『ユダヤ人命のビザ』杉原千畝 奇跡の将軍・樋口季一郎少将
【百田尚樹×北村晴男 虎ノ門ニュース 2020 10 20】
・第二次世界大戦中命のビザで多くのユダヤ人を救った日本の外交官杉原千畝氏。
80年前にビザを発給したリトアニア中部のカウナスで10月17日、杉原氏の功績をたたえる記念碑の除幕式が行われた。
・ユダヤ人を迫害していたヒトラーのドイツと同盟を結んでいた日本の一外交官に、何故そんなことができたのかが疑問だった。
・渡部昇一さんの書籍によると、国際連盟を作る時に人種差別撤廃条項を入れるよう主張した日本の立場として、ユダヤ人を虐待するナチスには同調しないという基本的な指針があったため、外務省も日本政府も杉原千畝氏のビザ発給には何も咎めることはしなかった。
・しかし日本にはもっとすごい人物がいた。
杉原千畝氏は6000名ものユダヤ人の命を救ったとされるが、2万人以上ものユダヤ人の命を救った人物がいた。
・東ヨーロッパのユダヤ人の一部が、ドイツの迫害から逃れるために、シベリア鉄道を使って上海のアメリカ租界を目指していったとき、満州国の外交部が入国の許可を渋り、オトポール駅で足止めされた。
・関東軍の樋口季一郎少将は、ユダヤ人への給食と衣類・燃料の配給、そして要救護者への加療を実施、更には膠着状態にあった出国の斡旋、満州国内への入植や上海租界への移動の手配等を行い、満鉄の特別列車で上海に脱出させた。
・その後ユダヤ人たちの間で「ヒグチ・ルート」と呼ばれたこの脱出路を頼る難民は増え続け、最終的には2万人以上ものユダヤ人の命を救うことになった。
・前年に日独防共協定を結んだ関東軍内部でも樋口の処分を求める声が高まったが、関東軍参謀長東條英機は樋口を不問とし、ドイツからの再三にわたる抗議も、東条は「当然なる人道上の配慮によって行ったものだ」と一蹴した。
・樋口季一郎少将は、日本が無条件降伏した後1945年8月18日以降、守島、樺太における対ソビエト軍への戦闘を指揮し、結果的に北海道がソ連に占拠されるのを防いだ。
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