腹中教と平壌大同保安署の受難

2、1945年10月 解放直後の定州郭山支署収監事件

北側に行って、監獄に入って出てくるのが3度です。
3度まで監獄暮らしをしましたが、その時は、お金のために引っ掛かって入ったのです。貨幣問題のために引っ掛かったのです。それはお金に対する未練を、全部切るためなのです。一切を否定させるための神様の作戦でした。

3、1946年8月11日 腹中教と平壌大同保安署の受難

①大同保安署に拘束(1946.8.11)

聖主教団の使命を引き継いだのが許孝彬氏でした。
最初の金聖道氏はエバ的使命であり、許孝彬氏はマリヤ的使命です。
許孝彬氏の腹を通して啓示が伝達されたので、その集団を「腹中教」と言いました。
先生はその集団に人を送り許夫人に、「先生の集団が何であるか、祈祷して調べてみなさい」と言いました。
その時許夫人は、一つの大きな兆候を期待し、一人の若い男などには期待もしませんでした。
1946年6月、共産党は北韓全域において新しい宗教団体に対する弾圧を始め、許孝彬氏の集団が摘発されました。
そして1946年8月11日、その神霊集団の許孝彬氏ゆえに、文先生が引っ張られて入ったのです。南側から来たから、李承晩の手先と疑われたのです。

②腹中教徒釈放のための獄中措置

監獄に入ると、その教団全体に責任をもっていた黄元信という人がいました。それで私は「このようにして、許孝彬氏に早く出るように言いなさい」と言ったのです。しかし、信徒たちはいくら勧告しても聞こうとはしませんでした。
黄元信氏が釈放された後、許夫人の夫が先生の部屋に来たので同じ話をしましたが「自分は妻に従うつもりだ」と言い受け入れませんでした。
9月18日の朝、最後に先生自身が一通の手紙を許夫人に書きました。彼女は、その手紙を読んでから破いてしまおうとしたが、共産党の監視員に見つかってしまい、先生は拷問を受けました。

③釈放(1946.11.21)と腹中教の結末

監獄で拷問を受けて呻吟する時に、神様がその場に共にいてくれて、どれほど私を親しく愛しているか、死の境地で保護してくれた神様を感じたことがあるのです。
先生は韓国にいる米軍のスパイとして告発されて、ソ連の調査官によって尋問を受けましたが、無罪だということが判明し、11月21日に門の外に放り出されて釈放されました。
そのころ、大同保安署の回りをエリコ城のように7回まわれば先生に会えるという啓示を受けた弟子たちが、祈りながら回っていると、先生が放り出されてきました。その時の先生は、口も利けず、血を吐き、全身を殴られたため思うように動けず、とても生きた人間の姿ではありませんでした。
弟子たちは先生を教会まで連れて帰り、いろいろ治療を施し、漢方薬を飲ませ、手を尽くしましたが、ついに先生は意識を失ってしまわれました。そのような姿を見ながら弟子たちは、「これでは先生は死んでしまう。もうおしまいだ」と叫びながら泣いていました。
しばらくして、奇跡的に先生は意識を回復されたのです。先生が再び生き返ったことは、一つの奇跡でした。

④腹中教の結末

許孝彬集団の失敗のゆえに、1950年に韓国戦争が起きた時、彼らはすべて虐殺されました。許孝彬氏以下、すべての監獄にいた人々を、共産党たちが後退する時、連れていって全部虐殺してしまったのです。
その時の腹中教は、夫の李夢龍に再び会って解怨成就、解放される日を待ち望みながら、獄中で待つ春香の心情のような状況だったのです。
私はそのように伝道したのですが、私の話を聞かずにみな死んでしまったのです。
それゆえ、いつも謙遜な立場に立たなければなりません。自分をまず主張することは、危険なことです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
  • コメント: 0

関連記事

  1. 摂理に失敗した本当に罪深き中心人物たちは全て韓国人

  2. 閔妃暗殺事件

  3. キリスト教徒の20万人虐殺計画

  4. 梨花女子事件と西大門刑務所の受難

  5. 真実の歴史の解明

  6. 原理講論とは違う日本による朝鮮統治の真実

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

  1. アメリカ経済の猿真似をするは日本の自滅行為

    2024.05.18

  2. 森永卓郎氏が命がけで伝えたいこと

    2024.05.01

  3. ウクライナ戦争の原点、ソ連崩壊後の非人道的アメリカの対ロ政策

    2024.04.10

  4. プーチンが語るアメリカを陰で動かしている力

    2024.04.07

  5. イスラエルを狂気に駆らせた捏造記事!?

    2024.04.06

姉妹サイト