・最大の脅威ロシア
ロシアは長いこと他国に侵略され続けましたが、1613年にロマノフ王朝が発足してからは侵略する側となり、領土を広げていきました。ロシアの悲願は冬でも凍結しない不凍港を手にすることです。
ロシアはオスマン・トルコ帝国、ペルシャ帝国に手を出しますが、イギリスの介入を受け南下に失敗します。
次にアフガニスタンへの侵略には成功しますが、インドでイギリスに跳ね返されました。
ロシアは東方へと狙いを移し、シベリア侵略を続けますが清国に阻まれます。しかし清国が第2次アヘン戦争に敗れたことに乗じて黒竜江以北の地を割譲させ、ついにウラジオストックに港を建設しました。
ロシアの次の標的は、満州と朝鮮でした。そしてその次は間違いなく日本でした。当時の日本にとってロシアは最大の脅威だったのです。
・日本を守るために清国・朝鮮との連携を目指す
日本列島は欧米列強が侵略の手を他国に伸ばす上で、極めて重要な位置を占めていました。ロシアの南下政策、アメリカの太平洋侵略、イギリスのインドから中国への侵略など、三方からの危険にさらされていたのです。
そのため日本が生き残るためには、軍事力によって対抗するより他に道はありませんでした。
当初日本は、欧米に侵略されていない朝鮮と、半植民地状態で苦しんでいる中国とともに協力し合い、欧米列強に対抗する道を模索し、1871年に清国との間に日清修好条規を取り交わしました。
完全な鎖国体制を敷いていた朝鮮も開国し、近代国家へと生まれ変わり、ロシアの侵略を跳ね返すだけの軍事力を備えてくれることを日本は望みました。そこで、日朝の国交回復を図るために何度も使者を送りましたが、朝鮮はかたくなに拒否しました。
1875年、朝鮮西岸海域を測量していた日本の軍艦が朝鮮から砲撃を受け、日朝間の武力衝突、江華島事件が起こりました。江華島事件によって日朝修好条規が結ばれ、日朝間の国交が回復したと同時に、日朝修好条規の中に朝鮮が清の属国ではなく、日本と同じ独立国なのだと宣言する条文があったため、朝鮮は事実上、清の属国としての立場を離れました。
朝鮮にも近代化を成し遂げようとする勢力が起こり、日本も朝鮮の軍事改革を支援しました。しかし、暴動が起きると多数の日本人が虐殺され、清はこの機に乗じて5千の兵を派遣して暴動を鎮圧します。清から派遣された軍はそのまま朝鮮に居座り、清は再び朝鮮に影響力を及ぼしては、その近代化を阻みました。
清には朝鮮を手放す気はなく、宗主国として相変わらず朝鮮を支配し続けようとしました。朝鮮を改革するためには清の支配を断ち切るよりありませんでした。
・日清戦争へ
1894年に起きた東学党の乱をきっかけとして清は朝鮮に出兵しました。朝鮮を属国としてつなぎ止めることにこだわる清のかたくなな態度に、明治政府も「朝鮮が清国の属邦たることを承認せず」と反論し、朝鮮半島へと出兵しました。こうして日清両国の軍は朝鮮で衝突し、日清戦争となったのです。
日清戦争では西欧列強の予想を裏切って、近代化を成し遂げた日本の軍事力が、旧態依然としたままの清軍を圧倒し、清は日本と講和せざるを得ませんでした。日本軍が勝利し下関で結んだ講和条約では、朝鮮が完全な独立国であることを認めること、賠償金を支払うこと、そして遼東半島と台湾及び膨湖島を割譲することなどが定められました。
京城(ソウル)にいたシル米国弁理公使は、日清戦争を次のように評価しています。
「日本は朝鮮に対して非常に好意的であるやうに思へる。日本が欲することは、朝鮮に対する支那の宗主権といふ束縛を一挙に断ち切ること、そして次には朝鮮国民に平和と繁栄と啓蒙をもたらすやうな改革を援助することによって、その弱き隣国が独立国としての地位を強化するのを助けること、これだけであるやうに思へる。」(『大東亜戦争への道』中村粲著)
・三国干渉により満州は事実上ロシアの領土に
条約の締結後に、ロシア・ドイツ・フランスの三国は日本に遼東半島を返せと勧告してきました。これが「三国干渉」です。ロシアはすぐに旅順と大連を清から租借し、日本が返した関東州をそっくり手に入れることに成功し、遼東半島はロシアのものになりました。多くの日本人の犠牲の上に取得した遼東半島を、結果的にロシアにだまし取られたのです。これにより実質上、満州はすべてロシアの領土となったのです。
満州が事実上のロシアの領土と化した今、朝鮮をロシアの侵略から守ることが日本の生存をも左右する一大事となりました。
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