◆獅子身中の虫(日本の中の敵)
これまで日本は、欧米金融勢力の策略によって支那事変・第二次世界大戦の泥沼へと引きずり込まれていったことを明かしましたが、日本は一方的に被害者であり、加害者としての要素が全くなかったのかといえばそういうわけではありません。日本の中にも、天皇陛下をはじめとして、日本の国民を犠牲にしてでも己の欲望を叶えようと暗躍していた人物たちがいました。それが近衛文麿、当時の内閣総理大臣であり、彼を支える側近たちでした。
日本は、近衛内閣が敷いたレールの上を走らせられながらも、何とか日本の正義を立てるため、共産主義に対する防波堤となり、「大東亜共栄圏」構想を打ち出すことによって、アジアの人々の白人による植民地支配からの独立を支援し、「八紘一宇」の世界を実現しようと、第二次世界大戦を戦い続けました。
日本に巣食った敵の正体についても見て行きたいと思います。
・近衛文麿
大東亜戦争への道を敷いたのは近衛内閣でした。近衛文麿は、支那事変勃発直前から真珠湾攻撃の50日前まで、正に戦前の激動期に日本の政治中枢を担いました。近衛が日本で果たした歴史的役割は、ルーズベルトがアメリカで果たした歴史的役割と似ています。近衛はルーズベルト同様、共産主義者や国際金融資本家と繋がりがある者たちを身近に登用します。共産主義者たちは日本破壊の推進役、国際金融資本系列の面々はそのサポート役です。
近衛は自前で昭和研究会というシンクタンク・国策研究組織を持ちました。昭和研究会は共産主義者の拠点として人材を輩出していくと同時に、その主張は近衛内閣の施策に反映されていました。昭和研究会が輩出した人材として最も有名なのが、後にスパイとして処刑された尾崎秀実です。
近衛首相は支那事変に際し、朝日新聞出身の尾崎秀実らオピニオンリーダーを擁して、事変遂行の理念として「東亜新秩序」を謳い、更には東南アジアを指向して「大東亜共栄圏」構想を打ち出します。近衛首相は、共産主義者である風見章内閣書記長と共に、支那事変拡大を煽動する声明を出し、陸軍や世論を煽りました。
1940年7月の第二次近衛内閣成立直後の9月には、三国同盟を締結して反英の枢軸陣営に入りました。そして同じ9月にフランス領インドシナに進駐し、米英蘭による資産凍結と対日石油全面禁輸を招来し、大東亜戦争への道を完成します。
・共産主義者風見章
風見と近衛は、対ソ戦不拡大を徹底しました。1938年7月に起きた張鼓峰事件という満洲国とソビエトとの国境紛争では、不拡大が厳密に徹底されます。事件発生の報に接し、敵にむけて飛行機を飛ばすことを禁止するなど、政府と陸軍は連絡を密にして不拡大を貫徹しました。ソビエト軍の激しい攻撃に対して現地を含め陸軍全体にしっかりと我慢をさせ、一歩もソビエト領に侵入させません。一年前の支那事変への対応とはすべて真逆です。拡大も不拡大も、「扇の要」にいる近衛と風見たちには思うが儘だったのです。近衛政権で共産主義者の風見は、コミンテルンの意向に沿った動きを巧妙かつ大胆に行いました。世界の共産主義陣営の彼に対する評価は絶大です。
政友会の鳩山一郎は『鳩山一郎日記』で「コミンテルンの東亜に於ける活動についての報告を読む。近衛時代に於ける政府の施策すべてにコミンテルンのテーゼに基づく、実に怖るべし」と記しています。
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