した最初の年だった。イスラム教の説教を聞いて収容された人もいれば、メッセージアプリ「WhatsApp」をダウンロードしただけで収容された人もいた。ジヤウドゥンの夫は地元の警察署に通い、パスポートを返してほしいと何度も頼んだ。
数カ月後、ついに警察が折れた。どちらかが「保証人」としてとどまることを条件に、もう一人はカザフスタンに永住してもいいと言ったのだ。一方が外国で中国政府を批判した場合、もう一方が罰として収監されるか、場合によってはより厳しい措置を取られることになる。
夫の方が、ジヤウドゥンよりかなり年上だ。しかも、カザフ人であるため、ジヤウドゥンよりはカザフスタンで暮らしやすいはずだ。ジヤウドゥンは夫を出国させた。
いずれにせよ、それほど心配する必要はないと、ジヤウドゥンは思っていた。以前の強制収容は奇妙だったが、短期間で済んだ。次に何が起きても、自分には対処する力があると、ジヤウドゥンは思っていた。
2018年3月9日、警察が再びやって来た。ジヤウドゥンにはさらなる「教育」が必要だと言われた。
ところが、連行された強制収容所は、外見から全く異なっていた。
警察の車両が施設の前に止まると、できたばかりの威圧的な入り口が見えた。巨大な金属の門を武装警官が守っていた。目の前にはレンガの壁がそびえ立ち、その上には、ループ状の有刺鉄線が張り巡らされていた。
施設の中に入ると、もともと草木が生えていた場所に、真新しい5階建ての建物があった。ジヤウドゥンは後に、最も重い違反者の収容所だと知った。
多くの人が、同じ日に収容された。「老若男女が何百人もいました」とジヤウドゥンは語った。小さな子供はどうなるのかと泣き叫ぶ女性たちもいた。
警察はその女性たちに、ネックレスとイヤリングを外すよう命じた。金属の持ち込みは禁止されており、衣服のジッパーさえ認められなかった。人生で最も恐ろしい一日だったと、ジヤウドゥンは振り返る。
女性たちは、武装警備員のいる寄宿舎に連れて行かれた。ジヤウドゥンが以前滞在した建物とは様子が異なっていた。
各部屋の入り口は重い金属の扉で、ホールに共同トイレがあった。トイレ休憩は3分以内に制限されており、夜は室内のバケツを使わなければならなかった。ジヤウドゥンにとって、屈辱的なことだった。
病気になれば釈放されるかもしれないと、ジヤウドゥンは考えた。前回、収容期間が短縮されたのは、健康状態のせいだと思っていたためだ。ジヤウドゥンは4日間にわたり、水っぽいスープとゆでたキャベツの食事を拒否した。
5日目の夜、ジヤウドゥンは空腹で倒れた。警備員が担当者を起こし、指示を仰いだ。
しかし担当者は「なぜ私を起こした? 彼女は大丈夫だ。死ぬことはない」とだけ言った。ジヤウドゥンは食事を摂り始めた。
被収容者は時おり、取調室に連れて行かれ、自身の過去について厳しく尋問された。多くの場合、尋問は何時間にも及んだ。「私は“信頼できない”人間だ、と彼らは言いました」。ジヤウドゥンは再び苦笑いを浮かべた。
ヘッドスカーフを身に着けたことがあるか、いつからスカートをはいているのかなどと聞かれた。カザフスタンに長期滞在していた理由も聞かれた。
尋問以外の日常生活は、無気力になるほど退屈なこともあれば、恐ろしいこと、奇妙なこともあった。二段ベッドの横にあるプラスチック製のスツールに座り、習近平国家主席をたたえる国営テレビ局の番組を延々と見せられる日が続いた。その際、背中を真っすぐ立て、両手を膝に置かなければならなかった。
ある日、2人の女性が扉をたたきながら、カザフスタンの市民権を持っているため、解放してほしいと警備員に訴え始めた。2人はどこかに連行され、戻ってくることはなかった。
施設には数百人が収容されていて、男性はほかの建物で暮らしているようだったが、ほかの建物に入ることを禁止されていたため、ジヤウドゥンには実情がわからなかった。
ジヤウドゥンと同じフロアにいる女性たちは、ほとんどの場合、外に出ることを一切禁じられていた。
寒さと劣悪な食事が原因で、ジヤウドゥンの健康状態は悪化していった。しかし、施設内の病院はさらに恐ろしい場所だった。ジヤウドゥンは病院で、殴打によるあざがある男性や、スタンガンによるものと思われる傷痕のある男性を見た。
ジヤウドゥンが寝泊まりしていた部屋には3台のカメラが設置され、警備員が常時監視できるようになっていた。
記憶は定かではないが、2018年6~7月のある日、警備員の一人が女性たちに、全員の髪を短く切ると言った。美容師が来るのだと、ジヤウドゥンは思った。ところがやって来たのは、はさみを持った普通の女性だった。
女性は、被収容者たちの長い髪を顎の長さまで切った。理由の説明はなかったが、BuzzFeed Newsの取材に応じてくれた複数の女性が、同じように髪を切られたと証言している。
中央アジアの女性の多くにとって、長い髪は単なるヘアスタイルではなく、女性の美しさと誇りの象徴だ。その長い髪を切り落とされたことは、ジヤウドゥンにとって、衝撃的な体験だった。
強制収容所でレイプの話を聞いたことはなかった。施設内での会話はすべて、警備員またはカメラによって監視されていた。しかし、ジヤウドゥンは常にレイプのことを考えていた。もしレイプされても、その話をする人は誰もいないし、犯罪を通報する場所もないとわかっていた。
結局、強制収容されたのは、当局に「信用できない」と判断されたためだ。もし女性の一人がレイプされても、誰が被収容者の言葉を信じるというのだろう? ジヤウドゥンはそれまでの人生で感じたことがないほど自分の弱さを痛感した。
ジヤウドゥンによれば、時折、若い女性が夜に姿を消し、説明もなく戻ってくることがあったという。
ジヤウドゥンは暗い部屋で、静かにすすり泣く女性の声を聞いた。
「誰も、堂々と話をすることはできません」
ジヤウドゥンは気付いた。本当の拷問は、女性たちの心の中でひそかに起きていたのだと。
「たたかれることも、虐待されることもありませんでした」とジヤウドゥンは話す。
「最もつらかったのは心です。うまく説明できませんが、精神的な苦痛です。どこかに閉じ込められ、何の理由もなく、そこにとどまることを強要される。自由などありません。これは苦痛そのものです」
2018年12月、警備員が部屋にやって来て、カザフスタンに親類がいる者はいないかと尋ねた。ジヤウドゥンは手を挙げた。理由は聞かされなかったものの、数日後の12月26日に、ジヤウドゥンは釈放された。
しかし、予想していたような安らぎを感じることはなかった。
「全く幸せではありませんでした。収容所には友人がたくさんいて、彼女たちを思うと、とても悲しくなりました」
ジヤウドゥンは長期にわたり、事実上の自宅軟禁状態だった。友人や家族を訪問したいときは、まず警察に確認しなければならなかった。
理由はいまだ不明だが、しばらくすると、警察からパスポートを返却された。夫がカザフスタンで働きかけてくれたのではないかと、ジヤウドゥンは考えている。
ジヤウドゥンの弁護士アイナ・ショーマンバエワによれば、ジヤウドゥンは5月中旬まで、難民申請者としてカザフスタンに滞在できるという。
もし中国に戻ることになれば、ほかのウイグル人と同様、再び国境で拘束されるのではないかと、ジヤウドゥンは恐れている。ジヤウドゥンは不安のあまり声を詰まらせ、突然立ち上がると、小さな部屋を歩き回った。
カザフスタンがこれまで難民申請にどう対応してきたかを考えた場合、決して楽観視できないとショーマンバエワは述べている。
「拒否される可能性が高いと思います。率直に言えば、裁判を起こす準備はできています」
「これは、新疆における著しい人権侵害の問題です。カザフスタン政府は人権侵害を認め、難民認定を行うべきです」
ジヤウドゥンは、なすすべがないと感じている。
「私はカザフ人ではありません」とジヤウドゥンは言い、「私のここでの立場は違います。社会全体が、新疆に暮らすカザフ人の問題を取り上げ始めていますが、私の問題について知ってくれる人は誰もいません」と続けた。
「私は心から絶望しています。怒りに震え、感情的になっています。私にできるのは、人々に事実を知ってもらうことだけです」
この記事は英語から翻訳・編集しました。翻訳:米井香織/ガリレオ、編集:BuzzFeed Japan
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