・邪悪な日本のイメージとアメリカの戦争犯罪
日本には大義があったとは言っても、大東亜戦争に対してなんの反省もなく、手放しで賞賛し、正当化することはできません。大東亜戦争では多くの人命が失われ、アジア解放の美名のもとに数々の蛮行が為され、数え切れないほどの悲劇が生まれたのも事実です。皇軍の兵士と言っても、すべてが人格者の集まりだったということではありません。
特に戦時中という極限状況にあっては、どんな蛮行も許されるような心理状態にありましたから、人としてとうてい許されないような蛮行に走った兵士も数多くいたでしょうし、そのために犠牲となったアジアの人々も数えきれないほどいただろうことは想像に難くありません。そのことに関しては私たちも日本人として真摯に向き合い、反省しなければいけない内容です。
しかし、戦前・戦中の日本の大義を隠蔽し、邪悪さのみを強調することによって、自分たちこそが正義であると事実を捏造し、イメージ操作してきたのは、戦勝国である連合国側、特にアメリカでした。
アメリカは、東京大空襲をはじめとする非戦闘員の殺傷である、日本の各都市への無差別爆撃や、広島・長崎へ原爆投下をすることで、日本人を大量虐殺しましたが、これらは明らかな戦争犯罪行為でした。日本を悪者に仕立てることで「無差別爆撃を受けたり、原爆を落とされても仕方ない、日本はそれだけの悪いことをしたのだから」とのロジックにより、アメリカの免罪符に使われれているのです。
戦後の日本占領下において、GHQが日本人に対する洗脳を徹底的に行い、日本人が自ら反省し、原爆を投下されてもやむを得ないと納得させることで、アメリカは自らの戦争犯罪行為を隠蔽してきたのです。
日本軍がアジア各地で為した蛮行と原爆投下の関連性については、満州事変を決行した石原莞爾が、戦後次のように述べています。「戦時中、日本の軍隊が多くの悪いことをしたことは否定しない。私は特に東亜諸民族に対しては、平身低頭、謝罪する。しかし、戦場の興奮によって、非戦闘員を侵害することは往々にしてあり得ることだ。むろん忌むべき行為であるが、これらの偶発的な事件と、計画的な大虐殺とは根本的に違う。トルーマンの行為こそ、戦犯第一級中の第一級の行為である。今日いかに戦勝国がこれを抗弁しようとも、公正な第三者と、後世の人類によって、歴史的な審判を受けることはまぬがれ得ない。一国の大統領ともあろう者が、かかる野蛮行為をあえてして、しかも少しも恥ずるところがない。我々は、このような者を相手にして戦ったことは、なんとも恥ずかしい」(『アメリカの戦争責任』竹田恒泰著)
東京裁判において、米国による原爆投下こそが、国家による非戦闘員の生命財産の無差別破壊としてナチスによるホロコーストに比せる唯一のものであると主張したラダビノッド・パ-ル判事も、講演において次のように語っています。
「私は1928年から1945年までの18年の歴史を2年8ヶ月かけて調べた。とても普通では求められないような各方面の貴重な資料を集めて研究した。この中には、おそらく日本人も知らなかった問題もある。それを私は判決文の中で綴った。この私の歴史を読めば、欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であることが分かるはずだ。然るに日本の多くの知識人たちは、ほとんどそれを読んでいない。そして自分らの子弟に「日本は罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙をあえてしたのだ」と教えている。満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の判決文を通して十分に研究していただきたい。」(昭和27年11月6日の広島高等裁判所での講演より)
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