★『インディアスの破壊についての簡潔な報告』(1552年スペイン ラス・カサス著)
・インディオという人びと
「大勢のスペイン人がインディアスに渡ってから本年(1542年)で49年になる。彼らが植民するために最初に侵入したのはエスパニョーラ島(現在のハイチ、ドミニカ)であった。
神はその地方一帯に住む無数の人びとをことごとく素朴で、悪意のない、また、陰ひなたのない人間として創られた。彼らは土地の領主たちに対しても実に恭順で忠実である。彼らは世界でもっとも謙虚で辛抱強く、また、温厚で口数の少ない人たちで、諍いや騒動を起こすこともなく、喧嘩や争いもしない。そればかりか、彼らは怨みや憎しみや復讐心すら抱かない。この人たちは体格的には細くて華奢でひ弱く、そのため、ほかの人びとと比べると、余り仕事に耐えられず、軽い病気にでも罹ると、たちまち死んでしまうほどである。インディオたちは財産を所有しておらず、また、所有しようとも思っていない。したがって、彼らが贅沢になったり、野心や欲望を抱いたりすることは決してない。」<同書 p.17-18>
・スペイン人の破壊行為
「この40年の間、スペイン人たちはかつて人が見たことも読んだことも聞いたこともない種々様々な新しい残虐きわまりない手口を用いて、ひたすらインディオたちを斬り刻み、殺害し、苦しめ、拷問し、破滅へと追いやっている。例えば、われわれがはじめてエスパニョーラ島に上陸した時、島には約300万人のインディオが暮らしていたが、今では僅か200人ぐらいしか生き残っていないのである。この40年間にキリスト教徒たちの暴虐的で極悪無慙な所行のために男女、子供合わせて1200万人以上の人が残虐非道にも殺されたのはまったく確かなことである。それどころか、私は、1500万人以上のインディオが犠牲になったと言っても、真実間違いではないと思う。」<同書 p.19-21>
・エスパニョーラ島にて
「彼らは、誰が一太刀で真二つに斬れるかとか、誰が一撃のもとに首を斬り落とせるかとか、内臓を破裂させることができるかとか言って賭をした。彼らは母親から乳飲み子を奪い、その子の足をつかんで岩に頭を叩きつけたりした。また、ある者たちは冷酷な笑みを浮かべて、幼子を背後から川へ突き落とし、水中に落ちる音を聞いて、「さあ、泳いでみな」と叫んだ。彼らはまたそのほかの幼子を母親もろとも突き殺したりした。こうして彼らはその場に居合わせた人たち全員にそのような酷い仕打ちを加えた。さらに、彼らは漸く足が地につくぐらいの大きな絞首台を作り、こともあろうに、われらが救世主と12人の使徒を称え崇めるためだと言って、13人ずつその絞首台に吊し、その下に薪をおいて火をつけた。こうして、彼らはインディオたちを生きたまま火あぶりにした。
私はこれまで述べたことをことごとく、また、そのほか数えきれないほど多くの出来事をつぶさに目撃した。キリスト教徒たちはまるで猛り狂った獣と変わらず、人類を破滅へと追いやる人々であり、人類最大の敵であった。逃げのびたインディオたちはみな山に籠もったり、山の奥深くへ逃げ込んだりして、身を守った。すると、キリスト教徒たちは彼らを狩り出すために猟犬を獰猛な犬に仕込んだ。犬はインディオをひとりでも見つけると、瞬く間に彼を八つ裂きにした。
インディオたちが数人のキリスト教徒を殺害するのは実に希有なことであったが、それは正当な理由と正義にもとづく行為であった。しかし、キリスト教徒たちは、それを口実にして、インディオがひとりのキリスト教徒を殺せば、その仕返しに100人のインディオを殺すべしという掟を定めた。」<同書 p.26-28>
・レケリミエント(催告)の欺瞞
「彼らはインディオたちに対して、キリストの信仰を受け容れ、カスティーリャの国王に臣従するよう、もしそうしなければ、彼らに情容赦なく戦いをしかけ、彼らを殺したり捕らえたりすることになろう云々、という催告(レケリミエント)を行った。人間ひとりびとりの身代わりとなってみずから犠牲になられた神の子イエスは「全世界に行って、すべての人々に福音をのべ伝えよ」(マルコによる福音書16・15)と語られた。スペイン人たちは、その御詞は自分たちの土地で平和に穏やかに暮らしている異教徒たちに対して今述べたその催告を行なうよう掟として命じられたものであると解釈した。
彼は金を持っている村の情報を入手してその村を襲撃し、金を強奪しに行くことになった時、盗賊と変わらない部下たちを先に派遣し、彼らにその催告を行うように命じた。彼らは、自分たちだけしかいないところで、その催告を触れ回った。
スペイン人たちは村へ侵入し、大半が藁造りのインディオたちの家に火を放った。インディオたちが気付いた時は既に手遅れで、女、子供、そのほか大勢のインディオが生きたまま焼き殺された。」<同書 p.46-49>
・征服者は「人類最大の敵」
「1518年4月18日にヌエバ=エスパーニャに侵入してから1530年にいたる12年の間ずっと、スペイン人たちはメキシコの町とその周縁部で、つまり、豊饒な王国が4つも5つもあった領土で血なまぐさい残忍な手と剣とでたえず殺戮と破壊を行った。結局彼らは400万以上の人々を虐殺し、征服(コンキスタ)を行いつづけた。征服(コンキスタ)とは残忍な無法者たちが行う暴力による侵略のことであり、それは神の法のみならず、あらゆる人定の法にも背馳したひどい行為である。しかも、その400万の中には、既述したような奴隷状態の中で日々迫害や圧政を加えられた結果、死んでしまったインディオや、今なおそのような状態の中で殺されているインディオの数は含まれていないのである。」<同書 p.60-61>
・食人を強制する
「村や地方へ戦いをしかけに行くとき、すでにスペイン人たちに降服していたインディオたちをできるだけ大勢連れて行き、彼らを他のインディオたちと戦わせた。だいたい1万人か2万人のインディオを連れて行ったが、彼らには食事を与えなかった。その代わりそのインディオたちに、捕らえたインディオたちを食べるのを許していた。陣営の中には人肉を売る店が現われ、そこでは子供が殺され、焼かれ、また、男が手足を切断されて殺された。人体の中でもっとも美味とされるのが手足であったからである。<同書 p.81>
コロンブスが中南米に達した1492年頃、それらの地方にどれだけの先住民族が住んでいたのかについては諸説あります。もっとも低く見積もっても4千万人、もっとも多い推計は1億1千万人です。
ところがインカ帝国が滅亡した1570年頃の人口は、およそ1千万人とされています。つまり最低でも3千万人、最大推計で1億人の先住民族がヨーロッパの征服者の犠牲になったと考えられます。
もちろん、伝染病による死もかなりの割合を占めています。しかし、それとて鉱山や農園で奴隷として過酷な労働を強いられたことで体力を奪われた結果です。
男は金の採掘、女は畑仕事で酷使され、食物は雑草のような粗末なものしか与えられませんでした。荷物の運搬にも先住民たちが牛馬のように使われました。重い荷物を背負わされたまま100キロもの距離を歩かされ、休むと鞭や棒で打たれ、家畜同様に扱われていたとカサスは記しています。
コロンブスも綴っています。
「エスパニョーラのインディアスこそ富そのものである。なぜなら彼らは地を堀り、われらキリスト教徒のパンやその他の糧食をつくり、鉱山から黄金を取り出し、人間と荷役動物の労役のすべてをするのが彼らだからだ」
16世紀のスペインの人口は500万、ポルトガルは100万人ほどに過ぎない小さな国でした。その小さな国の征服軍に対して非白人は防衛という観念さえなかったため、たやすく侵略を許し、数世紀にわたって辛酸を舐めることになったのです。
・「先占の権限」
「先占の権限」とは、「ある程度の社会的・政治的組織を具えた先住民が居住していても、いまだ西欧文明に類する段階(文明国)に達していない地域」と見なすと、その地域を無主地(主のいない土地)として、占有することが認められるという理論です。
当時のヨーロッパの白人は、西欧文明こそが世界でもっとも優秀だと信じていました。それゆえに西欧文明以外の北米・中南米・アジア・アフリカに人が住んでいても文明度が低いゆえにそれを認めず、先占の権限というルールを勝手に作ることでヨーロッパの白人が自由に占有してもよいと宣言したのです。まさに「白人でなければ人間にあらず」といった究極の白人至上主義が、先占の権限に表れています。
有色人種の住む島を侵略する際の表向きの大義名分は、キリスト教の布教活動です。原始キリスト教では異教徒を悪魔同然とみなします。インカ帝国をはじめとして略奪と殺戮に宣教師が積極的に加担している例は、数え切れないほどあります。
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