中世以降の歴史年表

これまで選民の歴史、ユダヤ人編、キリスト教編で明らかになった中世以降の歴史的事実を、時系列に従ってまとめてみたいと思います。

・1290年:エドワード一世、ユダヤ人をイギリスから永久追放。
・1492年:コロンブスによるアメリカ大陸発見
・1494年:ローマ教皇アレクサンデル6世の仲裁によってスペインとポルトガルの間にトルデシリャス条約
・1517年:法王レオ十世の免罪符を契機に、ドイツの神学教授マルティン・ルターを中心とした宗教改革運動が始まる。
・1517年:スペイン人コルドバによるマヤ文明の発見
・1519年:スペイン人コルテス、メキシコに上陸
・1521年:コルテスによってアステカ文明滅亡
・1524年:マヤ地域高地部、1540年:半島西部、1546年:半島北部、1697年:マヤ全域がスペイン領に併合
・1532年:スペイン人ピサロが現在のエクアドルに上陸、そこから南下してペルーのインカ帝国領内に入る。
・1533年:ピサロ隊によってインカ帝国滅亡

・1534年:ヘンリ8世の首長法によりローマカトリック教会から分離してイギリス国教会が成立。
 教義はカトリックとほとんど変わらなかったが、ルター派やカルヴァン派の要素を取り入れて新教化が進んだ。

・1552年:『インディアスの破壊についての簡潔な報告』発刊。スペイン ラス・カサス著
・1580年:スペインがポルトガルを併合、スペイン国王がポルトガル国王を兼任

・1620年:ピューリタン(ピルグリム・ファーザーズ)がイギリス国教会の迫害から逃れ、信教の自由を求めメイフラワー号に乗りアメリカ・プリマスに上陸

・1642~49年:イギリス、ピューリタン革命
 イギリスの絶対王政による国教会の強制に対するピューリタンの信仰の自由、特権的商人を保護する重商主義に対する、ジェントリ層の不満などが要因となって始まった革命。
 真の意味は、イギリスを追われていたユダヤ人たちがイギリスに戻ってきた革命。

・1648年:オランダ独立戦争
・1657年:ユダヤ人追放解除、ユダヤ人がイギリスへ367年ぶりに帰還。
・1660年:イギリス王政復古
・1665~67年:英蘭戦争

・1688年:名誉革命
 清教徒革命のクロムウェルも、王政復古のチャールズ二世も、名誉革命のウイリアム三世も政情不安から戦争に明け暮れたため、ユダヤ金融勢力に対する王室の借金が重なり、ユダヤ金融勢力はイギリス経済への支配権を手中に収めた。

・1694年:イングランド銀行設立
 ユダヤ金融勢力はイングランド銀行設立によって、イギリスの通貨ポンドの独占的発給権を得ることにより、経済のみならずイギリス政治をも支配することに。

・1775~83年:アメリカ独立戦争
・1776年:アメリカ独立宣言
・1786年:ロシアがユダヤ教徒居住区を設置

・1789年:フランス革命
 ブルボン絶対王政を倒した市民革命。共和政を実現。
 フランス革命はブルボン王朝を倒したと同時に、キリスト教(カソリック)を否定して無神論国家にしようとしたもの。

・1791~1811年:合衆国第一銀行
・1795年:ポーランドがロシアに併合
・1804年:ネイサン・ロスチャイルドがイギリス・ロンドンにロスチャイルド商会創設。
・1806年:ナポレオンの大陸封鎖令により、ロスチャイルド家は莫大な利益

・1812年:英米戦争
 通貨発給権を巡るイギリスとアメリカの対立

・1815年ワーテルローの戦い。ロスチャイルド家はヨーロッパ全土を支配できるくらいの巨万の富を築いた。

・1814~15年:ウイーン会議、
 ロシアの皇帝アレクサンドル一世は、キリスト教国の君主が同盟を結ぼうとする神聖同盟を提唱。
 ロスチャイルド家(ユダヤ人)とロシアの対立の始まり

・1816~36年:合衆国第二銀行
 英米戦争による政府負債の拡大を捉えた金融勢力の猛烈な働きかけで、1816年に二回目の中央銀行、合衆国第二銀行設立

・1848年:マルクス『共産党宣言』

・1861~65年:アメリカ南北戦争
 南北戦争で北部を支援したのは、ロシアの皇帝アレクサンドル二世。一方南部を支援したのはロスチャイルドなどユダヤ系国際金融資本家。北部のリンカーンは財務省から通貨を発給させて戦費を調達した。南北戦争は中央銀行を巡る戦いでもあった。

・1865年4月14日:リンカーン暗殺
・1867年:『資本論』第1部が刊行、1885年に第2部、1894年に第3部が刊行された。
・1881~84年:ロシアで反ユダヤ主義の暴動(ポグロム)勃発
・1890年:米ロックフェラー家、アメリカ石油市場の9割を独占
・1897年:スイスのバーゼルで第1回のシオニスト大会開催
・1902年:日英同盟。 ロシアのアジア進出の牽制のため。

・1904~05年:日露戦争
 ロシア帝国から迫害されていたユダヤ人たちが、ロシア皇帝を倒して共産主義革命を起こすための戦いの一環。
 ヤコブ・シフはユダヤ人たちの資金を集め、ユダヤ人の敵であるロシア皇帝を倒すために資金を出して日本を支援した。
 海外の人たちから見た日露戦争は、「ユダヤ人たちがロシア皇帝を倒すために、ロシア帝国と日本を戦わせた戦い」

・1905年:第1次ロシア革命

・1911年:辛亥革命、
 孫文らが中心となって清朝を倒す。

・1912年1月:中華民国樹立、皇帝政治が終わりアジア最初の共和国が誕生

・1912年:民主党のウッドロー・ウィルソンが大統領に当選(任期:1913~21年)
 ウィルソンの側近は、ユダヤ系の社会主義者に支配された傀儡政権

・1913年:FRB(連邦準備銀行)設立
 ユダヤ系の国際銀行家たちがアメリカの通貨発給権を独占することに成功

・1914~18年:第一次世界大戦
・1917年4月:アメリカはドイツに宣戦布告。形勢不利だったイギリスの要請に応じ第一次世界大戦に参戦

・1917年:ロシア革命
 欧米のユダヤ人金融資本家は、ロシア革命を推進したレーニンやトロツキーを資金的に支援
 アメリカはレーニンの政権に対して1億ドルの資金援助
 ロシア革命は、ユダヤ人がロマノフ王朝を倒し、ロシア正教を否定して、迫害からユダヤ人を解放した革命。
 『資本論』を基盤にして、ユダヤ人たちによって反革命勢力、数百万人のロシア人民が粛清された
 「ロシア革命」は、一言で言えば「ユダヤ革命」「ロシアでのユダヤ革命」というのが本来の言い方

・1919年:第一次世界大戦戦後処理のためのパリ講和会議において、日本が世界で初めて人種的差別撤廃を提案
 賛成11票、反対5票で賛成多数だったが、アメリカのウィルソン大統領は全員一致で無ければ可決されないと言って否決

・1919年:孫文を中心として中国国民党を結成。

・1921年7月:ソ連コミンテルンの指導により、中国共産党が結成。
※中国と満洲は、ソ連による「共産主義思想の拡大浸透」と、英米資本による「中国経済の奪取」の二点で社会主義化勢力のターゲットとなった。そのすべてに立ちはだかったのが日本だった。

・1921年11月~:ワシントン会議、日英同盟に代わって、「四か国条約」を締結

・1922年2月:中国に関する「九か国条約」を締結。
 米が日本の中国、満洲での行動を封じ込めに成功。
 九か国条約に意を強くした中国が、満洲における排日運動を扇動し、満洲は中国軍閥闘争もあって無法の荒野と化した。
・1925年:ソ連は張作霖配下の郭松齢を買収し、満洲を共産化しようと反乱を起こしたが、張作霖を支援した関東軍によって平定。張作霖はソ連を満洲から追い出した。

・1926年7月:蔣介石は国民革命軍総司令となって北伐を開始。革命軍は北上し、武漢、南京を占領して上海に迫った。
・1928年:北伐を再開。奉天軍閥張作霖を北京から追放し、6月には北伐を完了。共産党を除く反対勢力を一掃し統一を達成

・1928年6月4日:張作霖爆殺事件。
 張作霖と日本は、満洲の赤化を防ぐという点で利害が一致していた。
 張作霖爆殺事件はソ連情報部が仕掛けた事件だが、アメリカのメディアによって日本の関東軍によって引き起こされたと捏造された情報が流され、欧米諸国は日本に対する批判を強めた。

・1931年9月18日:柳条湖事件(満州事変)
 無法の地における日貨(日本商品)排斥運動や、侮日(日本人の侮辱、蔑視)行為、日本人虐殺などの排日運動の結果

・1932年3月1日:満州国を建国

・1933年:フランクリン・D・ルーズベルト大統領誕生(任期:1933~45年)
 ルーズベルトは、アメリカは戦争に参戦しないことを公約にして大統領に三選。
 人種差別意識が強く、とりわけ「日本嫌い」「日本蔑視」の大統領。
 ルーズズベルトは、ソ連の南下とともに国民党の蔣介石を日本と戦わせて疲弊させ、共産党に政権を握らせる戦略だった

・1933年5月:日中間で締結された「塘沽停戦協定」によって、満洲事変は終結。日中関係は好転。
 蔣介石は、最大の敵である毛沢東の共産党勢力の殲滅作戦を強化。
 共産党は“長征”と称する退却作戦に追い込まれて、辺境の地延安に。
 アメリカ国防長官ジョージ・マーシャルは、勝利を収めつつあった蔣介石に対し停戦を命じる。
 アメリカも、イギリスも、毛沢東の背後にいるソ連コミンテルンも、蔣介石が日本と戦争を続けることを必要とした

・1936年12月:西安事件。東北軍の張学良は西安で蔣介石を軟禁。
 日本に父張作霖を殺されたと信じている張学良によって、蔣介石は共産党とともに日本と戦争することを約束させられる
 以後「慮溝橋事件」「第二次上海事変」「南京攻略」等々日中の軍事衝突(支那事変)が続くことになり、事変不拡大を目指す日本の和平方針はことごとく蔣介石によって拒否される。
 ちなみに慮溝橋事件は中国共産党が、第二次上海事変はドイツ軍事顧問団の支援を受けた蔣介石が仕掛けたもの。

・1937年7月7日:盧溝橋事件。日中戦争の契機となった
・1937年8月:ソ連のスターリン政権との間で中ソ不可侵条約
・1937年8月13日:第二次上海事変。中華民国軍の「日本租界」への攻撃に端を発する日本軍との軍事衝突。
・1937年9月:中国国民党と中国共産党との間で、抗日目的の国共合作。
・1939年9月:ヨーロッパで第二次世界大戦が勃発。

・1940年3月:汪兆銘を首班とする南京国民政府(日本の傀儡政権)が樹立。
 日本軍は日中戦争を有利に終結させる方策を探ったが、和平交渉はいずれも失敗
 英米は援蔣ルートを通じて、重慶の国民政府に対する支援をますます強める

・1940年7月:第2次近衛文麿内閣成立、「八紘一宇」の大東亜共栄圏の建設を目標に掲げる。
・1940年9月:日独伊三国同盟締結。
・1940年9月:6月のフランス降伏を受け、日本軍がフランス領インドシナに進駐。
・1940年10月7日:「マッカラム覚書」。この覚書に従いアメリカは日本を対米戦争に導く。
・1941年4月6日:日ソ中立条約を締結

・1941年12月8日:日本軍が真珠湾奇襲攻撃を行い、アメリカ、イギリスに宣戦布告、大東亜戦争勃発。
 日本はあくまでもアメリカとの戦争を避けようと努力したが、アメリカが日本を挑発して追い込み、第一撃を討たせた。
 大東亜戦争は国体を守るための自衛の戦いだった。

・1943年11月:大東亜会議(満州国、タイ、フィリピン、ビルマ、自由インド仮政府、中華民国南京国民政府)
・1945年3月10日:東京大空襲
    7月26日:米英中三国、ポツダム宣言。スターリンからソ連参戦の確約。日本に無条件降伏勧告。
    8月 6日:米軍、広島に原子爆弾投下。  
    8月 8日:ソ連の対日参戦。
    8月 9日:米軍、長崎に原爆投下。
    8月14日:ポツダム宣言受諾通告し日本の無条件降伏決定。
    8月15日、天皇、ポツダム宣言受諾を放送。

・1945年9月 2日、日本、降伏文書に調印。太平洋戦争、日中戦争、第二次世界大戦が終わる。
 アメリカの原子爆弾は、戦争を早期に終わらせ、これ以上犠牲者を増やさないためと信じられてきた。
 しかしポツダム会談で、ソ連の対日参戦の確約を得ていたため、原子爆弾の使用は必要なかった。
 トルーマンはユダヤ系で大変な人種差別主義者だった。トルーマンにとって日本への原爆投下は実験だった。

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 家庭連合へ
にほんブログ村 哲学・思想ブログ サンクチュアリ教会へ
  • コメント: 0

関連記事

  1. 中国における欧米金融勢力の戦略

  2. 第一次世界大戦での日本

  3. 近現代400年史概観詳細

  4. ポルトガル船種子島漂着と鉄砲伝来

  5. 選民史から見た近現代史概観

  6. もしカイン型ヘレニズムがアベル型ヘブライズムに完全屈服していたら?

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

  1. アメリカ経済の猿真似をするは日本の自滅行為

    2024.05.18

  2. 森永卓郎氏が命がけで伝えたいこと

    2024.05.01

  3. ウクライナ戦争の原点、ソ連崩壊後の非人道的アメリカの対ロ政策

    2024.04.10

  4. プーチンが語るアメリカを陰で動かしている力

    2024.04.07

  5. イスラエルを狂気に駆らせた捏造記事!?

    2024.04.06

姉妹サイト