★1492年、コロンブスの新大陸発見
コロンブスたちを乗せた船が座礁して浜に打ち上げられると、島の先住民たちは支援と看護を行い、厚くもてなしました。島にはタイノ族と呼ばれる民族が農耕と交易を行いながら、平和に暮らしていました。
心地よい歓迎を受けたことに感動したコロンブスは、手記にこう記しています。
「さほど欲もなく…こちらのことにはなんにでも合わせてくれる愛すべき人々だ。これほどすばらしい土地も人もほかにない。隣人も自分のことと同じように愛し、言葉も世界でもっとも甘く、やさしく、いつも笑顔を絶やさない」
(「人種差別から読み解く大東亜戦争」岩田温著、彩図社)
しかしコロンブルを喜ばせたのは、善良な人々に出会えたこと以上に、島に黄金があったことでした。
座礁して危ないところを助けてもらった恩義に対して、コロンブスはいったんスペインに帰ってから軍隊を引き連れて戻り、彼が「愛すべき人々」と呼んだタイノ族の人々を奴隷化することで応えました。
逆らう者は容赦なく殺され、金鉱の採掘のためにタイノ族の人々は奴隷として強制労働を強いられました。
やがて島全体に伝染病と飢餓が広がりました。天然痘やチフスなどの伝染病が白人たちによってもたらされたのです。
また、食糧の供出を命じられ、飢餓の発生も広範囲に及んでいます。
堪りかねたタイノ族の人々が抵抗しようとすると、コロンブスは軍隊を差し向け殺戮とともに帰順させました。
多くのタイノ族がスペイン兵の手にかかって殺され、伝染病と飢餓で死亡し、生き残った者たちには過酷な強制労働と抑圧が続きました。
あまりの暴虐に耐えきれず、タイノ族のなかには服従よりも死を選ぶ者が多数いました。
あるスペイン兵は綴っています。
「我々の目の前には木で首を吊った人々が並んでいた。彼らは悲惨な状態で子供を残すよりも殺すほうがましだと言って、子供を殺してから自殺していた。ある人たちは高い断崖から身を投げた。ある人たちは海に身を投げた。ある人たちは刃物で自らを刺して死んだ」
穏和な気候に恵まれ、家族とともに幸せに暮らしていたタイノ族の人々の暮らしは、コロンブスたち征服者の出現によって、地獄と化しました。
ちなみに冒険家と称されるコロンブスの本当の職業は奴隷商人です。航海の先々で上陸した土地で略奪を行うとともに先住民の多くを虐殺し、奴隷として持ち帰り、私腹を肥やしました。それでもヨーロッパから見れば、これも英雄的な行為として讃えられています。
コロンブス以来、白人が有色人種を侵略するのは文明化という善行であり、劣っている有色人種がたとえ自衛のためであろうとも白人に逆らって攻撃することは犯罪とみなされました。
★中南米における征服
・インカ帝国
インカ帝国は最盛期には、80の民族と1,600万人の人口をかかえ、現在のチリ北部から中部、アルゼンチン北西部、コロンビア南部にまで広がっていましたが、スペイン人のピサロに滅ぼされるまで約200年間続きました。
インカ帝国はまず、スペイン人がもたらした天然痘によって、わずか数年間で人口の60%から94%が死に至りました。
その後わずか168名の兵士のピサロ隊によって1533年に滅ぼされました。
・アステカ文明
アステカは、1428年頃から1521年までの約95年間北米のメキシコ中央部に栄えたメソアメリカ文明の国家。
アステカは、コルテスによって首都テノチティトランが攻略され、1521年に滅亡しました。
・マヤ文明
中央アメリカでは、アルバラードがグアテマラのマヤ系諸王国(マヤ文明)の征服を開始し、1525年現エルサルバドルに相当する地域を征服し、1527年にコントレーラスによってニカラグアは征服されました。
中央アメリカの征服後、1697年にマヤ文明の全域がスペインに併合されました。
中南米地域においても土地を征服する過程で、そして征服した後も、スペインやポルトガルの兵は先住民族を情け容赦なく殺しています。
スペイン軍による残虐な行為を、征服者から回心して聖職者となったラス・カサスという一人の司祭が克明に書き留めた手記「インディアスの破壊についての簡潔な報告」が現在でも残っています。
具体的にどんな行為が行われていたのかをしばし見て行きたいと思います。
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