日韓併合への道

・日韓併合への道

日露関係が悪化するなか、1904年に朝鮮は突然、中立声明を欧米列強に向けて宣言しました。朝鮮が中立を貫くとなれば、日本軍が朝鮮内を通って満州へ出ることができなくなります。そうなると日本は満州に出てロシア軍と戦うことができなくなるため、ロシアの朝鮮侵略を防ぐことができません。
朝鮮の宮廷内には親露派と親日派の対立があり、朝鮮政府が密かにロシアと通じ、中立宣言を出した大臣自身が、ロシア軍の出動を旅順に要請していたのです。
このような経緯もあり日露戦争の最中の1904年、日本は朝鮮との間に、朝鮮の危機に際して日本は軍事上必要な地点を収用できるとする日韓議定書を交わします。

日本が日清・日露と国家の存亡をかけた二つの大戦を行わなければいけなかったのも、朝鮮半島を守るためでした。日露戦争では日本が勝利しましたが、朝鮮には自立能力はなく、放置しておけば朝鮮半島が再び紛争の種になることは誰の目にも明らかでした。
イギリスはインド、アメリカはフィリピンという植民地を守るために、ロシアが再び南下して朝鮮侵略に乗り出すことを恐れていました。朝鮮半島は日本にとってもイギリス・アメリカにとっても戦略上重要な位置にあったため、朝鮮半島の安定化を望んでいたのです。
ポーツマス会議を終えたルーズヴェルトは「将来の禍根を絶滅させるには保護化あるのみ。それが韓国の安寧と東洋平和のため最良の策なるべし」と述べ、イギリスのランズダウン外相も「日韓併合はわれわれも強く祈り求めるところである」と述べています。

1909年ハルビン駅で、朝鮮人・安重根によって韓国統監を辞したばかりの伊藤博文が暗殺されました。
伊藤は反併合派のリーダー格的存在だったため、暗殺事件以降日韓併合派が発言力を強め、韓国側からも日韓併合を望む声が起こり、1910年に日韓併合があっという間に実現します。日韓併合の手続きについては国際的に見てもまったく非の打ち所はないものでした。
イギリスやアメリカの新聞も、東アジアの安定のために日韓併合を支持するとの論調で埋まりました。
当時はイギリス・アメリカを支配するユダヤ系金融資本家たちにとっても、ロシアが最大の敵だったため、ロシアに対抗する勢力としての日本を支援していたのです。

・日本の朝鮮統治

フーバーは、朝鮮半島の問題に関して次のような正しい認識を持っていました。
「日本の支配による35年間で、朝鮮の生活は革命的に改善した。日本はまず最も重要な、秩序を持ち込んだ。港湾施設、鉄道、通信施設、公共施設、そして民家も改良された。衛生状況もよくなり、農業もよりよい耕作方法が導入された。北部朝鮮には大型の肥料工場が建設され、その結果、人々の食糧事情はそれなりのレベルに到達した。日本は、禿げ山に植林した。教育を一般に広げ、国民の技能を上げた。汚れた衣服はしだいに明るい色の清潔なものに替わっていった。朝鮮人は、日本人に比較すれば、管理能力や経営の能力は劣っていた。このことが理由か、あるいはもっと別な理由があったのか確かではないが、経済や政治の上級ポストは日本人が占めた。1948年、ようやく自治政府ができた。しかし朝鮮人はその準備がほとんどできていなかった」(『裏切られた自由』フーバー著)

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