第一次世界大戦での日本

・第一次世界大戦での日本

1914年6月、第一次世界大戦が起きました。日本は中立を表明しましたが、日英同盟に基づきイギリスからの支援要請でドイツの基地がある青島を攻略し占領しました。
海軍にも地中海派遣の要請が寄せられましたが、「日本海軍は外敵防御の標準で組織されており、外征を企てる余力はない」と拒否しました。しかし、ドイツの潜水艦による攻撃のため連合国の船舶が多大な被害を出すに及び、再度の地中海派遣にやむなく応じています。
第一次世界大戦は連合国の勝利に終わり、日本は戦勝国の一つに名を連ねることになりました。

◆パリ講和会議と人種平等法案

1919年、大戦後の世界秩序の方向性を論ずる大規模な国際会議がパリで開かれました。このパリ国際会議ではアメリカのウィルソン大統領によって、国際平和機構「国際連盟」の設立が提案されました。
しかしこの会議で最も大きな議題は、日本が提議した人種平等法案でした。日本は水面下で各国と粘り強く交渉を重ね、16票中11票が日本の提案に賛成票を投じるものとなりした。絶対多数で日本の提案が認められたのです。
しかし議長のウィルソンは即座に「委員会の全会一致の賛成が得られなかったため採択されません」と宣告したのです。パリ講和会議では様々な議題が採決されましたが、すべて多数決で決められており、全会一致の「規則」は一度たりとも適用されていませんでした。

日本がパリ講和会議にて人種平等の訴えをしたことは、パンドラの箱を開けることに等しいものとなりました。日本は国際会議の舞台で初めて人種平等こそが正義なのだと、欧米の白人に向かって言い放ったのです。15世紀に始まる大航海時代以来、白人に一方的に殺され、奴隷にされ、略奪され続けてきた有色人種が叫びたかった思いを、日本は人種平等条項として欧米にぶつけました。
人種平等の大義は有色人種の人々の胸に宿り、白人に対する抵抗運動へと発展していったのです。

・1919年2月に黒人運動のリーダー役デュボイスは、第一回汎アフリカ会議をパリで開き、5月には「アメリカでも民主主義をめざして前進せよ! 」と、黒人に向かって呼びかけた。
・中国においては機関誌『大亜』は「欧米の白人の圧迫により」苦しめられている「アジア10億の民」に向かって明瞭な言葉で語りかけた。
・1920年にはナイジェリア、シエラレオネ、ガンピア、黄金海岸(現ガーナ)の代表がアクラに結集して、民族自決と人種差別廃止を促進するために英領西アフリカ民族会議を設立した。
・インド国民議会は、大英帝国のすべての自治領と植民地における人種平等を要求し、1921年の帝国評議会でも再びこの要求を繰り返した。

・1920年に、フランス植民地の知識人が同じ目的で植民地同盟を結成し、また別のグループは黒人防衛連盟を創設した。
・基本的に同一の目標へ向かって行動する西アフリカ学生同盟(WASU)がロンドンに樹立された。
・日本、中国、インド、フィリピン、東インド、マレー部族国家、エジプト、トルコの代表で構成する「有色人種国際会議」が組織され、「一部白人国家の移民政策の人種差別廃止を支援し、白人種による社会的・種族的優位観念と戦う」ことを決議した。
・さらに二つの汎アジア会議が植民地支配と、人種差別とに反対する非白人の抗議の声の高まりにこたえて開くかれた。
(『国家と人種偏見』ポール・ゴードンローレン著)

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