ミャンマー(ビルマ)への侵攻

◆ミャンマー(ビルマ)

ビルマ(現在のミャンマー)は、1824年から1886年までの長期間イギリスとの間で英緬戦争を戦った末に敗れ、イギリスの植民地とされていました。
イギリスは、自国民で政治や軍部を独占するだけではなく、イギリスの息のかかった華僑とインド人をビルマへ流入させるという政策を採りました。
その結果、ビルマの一大産業であった稲作をインド人らに牛耳られることになり、ビルマ人は職を失って貧困が蔓延しました。
日本は、鈴木啓司大佐をビルマへ派遣。ビルマの独立運動家によって結成されたタキン党に接触し、書記長のアウンサンを含む30名のビルマ人に軍事訓練を施します。
1941年12月にビルマの志士30名と鈴木大佐を中心にビルマ独立義勇軍を結成、日本軍と共同で戦闘を開始し、翌年3月に首都ラングーンを奪還、5月にはビルマ全土からイギリス軍を駆逐することに成功します。

鈴木大佐はこの功績により、ビルマの人々から、現地の伝説的な救世主の名である「雷帝」の名で呼ばれ、非常な尊敬と信頼を得ました。
日本は当初、ビルマ独立義勇軍を中心とするビルマ人による臨時政府を設立し、ビルマを独立させる予定で動いていました。しかし独立義勇軍のアウンサンら幹部の年齢がまだ若かったことや、イギリスの圧力がいまだ強かったことから、独立は時期尚早という判断が下され、日本軍による軍政を開始しました。
これに失望したアウンサンを中心とするビルマ独立義勇軍は日本への不信感を抱き、気持ちは完全に日本から離れてしまいました。日本はこれを受け、ビルマ人の信頼を回復するため、1943年にビルマの独立を認めることにします。

・インパール作戦

ビルマの西隣のインドでは、活発に独立運動が行われており、独立活動家が日本に亡命するなど、欧米諸国からの独立という同じ目標を掲げた日本とインドは、非常に深い関係にありました。
インド人たちもまた、日露戦争における日本の勝利には多いに触発され、イギリスからの独立を、日本を利用する形で実現しようと試みていました。
インドにとって、隣接するビルマをイギリスから日本が奪取したという事実は非常に大きな意味を持つ出来事でした。
日本に亡命していたインド人たちは、ビルマからインドへ日本軍を進軍させ、他の東南アジア諸国のようにインド国内からもイギリス軍を駆逐してもらうよう働きかけていたのです。

大東亜戦争末期の1944年3月、ビルマ国境にほど近いインパールというインドの都市を、イギリス軍から奪還するための作戦「インパール作戦」が決行されました。
しかし、「インパール作戦」は、投入された日本軍10万人のうち、7万人は戦死するほどの甚大な被害を出してしまいます。この作戦の失敗によって、大東亜戦争における日本の敗北が決定的となってしまったとまでいわれるほど、日本軍全体に大きな影響を及ぼしてしまうことになります。
この「インパール作戦」失敗ののち、ビルマ奪還のためにさらに攻勢を強めてきたイギリス軍に押され、徐々に日本はビルマの各都市を奪われていきます。
そして、最終的に1945年、日本のポツダム宣言受諾を目前にして、ビルマ国民軍を率いるアウンサンが日本に見切りをつけイギリス軍に寝返り、クーデターを起こして日本のビルマ支配は終わりを告げます。

・日本敗戦後のビルマ

ビルマの裏切りは、日本の大東亜戦争敗戦を見越した判断としては仕方のないものでした。
その後、やはり再度ビルマを占領するために戻って来たイギリス人からは、なかなか「独立」を認めてもらえず、アウンサンはイギリス本国へ直談判に訪れるなどの努力を続けました。

ちょうどこの時期は、世界が冷戦に突入しかけていた時期であり、共産主義勢力が台頭する前にビルマを独立させるべきだという打算もあって、ビルマは一定の制約を受けつつも完全な独立が認められます。

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