神の祝福はイギリスを経てアメリカへ

・神の祝福はイギリスを経てアメリカへ

ピューリタンの一団からなるピルグリム・ファーザーズがメイフラワー号に乗ってプリマスに上陸したのは、1620年11月のことでした。
アメリカに渡ったピューリタンにもやはり2対10の法則が働き、少数のアベル勢力と大多数のカイン勢力とが存在していたと考えられます。彼らは自分たちを神の選民と捉えるほどに信仰的でしたが、同時にその信仰は独善的な一面も持ち合わせていました。北米大陸における大多数のカイン勢力は、イギリスの植民地として、ネイティブアメリカンの土地を奪い、大量虐殺を繰り返し、彼らの資源を奪っていきました。マニフェスト・デスティニー(明白な天命)を掲げ、自分たちの残虐行為を正当化しながら西部開拓を行っていったのです。

そのマニフェスト・デスティニー精神は、1776年にアメリカがイギリスから独立した後も続きます。
西部開拓が終了し西海岸に到達した後には、そのまま太平洋に乗り出し、1853年には日本に黒船で来航し、開国を迫っています。1898年にはハワイを併合し、フィリピンを植民地化しました。

イギリスのユダヤ人金融勢力は、アメリカでも同じような支配をしようと、1791年に20年という期限付きで合衆国第一銀行という中央銀行を設立させました。20年後合衆国第一銀行の免許は一旦は切れましたが、翌年1812年には英米戦争が起こり、1816年には合衆国第二銀行という二回目の中央銀行が設立されました。ちなみにこの前年1815年のワーテルローの戦いで、ロスチャイルド家はヨーロッパ全土を支配できるくらいの巨万の富を築いていました。合衆国第二銀行の20年の期限が切れた時には、ジャクソン大統領の反対で中央銀行の免許は更新されず、1836年に中央銀行は一旦は消滅しました。

1861~65年のアメリカの南北戦争をはじめとして、アメリカではその後も、ユダヤ人金融勢力によるカイン型ヘレニズムと、アメリカのアベル型ヘブライズムとの間での主導権争いが続きます。
そんな中1890年代に入ると、ロックフェラー家が石油利権を独占するようになり、アメリカにおける金融支配を始めます。
そして1912年にウッドロー・ウィルソンが大統領に当選すると翌年1913年には、ユダヤ系の銀行家たちが中心となってFRB(米連邦準備制度理事会)が設立されました。この時にはイギリスロスチャイルド家主導からアメリカロックフェラー家主導の金融体制になったと言われています。
この1913年のFRB設立が、アメリカにおけるアメリカ型のカイン型ヘレニズムの完成、ディープステートの出発ともいえる出来事でした。このころからアメリカは急速にサタンの先鋒としての役割を果たすようになっていったのです。

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