・日本の軍縮と鎖国政策
1639年にポルトガル船の来航を禁止することで徳川幕府は鎖国政策に入りました。
スペインとポルトガルはこれに逆らえず、イギリスも立ち去ったため、残ったのはキリスト教の布教にこだわらず、貿易だけを希望するオランダだけでした。オランダも長崎の出島だけに封じ込められました。オランダ商館長は、将軍への服属を誓う儀式である江戸への参勤も命じられこれに従います。
ジャワを侵略して植民地とし、スペインに代わって大航海時代の覇権国となったオランダですが、この屈辱を甘んじて受け入れたのです。
日本が鎖国に踏み切り、200年以上にわたる平和を維持できたのは、日本が傑出した軍事力と政治力を持っていたからです。圧倒的な軍事力を備えていたがゆえに、アジアを侵略したスペインもポルトガルもオランダもイギリスも、日本の鎖国に逆らうことができなかったのです。
当時の日本は、世界一の軍事力を持ちながらも、西欧列強のようにアジアに侵略の手を伸ばし、植民地化する道を選びませんでした。鎖国によって国を閉じることで、他国からの侵入も許さなければ、他国を侵略することもありませんでした。江戸時代の平和な時代に、当時最先端の武器であった鉄砲の生産を徐々に規制し、その流通量を減らし、自ら軍縮を為したのです。
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