『選民の歴史キリスト教編』で明らかにしたこと

・『選民の歴史キリスト教編』で明らかにしたこと

「選民の歴史キリスト教編」では、ユダヤ人に代わって神のみ旨を担うことになったキリスト教も、暗黒時代と言われる中世には、権力とお金に溺れて堕落し、サタンの侵入を許してしまい、人類が忘れてはいけない数多くの悲劇を生み出したことを明らかにしました。
つまり中世キリスト教社会は選民思想が変質し、極端な人種差別・白人至上主義に陥り、白人キリスト教徒だけが神の子・人間であり、有色人異教徒は彼らとは同じ人間ではないと考えるようになりました。

そんな人種差別思想を抱いていた欧米の白人キリスト教国家は、世界中にキリスト教を布教するという名目で法王からお墨付きをいただき、大航海時代を通して、宣教師を先頭に立てては未開の地を開拓しました。
その結果アフリカ大陸では黒人を奴隷として売買し、南北アメリカ大陸ではインディオたちを大量虐殺しては金・銀鉱物資源等を略奪し、アジアでは現地人を家畜のように扱い、苦役を強いては生産物を搾取するという植民地支配を行い、ヨーロッパ、アフリカ、そして南北アメリカを繋ぐ三角貿易と、アジアからの収奪物によって、植民地の犠牲の上に、自分たち白人キリスト教徒のみの繁栄の時代を築いたのです。

しかしこの時代、無敵の白人キリスト教国家にも、支配できなかった例外的な国も存在しました。
無敵艦隊を擁し、世界最強の軍事力をもって世界を侵略したスペインに対して、強大な軍事力をもって侵略を断念させた国家こそが日本だったのです。

当時戦乱に明け暮れていた日本は、西洋からもたらされた火縄銃の自国での製造に成功し、さらに改良を加えることで性能を向上させ、大量生産することで世界最強の軍事力を持つようになっていました。
その世界最強の軍事力をもって豊臣秀吉は、1592年と1597年、明を征服しようと朝鮮半島まで侵攻しましたが、秀吉の死によって大陸からは撤退することとなりました。
秀吉軍の強さは携帯していた武器、すなわち強靭な日本刀と日本式の火縄銃の破壊力、そして訓練され統率の取れた兵力と、卓越した戦術にあり、明軍も秀吉軍の前にはなす術もなかった様子が、明の歴史書にも残されるほどでした。
その時もし秀吉が急死することが無かったら、秀吉軍は明をも征服していたであろうと言われるほどに、日本は世界でも最も強い軍事力を持っていたのです。

それほどまでに凄まじい日本軍の強さを知ったスペインは、日本に戦争を仕掛けるどころか逆に秀吉によって脅しをかけられ、慌てふためきながらその対策を真剣に講じた様子が記録にも残されています。

日本に初めてキリスト教がもたらされたのは、1549年イエズス会のポルトガル人宣教師、フランシスコ・ザビエルによってでした。
スペイン人が最初に日本に現れたのは1584年でした。
スペイン人はマニラを拠点とした対日貿易を始めるとともに、日本侵略のための足掛かりを作ろうと宣教師によるカトリックの布教活動を活発化させました。
しかし日本に入ったキリスト教は、各地で神社仏閣を破壊し、日本人を奴隷として海外に売りさばいたりもしたため秀吉の怒りを買い、秀吉は1587年にバテレン追放令を発し、キリスト教の弾圧を行いました。
日本に入ったキリスト教は、わずか40年のうちに約20万人から30万の信者数に達したといいます。

秀吉の死後1603年に天下を取った徳川家康も、1612年にキリシタンの禁制を発令することで、キリスト教を日本から完全に締め出すことにしました。
同時に家康は、1641年から鎖国政策を取ることで軍縮を行い、日本は200年余りの平和な時代を迎えることとなりました。
この200年余りの期間、戦争の絶えなかった欧米では、産業革命もあって兵器も近代化がなされ、軍事力においても軍縮を行った日本との間で大きな差がついてしまいました。

約200年の後、鎖国によって欧米諸国の近代化から取り残されてしまった日本は、武力を背景に開国を迫ってきた欧米列強に対してなす術もなく、1854年に日米和親条約を結ぶことを皮切りに、欧米諸国との間で一方的な不平等条約を呑まされることになりました。
その結果日本は長い間植民地のような屈辱を受けることとなり、日本に来た欧米人は、どんなに卑劣な犯罪を犯しても領事裁判権によって守られ、日本では裁くこともできないばかりか、慰謝料や損害賠償を要求される始末でした。
また日本の金銀も、不当な金銀比率によって吸い取られ、日本は急速に貧困に喘ぐようになりました。

それでも明治維新以降、最新の欧米文化を学ぶとともに、富国強兵に努めることで国力を増強した日本は、当時の最も脅威となっていたロシアの南下政策に対しては真っ向から立ち向かい、1904年に起こった日露戦争では、誰もが予想だにしなかった大勝利を収めることで、有色人として初めて白人に勝利し、ロシアの脅威からアジアを守り抜くことに成功したのです。

しかし当時のロシアは、世界でも最も強大な軍事力を誇っていたため、日露戦争における日本の勝利は、白人支配の世界が崩壊する危機感を白人社会に与えてしまう結果ともなり、黄色人種が白色人種を凌駕するという黄禍論が、本格的に欧米社会に広まるきっかけにもなりました。

一方日露戦争の勝利によって日本は、民族主義者たちの希望の地となり、アジア各国から多くの留学生が集まるようになり、後のアジア各国の独立運動指導者を数多く輩出することにも繋がり、アジアの盟主としての歩みを始めたのです。

日本はまた、キリスト教の失敗によって生まれた、白人至上主義的人種差別政策に対しても敢然と立ち向かいました。
1919年に開かれた第一次世界大戦後の世界秩序を決めるパリ講和会議では、史上初めて「人種平等法案」を提出し、16票中11票が賛成という絶対多数の賛成票を獲得することに成功しました。
しかしこの時の「人種平等法案」は全会一致での賛成票が得られなかったとして、国際金融資本勢力の代理人であり、人種差別主義者であった議長、ウィルソン・アメリカ大統領の独断によって、一方的に否決されてしまったのです。

こうして日本は人種差別に反対し、アジア諸国をはじめとして、世界中の有色人に、自分たちと同じような小さな体の有色人であったとしても、白人にも勝てるのだという希望を与え、第二次世界大戦後のアジア・アフリカの独立にも大きな影響を与える国となったのでした。

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