ポルトガル船種子島漂着と鉄砲伝来

・ポルトガル船種子島漂着と鉄砲伝来

ポルトガルの船が種子島に漂着して日本に鉄砲を伝えたのは1543年です。
さらにイエズス会のポルトガル人フランシスコ・ザビエルが鹿児島に上陸したのが1549年です。
一方、スペイン人は1584年に日本に現れ、マニラを拠点とした対日貿易を始めるとともに、宣教師による布教活動を活発化させました。宣教師によるカトリックの布教は、日本侵略のための足掛かりでした。スペインが日本を侵略する目的は明国の征服のためでした。
スペインやポルトガルが日本侵略を企てた1500年代後半は、日本の戦国時代にあたります。分裂国家だった日本が信長・秀吉・家康によって統一され、中央集権国家として再生した時期です。当時の日本は世界的に見ても、傑出した軍事大国でした。

当時日本の人口は、一説によると1200万人ほどだったと言われています。一方スペインは650万人、ポルトガルは120万人、イギリスは500万人ほどだったと言います。
また日本の武士は総人口の7~10%を占めていました。一方、イギリスの騎士階級は1597年において総人口の0.6%に過ぎませんでした。当時日本はヨーロッパ諸国に比べ人口もはるかに多く、軍人も圧倒的に多い軍事国家だったのです。
1569年、イギリス全体の兵隊は24000、そのうち約6000の者が銃を所持していると報告されています。
一方日本では1584年、戦国大名の一人、竜造寺隆信の軍勢は25000、そのうち約9000が銃砲隊であったと記録されています。
当時の日本は、ヨーロッパの国すべての銃を合わせたよりも多くの銃を持っていた可能性さえあるのです。

日本よりも早く銃が伝わったアラビア・インド・中国は、銃を自国で作ろうと試みましたが、ことごとく失敗に終わっています。
日本には1543年に初めて鉄砲は伝来しましたが、わずか1年ほどで複製に成功し、さらに大量生産まで成し遂げるほどの工業技術を日本の職人は持っていたのです。しかも日本は独自の工夫により銃の命中精度を高め、雨の中でも火縄銃を撃てる雨よけ付属装置の開発にまで成功しています。

さらに鉄砲を効果的に用いた戦術においても、信長軍が武田の騎馬隊を打ち破った三段構えの鉄砲の陣容は、それから350年後の第1次世界大戦において、ドイツ軍が見せた当時最新の戦法と同じでした。
こうして日本全土にわたり大量の鉄砲を蓄えたこと、その質においても戦術においてもヨーロッパを上回っていたことで、戦国期の日本は世界最大の軍事大国にのし上がっていたのです。
これこそが、アジアの大半が欧米列強の植民地となるなか、日本が独立を守れた最大の理由です。

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