・秀吉の野望
秀吉は日本全国を平定したあと朝鮮に二度出兵しました。朝鮮出兵は明国を征服するために行われたものです。
秀吉にはアジアを支配下におくという野望がありました。そのために邪魔なのは、すでにアジアを侵略して植民地化しているポルトガルやスペインの存在でした。
1592年、秀吉はスペイン支配下にあるマニラのフィリピン総督に対し、秀吉に服従しフィリピンを明け渡せという書簡を送りつけました。当時の力関係から見て、秀吉がフィリピンに出兵したらスペインは駆逐され、日本の支配下に入っただろうと後世の歴史家は口を揃えています。
1593年には、さらに過激な書簡をフィリピン総督に送り、今度はスペイン国王にまで脅しをかけています。スペインは当時の覇権国であり、世界一の強国です。後世から振り返ると、当時の日本の軍事力はスペインを十分に上回っていました。
秀吉の度重なる脅しに対してマニラは震え上がり、スペインは日本の侵攻に備えて戦々恐々としました。
アジアのほとんどを手中に収めた西欧列強は、日本征服も当然のごとく狙っていました。ところが、朝鮮出兵で見せた日本の軍事力の凄まじさに、逆に震え上がることになりました。軍事的に日本を征服しようと企む国は、もはや地上から消えたのです。
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