・日本はすでに植民地だった!?
2、外国人が日本で犯罪を犯しても本国の法律で裁かれること(=領事裁判権)、つまり日本人が外国人を日本の法律で裁くことはできない(=治外法権)。
領事裁判権の原則は、欧米各国と植民地の間でのみ適用されるものでした。要するに日本は植民地として扱われたことを意味します。ゴールドラッシュで日本に押し寄せて来る白人たちは、自分たちこそが日本人のご主人様であるように振る舞いました。
フランス人医師は綴っています。
「最も品位に欠けたヨーロッパ人が来るようになってから、白人のいるところには、いつも危険と恐怖があった。酔っ払って大暴れする、私と同じ人種の黄金の亡者たちのやることは、悪行ばかりだった。彼らはわめき声をあげながら町を歩き回り、店に押し入り、略奪した。止めようとする者は蹴られ、殴られ、刺し殺され、あるいは撃ち殺された。我が同胞たちは、通りで婦女を強姦した。寺の柱に小便をかけ、金箔の祭壇と仏像を強奪した」
横浜でも江戸でも、同じような略奪と殺人・暴行が相次ぎました。しかし、白人には領事裁判権が認められていたため、日本の法律で裁くことはできなかったのです。白人たちは本国の法律で裁かれましたが、そこに正義はありませんでした。数人を殺した白人を現行犯逮捕し、詳細な報告書を作成して領事の監督下に引き渡しても、証拠不十分により不起訴になるばかりです。そればかりか逮捕された白人たちは、日本当局による逮捕は自由の剥奪行為であると訴え、銃器を取り上げられたことは窃盗であると主張し、慰謝料や損害賠償を要求してくる始末です。その場合、日本は損害賠償を支払うことで事を収めました。西欧列強の植民地となった他のアジア諸国と同様に、白人が有色人種である日本人を殺しても暴行を加えても、罰せられることはなかったのです。
一方、白人に対する犯罪は極刑をもって罰せられました。無法を働く白人を殺傷した日本人は、幕府によって情け容赦なく首をはねられました。どうしても犯人が見つからない場合もありましたが、西欧列強は犯人の処罰を要求してくるため、証拠がなくても容疑者の誰かを処刑するよりありませんでした。
西欧列強がこれを口実に日本に対して軍事力を行使してくることを、幕府は心底恐れたのです。力がない以上、欧米列強のやることがどれだけ不正義であっても、抗うことはできません。このように不平等条約の本質は、欧米列強から見て日本を半植民地状態においたことにあります。
欧米人から見ると、当時の日本人は他の有色人種と同じく劣等民族でした。イギリスの駐日総領事のオールコックは記しています。
「彼らは偶像崇拝者であり、異教徒であり、畜生のように神を信じることなく死ぬ。呪われ永劫の罰を受ける者たちである。畜生も信仰は持たず、死後のより良い暮らしへの希望もなく、くたばっていくのだ。詩人と、思想家と、政治家と、才能に恵まれた芸術家からなる民族の一員である我々と比べて、日本人は劣等民族である」
隷従によって奴隷の平和を求めるか、それともいつの日か抗うことを期してまずは欧米列強に追いつくことを目指すか、当時の日本人は選択を迫られ、西欧列強の白人に抗う道を選び、近代化への道を歩き始めました。そのためには、西欧と同じく国民国家を建設する必要があり、旧態依然とした幕府は邪魔なだけの存在となりました。こうして改革の機運は日本中に広がり、それまでの支配者をすべて入れ替えることで、天皇を中心とする明治新政府が組織されました。
この記事へのコメントはありません。