日本国憲法

・大日本帝国憲法

1876年9月6日、明治天皇は元老院議長へ「国憲起草を命ずる」の勅語を発しました。
1880年、元老院は「日本国国憲按」を成案として提出し、また、大蔵卿・大隈重信も「憲法意見」を提出しました。
1882年3月、伊藤博文らはヨーロッパに渡り、ドイツ帝国系立憲主義、ビスマルク憲法の理論と実際について調査を始め、1883年に井上毅に憲法草案の起草を命じ、憲法取調局を設置するなど憲法制定の準備を進めました。
1886年に井上は、政府の法律顧問となったロエスレルなどの助言を得て、1888年4月に成案をまとめました。この成案を受け、天皇の諮問機関枢密院を設置し憲法草案の審議を行い、1889年1月に「日本帝国憲法草案」を受け入れました。
1889年2月11日、明治天皇より「大日本憲法発布の詔勅」が出され、大日本帝国憲法が発布されました。この憲法は天皇が首相に手渡すという欽定憲法の形で発布され、日本は東アジアで初めて近代憲法を有する立憲君主国家となりました。

・日本国憲法

マッカーサーは憲法改正の必要性を説き、1945年10月、GHQから憲法改正の命令が出されます。
1945年12月16日からモスクワで始まった米英ソ3国外相会議で、極東委員会を設置することが合意され、憲法改正に関するGHQの権限は、一定の制約のもとに置かれることが明らかになりました。
GHQから憲法改正の命令を受けた日本政府による最初の憲法草案は、1946年2月1日に毎日新聞によってスクープされ、「あまりに保守的、現状維持的なものに過ぎない」との批判を受け、2月3日、マッカーサーは、憲法改正の必須要件(マッカーサー三原則)をGHQ民政局長のホイットニーに示し、GHQ草案の起草作業が開始されました。
GHQは、起草作業を急ぐ一方で、日本政府に対して政府案の提出を要求、2月8日、憲法問題調査委員会の松本烝治委員長より、明治憲法(大日本帝国憲法)に少し手を加えた形で、「憲法改正要綱」「憲法改正案ノ大要ノ説明」等がGHQに提出されました。

2月13日、ホイットニーから松本国務大臣、吉田茂外務大臣らに対し、さきに提出された要綱を拒否することが伝えられ、その場でGHQ草案が手渡されました。
日本政府は政府案の作成に着手し、3月5日すべての作業を終了し、3月6日「憲法改正草案要綱」として発表し、4月17日に「憲法改正草案」として公表されました。

マッカーサーがホイットニーに指示した「マッカーサー三原則」とは次のようなものでした。
1、「天皇は、国家の元首の地位にある」
2、「国家の主権的権利としての戦争を放棄する」
3、「日本の封建制度は、廃止される」

・日本国憲法作成時の問題点

大日本帝国憲法は12年余りの歳月をかけ、日本の歴史や伝統を踏まえたうえで創られた、海外からも高く評価される憲法でした。
しかしGHQ側が用意したGHQ草案は、憲法についての実務的な知識に欠けていたホイットニーを中心とした、GHQ民政局の25人のメンバーによって、密室の中でたった9日間で急ぎ書き上げられたものでした。

1946年2月4日、急遽集められたGHQのメンバー25人に憲法の専門家は一人もいませんでした。
ホイットニーは憲法改正草案の作成を陸軍大佐チャールズ・ケーディスに指示しました。
ソ連への協力者や社会主義者が入り込んでいた当時のアメリカ民主党政権ですが、GHQ民政局は特にそうした傾向の強い人物で占められ、ケーディスはその代表格でした。

25人のメンバーのうちの一人、ベアテ・シロタという22歳のユダヤ系ウクライナ人女性の自伝『1945年のクリスマス 日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝』が残っていますので、そこから引用してみます。
彼女はGHQで日本語通訳兼アシスタントを務めていたというだけの経歴で、憲法について「ハイスクールの社会科で習った程度の知識しかない」と認めながら参加します。
シロタによると、ホイットニーはマッカーサーノートを読み上げた後、自分たちの案を日本政府が受け入れない場合は「力を用いると言って脅すだけではなくて、力を用いてもよいという権限をマッカーサー元帥から得ている」と、軍事力を使ってでも憲法を押し付けると宣言しました。さらに「出来上がった文書は、日本側からマッカーサー元帥に承認を求めて提出されることになる。そして、マッカーサー元帥は、この憲法を日本政府が作ったものとして認め、全世界に公表するであろう」シロタは「簡単に言えば、出来の悪い生徒の試験答案を先生が書いて、それを生徒が書いたとして提出して及第点を貰おうというようなものだ」と表現しています。

彼らがまずやったことは、日比谷図書館や東大などでアメリカ独立宣言や合衆国憲法など各国の憲法を集めることでした。
GHQが東京の図書館で米国の憲法を探したのです。
そうやってメンバーは、12日までのわずか9日間で英文のマッカーサー草案を作りました。

翌13日、ホイットニーらは外相官邸に吉田茂を訪ね、マッカーサー草案を手渡すと外の庭に出ました。
そのときB29爆撃機が超低空で近付き、轟音をあげて通り過ぎました。
このB29は事前に指示されて、吉田らを脅すために外相官邸の上空を飛んでいたのです。
そのときホイットニーはこう言いました。
「われわれは戸外で原子力の起こす暖を楽しんでいるのです」まだ広島、長崎への原爆投下の記憶が生々しいとき、「原子力」を口にするのは威嚇以外の何物でもありませんでした。

政府はマッカーサー草案を若干修正して政府案を作りましたが、GHQの圧力で元に戻されました。
帝国議会での審議もGHQの統制下に置かれ、ポツダム宣言の言う「日本国国民ノ自由ニ表明セル意思」などありませんでした。

こうして「大日本帝国憲法を改正した」という建前で日本国憲法がこの年の11月3日(明治天皇の誕生日)に公布され、翌1947年5月3日(東京裁判開廷1周年)に施行されました。
サンフランシスコ講和条約が発効してわが国が主権を回復したのは1952年4月28日ですから、占領下に「憲法」ができたのです。
そのとき国民には、日本国憲法が外国製だとは知らされていませんでした。

・日本国憲法の問題点

憲法とはそもそも、その時代や暮らしに合わせて変えていかなければいけないものです。
戦後1945年当時と今とでは、私たちを取り巻く環境は劇的に変わっています。
現代の私たちを80年近く前の憲法で全てを規定することなど到底不可能であることは明白です。
実際日本と同じ敗戦国であるドイツなどは、62回も憲法は改正されています。
アメリカでも6回、インドに至っては103回も憲法は改正されているのです。
日本国憲法を作成したGHQ自体、日本が独立すれば、当然日本人の手で憲法をつくり直すものだと考えていたと言います。

そんな日本国憲法ですので、当然問題も多く抱えており、自民党自体が憲法改正を謳って結党された政党ですので、戦後間もない時期から憲法改正の論議が行われてきました。
しかしGHQが日本に仕込んだ自虐史観を奉じるグループがその都度強烈な反対活動を行い、80年近くも憲法の改正は一度も行われてきませんでした。

憲法の問題点は憲法9条をはじめとして数えきれないほどありますが、今回の新型コロナ対策でもその弱点を露呈してしまいました。
GHQは日本が二度と再び戦争を行えないようにと、WGIPによって自虐史観という呪縛を日本人に植え付けました。
その結果日本人から有事という観念が失われ、日本は未だにまともな有事法制を持ちあわせていません。
今回の新型コロナ対策においても、本来ならば有事とみて、超法規的な手続きによって新型コロナ対策も打ち出されなければいけませんでした。
実際中国をはじめとして世界中のほとんどの国々は、新型コロナ封じ込めのために、かなりの強硬手段を取りましたが、日本は何の有効的強硬手段も取れず、全てがお願いベースで国民の良心任せの対策しか取れませんでした。
日本人の民度の高さと、公衆衛生意識の高さ故に、他国よりも感染拡大を抑えることはできましたが、それはあくまで結果オーライに過ぎません。
もっと強力なウィルスがやってきた場合、今の憲法下では甚大な被害をもたらす可能性が露になったのです。

新型コロナ対策に限らず、今日本が抱えている最大の問題が中国の脅威です。
中国が尖閣諸島を占領しようと既成事実を積み重ねようが、日本の土地を買い漁ろうが、日本の持つ優秀な技術を盗み出されようが、今の日本にはなす術もありません。
それらを取り締まる法律もなく、最終的には憲法を改正しない限り何もできないという結論に到達します。

日本国憲法は、日本が再び世界の強国となり、自分たちの脅威とならないよう、日本に戦争を放棄させ、日本を弱体化させるためにGHQによって作られたものです。
ですから日本を守り、日本を強くしようとすると必ず問題となるのが憲法です。
そのことに気づいた日本人が憲法を改正しようとすると、GHQの自虐史観の申し子たちが力の限りに、死に物狂いで反対し、日本を弱体化させようとします。
弱体化の先にあるのは植民地化しかないのは、歴史をみれば明らかです。
実際今の日本は、軍事的にも経済的にもアメリカの植民地だとよく揶揄されているのが実情です。

・国際法に抵触する日本国憲法制定

ハーグ陸戦条約の43条にはこんな規定があります。
「第43条:国の権力が事実上占領者の手に移った上は、占領者は絶対的な支障がない限り、占領地の現行法律を尊重して、なるべく公共の秩序及び生活を回復確保する為、施せる一切の手段を尽くさなければならない。」(wikipedia)
つまり戦勝国だからといって敗戦国の憲法を変えてはいけないと規定しているのです。
そのことをわかっていたからこそGHQは日本国憲法も日本国政府が作り、GHQが承認した形を取ろうとしたわけです。
米国に押し付けられた日本国憲法なるものは、そもそも憲法としては本来無効なのです。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
  • コメント: 0

関連記事

  1. 原理講論にある「堤岩里事件」「関東大震災」の詳細分析

  2. 変化するリメンバー・パールハーバー

  3. マレーの虎ハリマオ、マレーシア・シンガポール侵攻

  4. 欧州に繁栄をもたらした奴隷貿易(三角貿易)とキリスト教

  5. 選民の歴史 キリスト教編

  6. 真のお父様のみ言に見る日本

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

  1. アメリカ経済の猿真似をするは日本の自滅行為

    2024.05.18

  2. 森永卓郎氏が命がけで伝えたいこと

    2024.05.01

  3. ウクライナ戦争の原点、ソ連崩壊後の非人道的アメリカの対ロ政策

    2024.04.10

  4. プーチンが語るアメリカを陰で動かしている力

    2024.04.07

  5. イスラエルを狂気に駆らせた捏造記事!?

    2024.04.06

姉妹サイト