・日独防共協定
日独防共協定は1936年11月に日本とドイツの間で調印された協定です。「共産インターナショナルに対する日独協定」が正式名です。防共協定の目的は共産主義の破壊活動に対する防衛にあります。そのための情報交換を行い、必要な防衛措置について協議することが協定の骨子でした。
日本とドイツの反共政策が、たまたま一致したことで協定が成立したに過ぎません。日本としてはイギリスをはじめ各国に防共協定への参加を呼びかけましたが、応えてくれたのがドイツだけだったのです。
しかし、アメリカとイギリスは防共協定を反米・反英の軍事協定と曲解し、日本に対する疑念を募らせました。
日本はドイツに対し、日中戦争は防共のための戦いであることを説明し、ドイツによる蒋介石政権への支援を中止するように訴えています。ドイツは中国で産出されるタングステンを必要としていたため、日本側の度重なる要請を拒否しました。防共協定を交わしていたドイツでさえ、防共の戦いという日本の掲げた大義については理解を示しませんでした。
かくしてドイツも、欧米列強もソ連もこぞって蒋介石政権の支援に回ったのです。日本は孤立無援のまま、共産主義との孤独な戦いを続けるよりありませんでした。
・全世界のカトリック教徒よ、日本軍に協力せよ!
盧溝橋事件が起きた1937年の10月、ローマ法王ピウス11世は日中戦争について次のような声明を出しました。
「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」
欧米からは一方的な侵略として非難されていた日本にとって、その欧米の人々の精神的な支柱であるローマ法王自らが「日本は侵略したのではない、中国を救うために防共の戦いをしているのだ」と、防共のために孤独な戦いを続けている日本の行動に対して賛意を表明してくれたのです。
◆ドイツはなぜソ連に侵攻したのか
もともとソ連撃滅はヒトラーの悲願でした。ヒトラーが共産主義を毛嫌いしていたことは、彼の多くの言動から明らかです。
ヒトラーは第二次欧州大戦前からソ連とフランスを敵とし、イギリスとイタリアと提携することで両国を撃破する構想をもっていました。フランスを降伏に追い込んだ後はドイツによる欧州大陸の支配をイギリスに認めさせ、ソ連を打倒するために東方侵攻を行う予定でいたのです。ところがチャーチルが講和に応じることなくドイツとの徹底抗戦を選んだため、本格的な対英戦に突入しました。
イギリスがドイツに対して抵抗を続けるのは、ソ連という大国の存在とアメリカによる支援に希望を繋いでいるからだとヒトラーは考えました。ソ連を倒してしまえばイギリスの継戦意志を打ち砕き、対英戦に勝利できる、しかもソ連が消えることで日本は自由に南方進出を果たせるようになる、そのことはイギリスの滅亡を招く、そのような状況になってはアメリカがイギリス側に立って参戦することもできなくなる、それがヒトラーの読みでした。つまりヒトラーにとってソ連侵攻は、対英戦に勝利するための手段だったということです。
イギリスに講和を拒否された直後の7月31日、ヒトラーはベルヒテスガルテン山荘で次のように述べています。
「イギリスの希望はロシアとアメリカである。ロシアにかけた希望が消えるなら、アメリカ[への望み]も消えてしまう。何となれば、ロシアの消滅は東アジアにおける日本の価値を恐ろしく増大させることになるからである。ロシアは、イギリス、アメリカ両国が東アジアで日本に向けてふりかざす剣である。……ロシアは、イギリスが主に頼りにしている要素である。……ロシアを打倒するならば、イギリスの最後の希望は消えるのである。……ロシアを清算せねばならない。」
(『ナチス・ドキュメント―1933-1945』ワルター・ホーファー著)
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