◆共産化を防ぐための孤独な戦い
満州事変にしても日中戦争にしても、日本による侵略戦争という見方が一般的でした。しかしこれまで見てきたように、日本は南下政策を取るロシアの脅威に対して、極東におけるロシア防衛の盾となっていたという一面もあります。自立しロシアの脅威に立ち向かうことのできない中国・朝鮮の代わりに、日本が大陸に進出し、朝鮮を統治し、満州をロシアに対する防波堤としようとしたのです。
それはまた利害を共有するアメリカ・イギリスの望むところでもありました。イギリスはインド、アメリカはフィリピンという植民地を守るために、ロシアの南下政策は両国にとっても脅威であったのです。
しかし、1917年に起こったロシア革命によって、アメリカ・イギリスとは利害が対立するようになりました。ロシア革命を陰で支援していたアメリカ・イギリスのユダヤ系金融資本家たちは、革命によって誕生した世界初の共産主義国家であるソ連を歓迎していたからです。
日本にとってはロシアからソ連に変わったからと言って、ロシアと同じように南下政策を取るソ連は、依然として驚異のままでした。ソ連に代わってからの満州事変と日中戦争には、共産化を防ぐための防共のための戦いという側面も持つようになりました。
ロシア革命の直後から、日本は防共のための戦いを始めていました。革命が起きた翌年にはアメリカとともにシベリア出兵を行ったのも、列強が引き上げた後に日本のみが残ったのも、防共に備えるためです。地理的にソ連に近い日本は、常に欧米以上に共産主義の脅威を感じていました。
満州事変もまた、満州の共産化を防ぐために必要なことでした。もちろん満州事変は防共のためだけに起きたわけではありません。それでも複雑な要因のなかのひとつに、防共という骨太な筋が日本軍の行動には常に通っていたことはたしかです。
グルー駐日大使は、次のように述べています。
「日本は、現在の重大の問題であるボルシェヴィズム(共産主義)の東方への蔓延に対して、堅固な緩衝装置の役割を果たしている。現在、中国を山火事のように席捲し、もし日本が手をつけなければ満州をもすぐに侵しかねない共産主義に対して日本が挑んでいる戦いについて、少なくともその功を認めなければならない」
(『満州事変とは何だったのか 下巻』クリストファー・ソーン著)
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