「黄熱病」の死体を運び続けたアメリカの大富豪

「黄熱病」の死体を運び続けたアメリカの大富豪

 (柳原 三佳・ノンフィクション作家)

 日本中、いや、世界中で新型コロナウイルス感染拡大のニュースが流れています。

【写真】2月29日、人影も車もまばらな武漢市内の様子

 春の芽吹きを感じる季節に、ありとあらゆるイベントが次々と中止になって寂しい限りですが、目に見えないウイルスの感染を食い止めるには仕方がありませんね。

 つい先日、私は現役の法医学者にインタビューをして、『新型コロナウイルス 亡くなった人からも感染するのか?   法医学者が危惧する日本の脆弱な「感染症対策」』
という記事を書きました。

 現在、肺炎の疑いで亡くなった患者のすべてにウイルス検査や解剖が行われているわけではなく、実態がつかめていないというのです。

 また、このインタビューでわかったのは、新型コロナウイルスで亡くなった方の遺体にはまだウイルスが残っている可能性があり、その場合、感染の危険性もあるという事実です。

 実際に、過去の歴史を振り返っても、感染症によって大量に亡くなった人々の遺体の処理には大変苦慮したようです。

■ 馬車を駆り「黄熱病」の死体を運び続ける

 『開成をつくった男、佐野鼎(さのかなえ)』(柳原三佳著・講談社)の中に、アメリカでは大変有名な、ある偉人のこんなエピソードが出てきます。

 <ある年、フィラデルフィアで黄熱病という疫病が大流行し、多くの市民が感染して死亡した。死体は一時、山積みになるほどだった。しかし、この時、市民は恐怖とパニックに襲われ、他人を助けようとする者は誰もいなかった。

 そんな中、ジラードは、自らの意思で行動を起こした。私財を投じて郊外に避病院を作り、「恐れるな。恐怖が唯一の悪魔だ!」そう叫びながら、夜な夜な荷馬車で市街を回り、病人を、そして疫病による死体を自ら担いで搬送した。

 ジラードは自らの死を恐れることなく、ただ他人を救うため、他人の人生を生かすために行動したのだ。>

 これは、1793年、フィラデルフィアで、蚊が媒介する「黄熱病」が大流行したときの話ですが、なんともすごい人物がいるものです。

 スティーブン・ジラード(STEPHEN GIRARD/1750~1831)。貧しい家に生まれ、幼いときに片目を失明、労苦を積んだ彼は、1769年にアメリカのフィラデルフィアに移住。のちに酒などを扱う貿易業で莫大な利益を生み、世界屈指の大富豪となりました。

 ジラードのことを「守銭奴」と呼ぶ者もいたようですが、英米戦争の後、アメリカが破産の危機を迎えたとき、彼は政府の債権を個人で買い上げ、国の危機を救いました。

 アメリカではそうした行動が今も語り継がれ、偉人とされているのです。

 莫大な財産を残し、81歳でこの世を去ったジラードですが、彼の遺言状には、「(親族に渡した遺産の)残りは、孤児、病院、障害者施設、学校、貧困者を助ける燃料、その他、海難家族救済協会、運河建設等に使うこと」と明記されていたそうです。

■ 佐野鼎が感銘を受けたジラードの偉業

 実は、幕府が派遣した遣米使節の随員として佐野鼎が綴った『訪米日記』(1860年)に、なんと、スティーブン・ジラードについての記述がありました。

 フィラデルフィアを訪れたときの記録です。一部抜粋してみます。

 <スコイケル河の西岸に貧院あり。専ら街内の貧民及びその部中の貧民を済ふ為に設く。(中略)盲聾を教ふる館あり。ギラルド大学館あり。この館は、ペンシルベニヤ部、ニウヨルク部、ニウオウリーンズ街より、白人種の男子、最も俊秀奇傑なる者三百人を選抜し、この館中に入れて、百工の芸術を習学せしむ。>

 さらに日記には、私財を投じてこの大学館を創立したジラード(*日記中ではギラルドと表記)という人物ついて、こう綴られています。

 <ステーベン・ギラルドといふ人発起し、五百万ギュルデンの財を投じて創立し、最大顕著なる教育館なり。よりてその名を冠してギラルド大學館と名づく。ギラルド氏は千八百三十一年に没せり。今をさかのぼること二十九年なり。>

 私財を投じて貧民や障害者のための施設を作り、また大学を創設したジラードの功績に、佐野鼎はよほど感銘を受けたのでしょう、こうも記しています。

 <フィラデルフィア府は甚だ大ならずといえども、仁恵厚実の教化に至りては、世界の諸都府に勝れり。>

 佐野鼎はこのとき、ペンシルベニア大学も見学し、教育の大切さを痛感します。そして日本に帰国後、明治維新の動乱期を経て、明治4(1871)年に現在の開成学園の前身である共立学校を創設したのです。

 彼が明治新政府での役職を辞し、私財を投じてまで教育を志したのは、フィラデルフィアで触れた、このスティーブン・ジラードの生き様も大きく影響していると思われます。

■ 内村鑑三もジラードの生き方に感動していた

 ちなみに、キリスト教思想家で文学者でもある内村鑑三(1861~1939)も、佐野鼎に遅れること25年、明治期にアメリカに留学しており、ジラードの生き方に影響を受けたようです。

 彼は帰国後、自身の講演の中でこう話しています。

 <アメリカの有名なるフィラデルフィアのジラードというフランスの商人が、アメリカに移住しまして、建てた孤児院を私は見ました。これは世界第一番の孤児院です。

 彼に子供はなかった、妻君も早く死んでしまった。「妻はなし、子供はなし、私には何にも目的はない。けれども、どうか世界第一の孤児院を建ててやりたい」というて、一生懸命に働いてこしらえた金で建てた孤児院でございます。

 それでもし、諸君のうち、フィラデルフィアに往く方があれば、一番にまずこの孤児院に往って見ることをお勧め申します。>(『後世への最大遺物』より抜粋)

 感染症の死者の遺体の話から、ふと思い出したスティーブン・ジラードの逸話・・・。

 他者のために私財を投じ、また、命の危険をも顧みず行動するというのは、誰にでもできることではありません。

 こうした人物の志が死してなお、遠い島国からやってきた青年たちの心に深く刻まれていたこと、そしてその思いが100年以上経った今も、日記や講演録で残されていることに、なんだか胸が熱くなりました。

柳原 三佳

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