・日露戦争の勝利がもたらしたもの
日本はアジアで侵略戦争を行ったと信じられているため、満州や朝鮮を独立させただろうなどという推論は信じがたい話のように聞こえるかもしれません。しかし日露戦争以降の日本の立場を知れば、そんなことはないことが分かります。
日露戦争の頃のアジアは、その大半が欧米列強の植民地でした。それまで有色人種は欧米列強に負け続け、白人に仕える奴隷同様の日々を強いられてきました。そこには深い絶望とあきらめの境地のみがありました。しかし、日本がロシアに勝ったことにより、絶望やあきらめの境地は希望へと塗り変わりました。日露戦争で、白人国家の中でも最強国の一つであったロシアに日本が勝利したことは、欧米の白人による有色人種の支配という流れに終止符を打ち、白人優位という価値観・秩序は音を立てて崩れ去り、有色人種の逆襲という新たな大波が、世界を呑み込んだのです。
実際に日露戦争以降、白人の支配を断ち切り民族自決を求める運動は世界各地で巻き起こりました。フィリピン・ベトナム・ビルマ・インドネシアにおいても独立運動家を勇気づけ、民族主義が盛んとなり、多くの若者が日本に留学に訪れるようになったのです。「日本から学べ!」の合い言葉はアジア中に鳴り響き、東京はアジア中からやってきた民族主義者のメッカとなりました。
なかでも多かったのが清からやって来た留学生です。日清戦争では敵として戦ったものの、日露戦争での日本の勝利は、朝鮮を守ったのみならず、ロシアの中国侵略をも防いだのです。もし日露戦争で日本が敗れていれば、中国の北半分はロシアに占領されていたと、中国でも認識されていました。国ぐるみで日本への留学が奨励されたため、東京には一時、15000人を超える中国人留学生がいたとされています。後に中国をリードする孫文や蒋介石も、そうした留学生の一人でした。
私の祖父は、日清、日露と三度も召集されながら、生き残ってきた人です。祖母は、ロシア兵の捕虜収容所を見に行った話をしていました。日本はいまだにアメリカに占領された状態で、精神的に徹底的に骨抜きにされてきました。この状態で、日本がいかに中国の侵略に対応していくか、本当に悩みの種は尽きません。