イタリアにコロナ爆発をもたらした中国の「静かなる侵略」

3/30(月) 9:15配信プレジデントオンライン
イタリアにコロナ爆発をもたらした中国の「静かなる侵略」

新型コロナウイルスの感染拡大が、欧州で最も深刻化しているイタリア。ミラノ在住ジャーナリストの新津隆夫氏は、「この状況は『突然の災難』ではなく、過去20年以上におよぶ中国の『静かなる侵略』の結果だ」と指摘する――。

■「一帯一路」参加からちょうど1年

 今からちょうど1年前の2019年3月、イタリアはG7の中で初めて中国との「一帯一路」構想の覚書を締結した。「一帯一路」構想はまたの名を「(現代の)シルクロード経済圏」構想という。古代のシルクロードが、秦の都・長安からスタートしてローマに至る道であったことからすれば、中国にとってイタリアは、「一帯一路」の体裁を整えるためにも是が非でも欲しかったパートナーだった。

 そして今、イタリアは新型コロナウイルス禍によるダメージがヨーロッパで最も突出した国となっている。3月28日現在で感者数9万2472人、死者1万23人を数え、しかも増加のペースが一向に衰えない。

 上記の「一帯一路」への参加が、イタリアにおけるコロナ禍のきっかけとなったという分析も見かける。だが、ここ20年以上ミラノで暮らす筆者にとって現在の状況は、中国のイタリアに対する長年の「静的侵食(サイレント・インベージョン)」が、ある一定の成果を収めた結果に見えて仕方がない。

■イタリアのアパレル産業を支える中国人労働者

 イタリアの主要産業のひとつ、アパレル。その中心はトスカーナ州にあるプラートという町だ。日本のキャリア女性にも人気の高いマックス・マーラやプラダ、フェンディなど、多くのブランドの工場がある。

 この町に隣接するサン・ドンニーノの皮革工場で働く中国人たちが、プラートに移り始めたのは1990年ごろのこと。次第にニットを中心に中国人が経営する工場が増え始め、中国人のコミュニティーが成長。ついにはプラートの繊維工場はほとんどが中国人経営となった。

 当時、イタリアの法律に違反して24時間態勢で工場を稼働することが常態化するなか、ある工場が夜中にストーブの火の不始末から火事を起こし、何十人という中国人が焼け死んだ。このニュースを機に“メイド・イン・イタリー・バイ・チャイニーズ”が注目されることとなる

 1990年代の末ごろ、ミラノのパオロサルピ地区において、卸売業者のトラックの違法駐車問題が起こった。パオロサルピは日本の神戸や横浜ほどの規模ではないものの、ミラノのチャイナタウンと呼ばれ、中国人経営の衣料や食材の店舗が軒を連ねている。その後も中国系の不法移民問題や、ギャンブル、売春、合成麻薬の売買、さらには発砲事件なども多発するようになり、中国系住民と地元住民との確執は激化した。

 業を煮やしたミラノ市は、中国人会の代表者と幾度も折衝を重ね、卸売業者をミラノの北西20キロの、アルファ・ロメオの工場跡地があるアレーゼに移転させると発表。だがこの交渉は結局決裂し、次にミラノ南端のアッビアーテグロッソに、当初計画よりもさらに広大な土地が提案されたが、これも合意には至らなかったようだ。結果としてミラノの中心部にとどまれているという意味では、中国人側の完全勝利である。

■2000年代に入ってから中国系移民が急増

 80年代に入るまでは、ミラノにおいては中国人はまだまだ珍しい存在だった。記録によれば、1975年にはイタリア全土でも中国人は402人しかいなかった。それが80年代には福建省から、90年代には中国北部からの移民が徐々に増え始めた。

 2000年代になって鉱山の閉鎖が相次いだことをきっかけに、中国から大量の失業者がイタリアに流入。2005年には約11万人だった中国人は、10年には約19万人、15年には26万5000人にまで達した。イタリアにおける移民の数としては、近隣のルーマニア、モロッコ、アルバニア、そしてウクライナ(いずれも国家破綻した国ばかりだ)に次ぐ数である。

 とはいえ、その頃までのイタリア人と中国人の関係は、上記のパオロサルピを除けば友好的なものだった。中国本土からの観光客も増え、17年には年間150万人の中国人がイタリアを訪れた。一人当たり1200~1600ユーロ(約15万円~20万円)を落としてくれる中国本土からの観光客は、それまでの上客であった日本人に代わるものとなり、レストランのメニューやフロア案内など中国語表記が目立つようになる。年間5000万人が訪れる観光立国であるイタリアを支えているのは、もはや中国人なのだ。

■中国の公安がイタリアの都市をパトロール

 ちょうどその頃、耳を疑うようなニュースがあった。増加する中国人観光客の保護を名目に、中国の公安がイタリアのカラビニエリ(軍警察)と合同パトロールを始めたのだ。期間は10日間、イタリア・中国ともに4人づつ、公安の制服は着ているものの中国側は非武装。相互的に、イタリア人警察官も北京と上海で同様の活動を行った。あくまで両国の親善が目的だという立て付けだ。

 とはいえ、他国の警察官が法的な権限を与えられて活動するというのは、国家主権に関わる大問題だ。この合同パトロールは18年にはミラノだけでなく、ローマ、ヴェネツィア、そしてプラートの4都市に広げられた。

 オーストラリアの知識人クライブ・ハミルトンが、同国の政界や市民活動に対する中国共産党の影響力の拡大をテーマとする「サイレント・インベージョン~静かなる侵略」を発表したのは、まさにこの年。翌年には同様に、カナダにおける中国の影響力の増大を描いたジョン・マンソープの「パンダの爪」も話題になった。

■「第一報」からの怒涛の40日間

 今年の1月31日、中国・武漢での感染拡大のニュースから、中華街に近づくことに恐怖を感じたミラネーゼたちの不安を払拭しようと、ミラノ市商務部とパオロサルピの代表者は、テレビカメラの前で仲良くラーメン(Ramen)をすするパフォーマンスを行った。今、ミラノは日本式のラーメンブームなのだ。だがその同じ日に、ローマで2人の中国人観光客が新型コロナウイルスに感染していることが発覚した。

 イタリア語で「検疫」を意味するクワランテナ(quarantena)は、本来は数字の「40」をさす言葉だ。14世紀のヴェネツィアで、当時猛威を振るった黒死病から国を守るため、東洋からの船には40日間の停泊期間を設けたことがその由来である(英語のquarantineもこのイタリア語が語源)。

 だが上記の「第一報」からの40日間は、急激な感染拡大をただなすすべもなく見守る日々となった。ミラノ近郊に始まった都市や自治体の封鎖は、イタリア全土での移動制限に拡大。3月10日には、確認された感染者が1万人を超え、同18日には死者が3000人に迫った。深刻な事態がすさまじい速度で進み、立ち止まって考える余裕はイタリアの人々には与えられなかった。

■大量の物資とともに来た中国からの医師団

 3月12日、中国から9人の医療専門家チームが、30トンもの医療物資を携えてイタリアに到着した。新型コロナウイルスの感染拡大を止められず、都市の封鎖だけでなく外出さえ制限されるという戒厳令状態にうんざりしていたイタリア人たちは、これを歓迎した。

 イタリアでは疑わしき人々を片っ端から検査し、本来ならば自宅で静養していれば治るような軽症者も隔離したことで病院がパンク。多くの医療関係者がYouTubeを通じて「家にいてください。昼寝でもしていてください。われわれはできないけど、皆さんはそれができる。とにかく病院には来ないで! 」と叫ぶような事態になってしまっていた。

 中国からの医療提供の申し出は、国家の主権と尊厳という観点からはかなり繊細な話だ。だが、他のEU諸国に手助けを求めて「自国を守ることを優先させたい」と断られていたイタリアには、中国の申し出を断れる力は残されていなかった。「冷静になれ。彼らはこの病気においては加害者であって、救世主ではない」との声は、あっという間に封殺された。3月19日にはイタリア保険省でなく上記の中国の専門家チームの1人(中国赤十字の副会長)が、イタリア国民に「全ての商業活動を止めて家にいて下さい。マスクなしで外を歩く人が多すぎる」と、テレビを通じて呼びかけた。

 イタリアが「一帯一路」に参加した昨年、フランスのマクロン大統領は「中国は欧州の分断につけこんでいる」と警鐘を鳴らした。あれから1年、目に見えぬ小さなウイルスがその分断を完成させるとは、SF映画もびっくりだ。

■中国系政治家が登場するのも時間の問題

 中国がイタリアの何を政治的に欲しがっているのかは、判然としない。イタリアはオーストラリアやカナダのような資源国ではないし、両国のように中国系の政治家が(今のところは)いるわけでもない。

 しかし、現在のイタリア政治の鍵を握る市民政党「5つ星運動」の党首ベッペ・グリッロは、自身のブログでも中国びいきを隠すことはない。現在の外務大臣、ルイージ・ディ・マイオも、この5つ星運動の所属議員である。中国系移民がイタリア社会の中で存在感を増すなか、五つ星運動から中国系イタリア人の立候補者が出てくるのも時間の問題だろう。

 ミラノの中心部では、イタリアの文化を象徴するバール(“bar”、立ち飲みコーヒースタンド形式のカフェ)の多くが中国人家族の経営となっている。イタリアで教育を受けて育った若い中国人店員が、地元の常連客とネイディブなイタリア語でコミュニケーションを取る光景も、いまや珍しくない。携帯電話の修理店や格安の美容室、すし店から性感マッサージまで、中国人経営の店はイタリアの日常生活にどんどん浸透している。

 イタリアにおける中国の「静かなる侵略」は、これからが本番なのかもしれない。


新津 隆夫(にいつ・たかお)
ジャーナリスト、コラムニスト

1959年、東京・浅草生まれ。1993年「激安主義」(徳間書店)にてバブル後の激安ブームを牽引。1997年からイタリア在住。テーマはスポーツ、車、グルメ、政治、歴史、教育などイタリアのカルチャーすべて。主な著書に「丙午女」(小学館)、「会社ウーマン」(朝日新聞社)など。福岡RKBラジオ「桜井浩二 インサイト」に不定期出演。

ジャーナリスト、コラムニスト 新津 隆夫

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