・日露戦争が世界を変えた
日露戦争の勝利は世界を変えました。日本海海戦の勝利は単に日本がロシアに勝ったというだけではなく、コロンブスによる新大陸の発見以来、4世紀に及ぶ有色人種が白人に隷従するという時代に確実に終止符を打ったのです。
白人の支配に苦しめられていた世界各地の有色人種の人々は、日本がロシアを打ち破ったことを我がことのように喜び、自分たちも白人に勝てるかもしれないという思いを新たにしたのです。
欧米の白人のものだった世界、白人のものだった歴史を、アジア・アフリカをはじめとする虐げられてきた有色人種の手に戻したことにおいて、日露戦争ほど世界に大きな影響をもたらした戦争はなかったといえるでしょう。
「あの海域で、アジアの一小国が、地上最大のヨーロッパの帝国を、わずか一時間たらずでうち負かしたあの勝利は、アジア人とヨーロッパ人には質的な開きがあるという長いあいだの神話を、永久に破壊してしまった。」(アメリカのジャーナリスト、ノエル・F・ブッシュ)
「アジアもアフリカも歓喜と希望に胸をときめかせた。なによりも、不敗の白人の神話は、落ちた偶像となって泥にまみれた」(『国家と人種偏見』ポール・ゴードン ローレン著)
「日本がロシアに勝ってからは、アジア全体の民族は、欧州を打ち破ろうと盛んに独立運動を起こしました。エジプト、ペルシャ、トルコ、アフガニスタン、アラビア、インド等が相次いで独立運動を起こしました。即ち日本が露国に勝った結果、アジア民族が独立に対する大いなる希望を抱くに至ったのであります」(孫文講演「大アジア主義」1924年)
・黄禍論と日本人差別
日露戦争は、これまで虐げられていたアジアやアフリカの有色人種やアメリカの黒人に大きな希望を与えました。
しかし裏を返せば、これまで有色人種を迫害し奴隷化し、搾取を続けてきた白人にとっては歓迎できないことでした。
その結果日露戦争を境に、日本を脅威とする黄禍論が英米を中心に白人の間で唱えられるようになったのです。
「黄禍論」とは黄色人種が勢力を強くすることで、やがて白色人種に災禍を与えるとする論です。
吹き荒れる黄禍論は、やがて日本人差別をもたらしました。人種差別という暴力に日本人は振り回されることになるのです。
日露戦争を戦う上で日本は多額の戦費を必要としましたが、日本の外債を引き受けてくれたのがイギリスの銀行団とアメリカのユダヤ人銀行家ジェイコブ・シフとその人脈です。彼らユダヤ系金融資本家たちにとっては、最大の敵ロシアを倒すためには、日本を支援しロシアの南下を抑えることも、重要な戦略の一つでした。そのため日露戦争の開戦初期においては、彼らが支配する英米のマスメディアを使って日本を支援しました。
イギリスのインド、アメリカのフィリピン、オランダの東インド、フランスのインドシナなど、何百万人ものアジア人を前に植民地統治を可能にしているのは、ひとえに白人の威信であったため、日露戦争の日本勝利の知らせは、彼ら白人支配の終焉を告げるものとなり、欧米列強の植民地支配に深刻な打撃を与えることを彼らは恐れ始めました。
英米ともに当初は日露戦争での日本の勝利を願っていたはずです。しかし、英米の白人たちは、日露戦争に人種戦争の影を見ました。有色人種である日本人が完璧とも言えるほど圧倒的に、白人であるロシア人を打ち破ったことは、決して喜ばしいことではありませんでした。
当時の様子をリアルに伝えた孫文の講演会から引用いたします。
「私がヨーロッパにいた時に日露戦争がはじまり、ロシアがウラジオストックに派遣した艦隊が、日本海で全滅させられたことをききました。このニュースが伝わると全ヨーロッパの人民は、父母を失ったように悲しみました。イギリスは日本の同盟国でしたが、イギリス人のほとんどが眉をひそめ、日本がこのような大勝利をおさめたことは、結局白人の幸福でないと考えたのであります。」(「世界から見た大東亜戦争」名越二荒之助著)
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