インドネシア(オランダ領東インド)解放

・オランダ植民地時代

第二次世界大戦前のインドネシアは、1600年代から約300年間ものあいだオランダの植民地でした。この間にオランダ人は、現地の人々を農作物を収穫するための家畜のように扱っていたといいます。
さらにオランダの植民地支配を象徴するのが徹底した愚民化政策です。知識階級が生まれることで独立心が芽生えるため、インドネシア人に教育を施さなかったといいます。
オランダ人はインドネシアの人々から徹底的に搾取していたばかりでなく、そのような状況から抜け出す機会さえも奪うという非道な行為を平然と行っていたのです。

1900年代初頭になると、このような非人道的な植民地政策は世界的に見直されるようになり、オランダはごく少数の、数千人程度のインドネシア人にだけ教育を施すようになります。するとその教育を受けたインドネシア人の中から「独立」「解放」を志す風潮が生まれ、また日本の日露戦争勝利にも刺激され、独立運動が盛んになりました。
しかし独立運動家は逮捕・監禁されるなど、独立運動はなかなか思うようには行きませんでした。

そんな中1942年1月、日本軍がインドネシアへ上陸すると、瞬く間にオランダ軍施設を占領し、3月にはオランダ軍を無条件降伏させてしまいます。

インドネシア陸軍中将アラムシャ・ラトゥ・パーウィラネガラは語ります。
「我々インドネシア人は、オランダの鉄鎖を断ち切って独立すべく、350年間に亘り、幾度か屍山血河の闘争を試みたが、オランダの狡知なスパイ網と強靭な武力と過酷な法律によって圧倒され、壊滅されてしまった。それを日本軍が到来するや、たちまちにしてオランダの鉄鎖を断ち切ってくれた。インドネシア人が歓喜雀躍し、感謝感激したのは当然である」
(『アジアの人々が見た太平洋戦争』小神野真弘 著)
このように、インドネシアへ進攻した日本軍は現地の人々に大歓迎されたのでした。

・日本統治時代のインドネシア

これ以後、日本軍の軍政が開始されることとなりますが、日本軍が施した主な政策は次のとおりです。
・現地の稲作を復活させ、稲の品種改良や、除草の方法などの農業技術を現地人に伝授して飢餓を解消させる。
・電気や上下水道、橋や道路、トンネルなどのインフラ整備を行う。
・教育を広く普及させ、「近代化」に欠かせない知識や技術教育を施す。
・オランダ人によって捕えられていた、スカルノをはじめとする独立活動家を釈放し、彼らを中心に独立義勇軍を結成させ、軍事的な技術を伝授するなど、独立運動の後押しをする。
・インドネシア人の主要な宗教であるイスラム教を容認する。
インドネシア統治を指揮した今村均中将の軍政は、インドネシアの人々を優遇する政策をとりつづけたということです。

・インドネシア独立戦争

日本統治は1945年8月15日のポツダム宣言受諾によりに終焉を迎えますが、二日後の17日に独立運動家のカリスマ・スカルノにより独立宣言が行われます。

しかし、日本軍の武装解除にやってきたイギリスから、すぐに元の宗主国であるオランダへインドネシアの引き渡しが行われると、オランダは再度インドネシアの植民地化に動き出します。
スカルノは、このオランダに対し再三「独立」を認めるよう交渉を行いますが、オランダはこれを受け入れず、2年後の1947年7月に、とうとう武力衝突に至ります。
この インドネシア独立戦争は、1950年まで続き、再植民地化に必死だったオランダとの間で死闘が繰り広げられました。

インドネシア軍の主力部隊は、日本軍政下において創設された郷土防衛義勇軍(PETA)でした。彼ら独立軍は日本式の猛烈な訓練を受けた精鋭部隊で、日本軍から多くの武器の支援を受けたばかりではなく、多くの旧日本軍将兵が軍籍を離脱し、インドネシアに残り、独立軍の将兵の教育や作戦指導をするとともに、自ら戦闘に加わるなどしました。
日本の兵士にとってインドネシアに残るということは、脱走兵として扱われることを意味しました。つまり日本に対する反逆者となり、もう二度と再び故郷には戻れないことを覚悟しての決断でした。
この時インドネシア独立軍として戦った旧日本兵は一説には約3000名にものぼり、そのうちの約1000名はこの戦闘で亡くなったと言います。

1987年、アラムシャ第三副首相は次のように語っています。
「日本軍の軍政は良かった。…行政官の教育は徹底したものだった。原田熊吉ジャワ派遣軍司令官の熱烈な応援によりPETAが創設された。PETAは義勇軍と士官学校を合併したような機関で、38,000名の将校を養成した。兵補と警察隊も編成され、猛烈な訓練をしてくれたばかりでなく、インドネシア人が熱望する武器をすぐに供与してくれた。…(日本が連合軍に)無条件降伏した後も、多数の有志将校がインドネシアの独立戦争に参加してくれた。…経験豊かでしかも勇猛果敢な日本軍将兵の参加が、独立戦争をどれだけ我々に有利な方向に導いたか計り知れない。数百年来インドネシアに住む、数百万の中国人の大部分はオランダ側に加担して、インドネシア軍に銃を向けた。」

軍事力でオランダに劣るインドネシアは、圧倒的不利な状況での戦いであるにもかかわらず、スカルノの「徹底抗戦」の呼びかけに応えてよく戦い、犠牲者が80万人を超す事態となっても諦めずに奮闘しました。
その結果、再植民地化に固執するオランダの姿勢に対し、国際的な批判が高まったことで、1950年8月15日に独立が認められ、インドネシア共和国が誕生することとなります。

独立戦争終結後、インドネシアでは多くの元日本兵が独立戦争への功績を讃えられて叙勲され、英雄として国立墓地に今も祀られています。

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