・近代化と富国強兵は背中合わせ
1871年、岩倉具視を正使として伊藤博文・大久保利通・木戸孝允らは岩倉使節団として、およそ2年をかけて日本が条約を結んでいる欧米各国を訪れ、不平等条約を改正するための第一歩を踏み出します。
岩倉使節団によって欧米の発展ぶりを視察した日本の指導者たちは、まずは国の経済力を高める必要をひしひしと感じました。その次に欧米列強の侵略を阻止するための軍事力の拡充です。軍事力を強化するためにも、工業の発展は欠かせません。つまり日本の近代化とは、同時に軍国化でもありました。軍の近代化を基軸として、すべての分野における近代化が推進されたのです。
軍国化の必要性を痛感したのが1873年、当時の新興国ドイツ帝国で聞いた、宰相ビスマルクの演説によってです。
「世界のあらゆる国家がお互いを礼節をもって交わっているというが、これは虚構である。現実には強国の政府が弱小国を圧迫している。万国公法は諸国家間の秩序維持を目的としているが、強国が他国と紛争を生じたならば、強国は自国の目的に適合するかぎりで、それにしたがって行為するのであり、さもない場合には自らの力を用いるであろう。弱小国は常に不利な立場に立たされているのである。」
軍事的に強くなければ、常に不利な立場に追い込まれるのだとビスマルクは言い放ちました。
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