◆神様の摂理から見た南北統一
ここまで神の選民、第二イスラエルとして立てられたキリスト教徒の歴史についての概観を見てきました。
彼らも第一イスラエル、ユダヤ民族と比べても、勝るとも劣らないほどの罪の歴史を綴ってきていることが分かることと思います。
と言うか、今回は敢えてキリスト教徒の罪にフォーカスを当てて、彼らは人類歴史において、具体的にいかなる極悪非道なことを行ってきたのかについてまとめてみました。
何故ユダヤ人は、そしてキリスト教徒たちはこれほどまでに残忍になれたのかということを分析すると、自分たちは選民であると同時に、ユダヤ人以外、またはキリスト教徒以外の異教徒たちは非選民であるため、神に選ばれた選民は、非選民のものを奪っても、虐げても、虐殺しても許されるんだ、むしろそれが神の御意なんだと自分たちの行為を正当化できたからに他ならないのです。つまり彼らが絶対的真理と信じる信仰を根拠として、神の啓示の書である聖書を根拠として、残虐な行為を正当化してきたと言って間違いありません。
しかしより詳細に分析すると、彼らキリスト教徒もユダヤ人同様神の摂理に失敗し、アベルとカインに分立され、カインはサタンの蹂躙を受けサタンの先兵となり、アベルが行く道を積極的に妨害してきたという事実がわかります。
つまりキリスト教も摂理に失敗してしまっていたのです。
しかし失敗したキリスト教を立ててでも、神は何とか摂理を進展させようと必死の努力を積み重ね、その結果真のお父様、文鮮明先生をこの地上にお迎えすることができたのです。
ここからはキリスト教を中心とした神の摂理が、いつどこで始まって、次にどこに移り、最終的に何処に行きついて結実しようとしたのかについて、真のお父様のみ言葉「神様の摂理から見た南北統一」から見て行きたいと思います。
・イスラエル民族がイエス様を迎えていたならば
「イエス様当時の東洋には仏教を中心としたインド文明圏があり、中国には儒教を基盤とした中華文化圏がありました。この時、イエス様がユダヤ教を一つに統一したなら、仏教文化圏と儒教文化圏へと行ったはずです。もしイエス様をイスラエルで歓迎していたなら、イエス様の思想がたやすく中東地域とインド地域を経て極東にまで伝播し、一方で、ローマ帝国と全ヨーロッパを掌握してイエス様の当代に一つの世界を成し遂げたはずです。」
・イタリア半島に移された神様の祝福
「ユダヤ教が神様の摂理を無視し、イエス様を不信したので、ユダヤ民族は歴史上例のない、2000年間血を流す民族となったのです。そしてまた、キリスト教は400年間ローマの迫害を受けながら犠牲の代価を支払う蕩減歴史を通して、ローマ帝国を中心としたキリスト教文化圏を形成せざるを得なかったのです。
このようになって、イスラエルに下された神様の祝福はイタリア半島に移されていったのです。」
「イエス様が死ぬことによってイエス様の心と体が分かれました。それ以後の文化圏も肉身の文化圏である人本主義のヘレニズムと、心の文化圏である神本主義のヘブライズムとして分立されたのです。イエス様の肉身をサタンが取るようになり、文化の発展が逆さまに出発するようになることによって、当時イエス様の体のような役割を果たしていたローマがまずヘレニズムを受け入れて、サタン主管圏に立つようになったのです。ですから、キリスト教はローマから400年間迫害を受けるようになります。400年間イタリア半島を中心としてキリスト教文化圏を形成して、ここから世界をまとめる道を築くというのが神様のみ旨でした。」
「神様は当初、ローマで400年間の迫害と殉教の血を流す代価を支払わせ、苦難を克服してローマ人たちに感化と感動を与えた基盤の上に初めて、キリスト教が国教として公認されるようにしました。
ところが、キリスト教が公認されて以後、キリスト教の封建社会が来るようになるのですが、その当時教区長たちは、教派主義と教権主義にとどまって民族と国家さえも超越できませんでした。
その時の教皇庁は神様のみ旨に背き、教皇庁を中心としてさまざまな国家を動かしてその下に隷属させる機関としながら、権威だけを主張したではありませんか。
ローマ教皇庁が腐敗することによって、世界をキリスト教文化圏にまとめることができなかったのです。」
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